騎士団長・レオト

ふぅ、到着、と……。撫子君が目を覚ましたって聞いたけど……、ん?

ポチ

どうした、レオト……。ん?

撫子

レオトさ~ん!! ポチ~!! 助けてくださ~い!!

 フェインリーヴの許を逃げ出した撫子は、夜着姿である事にも構わず、魔王城内を爆走し続けていた。
 そして、視線の先でレオトとポチの姿を見つけ、飛び込むように、――ダンッ!!

騎士団長・レオト

ちょっ!! 何があったんだ!! 撫子君!!

ポチ

撫子、慎みを……。

撫子

お、お師匠様がっ、お師匠様があああっ!!

騎士団長・レオト

え? フェインが、どうしたって?

撫子

セクハラ魔になったんです!!

 セクハラ魔……?
 その突然の吃驚発言に、レオトとポチだけでなく、近くまで来ていた側近の眼鏡の男や女官や騎士達も、ぎょっと目を見開いた。

側近

あの、その件に関して詳しく……。魔界の秩序にも関わりかねませんので。

撫子

く、詳しくなんて言えません!! き、キスされた、なんて、絶対に!!

騎士団長・レオト

キ、キス……、だって? フェインが、撫子君に、――キス!?

ポチ

なんという事だ……。いつかやるとは思っていたが、まさか……。撫子の状態を見るに、無許可だな、無許可、最悪だ。

側近

あ、頭が……。何やってるんですか、あの人は!!

フェインリーヴ

撫子ぉおおおっ!!

 上手く逃げ出せたかと思ったら、思いの外早く、敵は奇跡の復活を遂げて追ってきたようだ。
 撫子はその声にびくりと震え上がり、レオトに助けを求める。

撫子

れ、レオトさん!! わ、私を連れて逃げてください!! どこか遠くに!!

騎士団長・レオト

突然の駆け落ち要請!?

ポチ

事の経緯はわからんが、逃げた方が良さそうだな。行くぞ、レオト。

撫子

きゃっ!!

騎士団長・レオト

しっかり掴まってるんだぞ、撫子君!!

側近

おやまぁ、ものの見事に逃げられましたね……。で? 陛下、一体何をなさっているんでしょうね、貴方は。

フェインリーヴ

撫子ぉおおおっ!!

 側近の男の事など目に入っていないのか、フェインリーヴはレオトの腕に抱きあげられて爆走を始めた撫子を追って行ってしまう。
 虚しく冷たい風がひゅぅぅ……と、側近や城内の者達の間を過ぎ去ってゆく。

側近

――っていやいや!! 少しは私の事も見てくださいよぉおおお!! 陛下ぁあああっ!!

フェインリーヴ

今はそれどころじゃない!!

側近

酷っ!!

騎士団長・レオト

ふぅ、ここまで来れば……、げっ!!

撫子

おおおお、お師匠様がすぐそこにぃいいっ!!

ポチ

しつこいな……。

 魔王城の最上階近くまで来たレオトは、張り出している露台へと駆け込んだ。
 本来であれば外に上手く出る道を選んだのだろうが、流石に友人の恐ろしい変貌を直視てしまった騎士団長は、判断を大幅に間違えた。
 そのせいで、こちらに向かって迫ってくる怒涛の声と暴走音が徐々に近く……。

フェインリーヴ

はぁ、はぁ、……追い詰めたぞ。覚悟しろ!!

騎士団長・レオト

お前はどこの悪役魔王なんだよ!!

ポチ

飛ぶか……。

撫子

うぅっ、れ、レオトさん!! お願いします!! どこか、どこか遠くに私を!!

騎士団長・レオト

いや、まぁ、逃げられないわけじゃないんだけど……、困ったなぁ。フェイ~ン、一体何があったんだよ。撫子君にキスかましたとか、あれだよな? 頬チューだよな?

フェインリーヴ

口だ!!

騎士団長・レオト

アウトぉおおおおっ!! 何やってんだ、お前はぁああああああああああ!!

 普段感情を荒げる事の少ないレオトにしては、反応がとても素直だった。
 いや、友人としているフェインリーヴが大声で叫んだその部位に、その清々しいまでの堂々とした態度に、もう感情が追い付かないのかもしれないが。
 キスされた場所を大声で叫ばれてしまった撫子は、今にも大泣きしそうな表情で真っ赤になってしまっている。

撫子

うぅっ、うぅっ……っ、酷い、酷すぎますっ、お師匠様っ。は、初めて、だったのに……!!

騎士団長・レオト

ああっ、可哀想に!! そりゃ泣きたいよな!! フェイン!! お前が悪い!!

ポチ

フェイン……、何故泣かせた? お前とは違い、撫子はまだ齢二十も満たない子供だ。大人のお前とは違う。

騎士団長・レオト

精神的にはガキになってるけどな!!

側近

はぁ……、陛下、訳をお話しください。今までに陛下が女性に無体を働いたなどという話は、この数百年一度も聞いた事がありません。

 フェインリーヴの肩を背後からがしりと掴んだ側近の男が溜息交じりに尋ねるが、その足を止める事は出来ないようだ。

フェインリーヴ

撫子、頼むから俺の話を真剣に聞いてくれ……。許可を得ずにキスをした事は謝る。二度も奪って堪能した事は心から謝る。だから……。

撫子

いぃぃやぁあああああああっ!! 事こまかに言おうとしないでください!! お師匠様の馬鹿ぁあああああああっ!!

騎士団長・レオト

フェイン!! もう喋るな!! 色々と激しくアウトだから!!

ポチ

完全にぶっ壊れているな……。普段のフェインじゃないぞ……。

シャルフェイト

あぁ、いたいた。……って、やっぱり暴走状態か、兄貴の奴。

側近

おや、シャルフェイト様。良い所に……。一緒に陛下を止めて頂けませんかね。このままでは、強制的に未来の王妃様が誕生しかねないのですが。

 自分のゆったりとしたペースで追い付いてきたシャルフェイトに、側近の男がフェインリーヴの肩を掴んだまま協力を要請するのが見えた。
 よし、味方が増えた!!
 レオトの背中に隠れながら、撫子はフェインリーヴへと声を放つ。

撫子

お、お師匠様!! セクハラの罪を大事(おおごと)にしたくなかったら、引いてください!! お、お別れの日になったら、ご挨拶ぐらいはしますから!!

フェインリーヴ

人の話も聞かずに勝手に全部決めるんじゃなああああああああああい!!

撫子

うぅっ……!! は、話って、なんなんですか!! 弟子相手にムラッとしてしまった謝罪ですか!? って、それはもうさっき済ませてくださいましたけど、他には何もっ!!

騎士団長・レオト

……っていうか、一応わかってて聞くけど、セクハラの原因は?

フェインリーヴ

自分の想いを表現しただけだ!!

ポチ

……。

フェインリーヴ

痛ぁああああああっ!!

 どこまでお前は潔い馬鹿なんだとばかりに、ポチがフェインリーヴの左足に勢いよく噛み付いてやった。
 飛び上がる程の絶叫を全員が耳を塞いでやり過ごす。

シャルフェイト

はぁ……。このままじゃ何も進みそうにないな。というか、この場で全部終わりそうだ。

側近

我が君ながら……、本当に不器用な御方ですね。恐らく、お父上に似てしまわれたのでしょう……。確かあの御方も、お二人のお母上様、王妃様を妻に迎える際には、色々とやらかした、とか……。

シャルフェイト

あぁ。それ本当らしいな。母さんが前に言ってた気がする……。やっぱり、兄貴が一番親父に似てるって事か。はぁ……。

 何やらぼそぼそと言っている冷静な二人の声はよく聞き取れないが、早く助けてほしい!!
 依存と恋愛感情を勘違いしているフェインリーヴの気の迷いを、早く、早く!!
 撫子は祈るようにレオトの騎士団長服に縋り付く。

フェインリーヴ

撫子……。お前に触れたのは、決して誰でもいいとか、そういう事じゃないんだ。……というか、何故レオトに縋る? 腹が立つんだが……。

撫子

か、壁がないとっ、お、お話なんて出来ません!!

騎士団長・レオト

あぁ、うん……。別に壁でもいいんだけど、さ。ちょっとこのシュールな光景を、どうにかしたいというか、なぁ、フェイン……。とりあえず、俺に殺気を向けるのはやめろ。

フェインリーヴ

気にするな……。本能的なものだ。

騎士団長・レオト

抑えろ!! 
本能!!

フェインリーヴ

ともかく、撫子を渡せ!! 話があるんだ!!

撫子

い、嫌です!! 嫌々!!  お師匠様とは、二度と二人きりになりたくありませんっ!!

フェインリーヴ

ぐっ……。そこまで、……俺の事が、嫌い、なのか。

 嫌いになったりしてなどいない。
 ただ、またあんな事をされたら、……本音を口にしてしまいそうで、怖いのだ。
 彼に嫌われてしまうと秘め続けた想いだったけれど、もしも、あのキスが想いを伝えるものであるのなら……、撫子は本当に逃げられなくなってしまうから。

フェインリーヴ

頼む、レオト……。以前にお前から聞かれた時は違うと、そう答えたが……、どうやら自分でも気付くのが遅くなったようだ。

騎士団長・レオト

……フェイン。

フェインリーヴ

失いたくないんだ……。今、出来る事があるのなら、俺は何でもする。

 レオトが、ゆっくりと撫子の手を外させ、離れて行ってしまう……。
 支えと壁を失ってしまった撫子が逃げようと視線を彷徨わせるが、その動きをシャルフェイトの声が止めさせた。

シャルフェイト

お嬢ちゃん、逃げても無駄だと思うぞ。この分じゃ話をちゃんと聞くまで、兄貴は元の世界へ戻る方法をだんまりで隠しかねないからな。

撫子

シャ、シャルさん!!

シャルフェイト

それに、元の世界に戻って、道が閉じたら……、きっとお嬢ちゃんからこっちの世界に来る事は出来ない。いいのか? あとで後悔しても、二度と奇跡は起こらないかもしれないぞ。

 二度と、奇跡は起こらない……。
 シャルフェイトの言葉に、撫子の鼓動が不安に跳ねる。
 元の世界に戻ったら、もう二度と……。この世界を見る事も、道を開く事も……、出来ない。
 フェインリーヴと、……二度と、会えなく、なる。
 それを覚悟で帰ると言ったのに、どうして……。
 どうして、こんなにも辛く、胸を締め付けられてしまうのだろうか。

フェインリーヴ

撫子、これが最後になってもいい……。だから、俺の話を、聞いてくれ。

撫子

お師匠様……。

フェインリーヴ

撫子、入ってもいいか……?

 夜が更け、扉の外で聞こえたその声に、撫子はテーブルの側でピクリと耳を震わせて立ち上がった。
 撫子の心が落ち着いてから話をしよう……。
 そう、妥協を見せてくれたお師匠様と別れてから、早数時間。
 すでに日も暮れて、窓の外は真っ暗な闇に包まれている。

撫子

ど、どうぞ……。

フェインリーヴ

撫子……。

撫子

……どうぞ、こちらに。

 撫子がテーブルの所にある椅子を示すと、フェインリーヴはそのひとつに腰を下ろした。
 撫子も、彼の向かい側の椅子に座る。
 互いに何から話せばいいものかと迷っているのか、音が出てこない。
 ただ、視線が合うと、撫子の方から逸らしてしまうの繰り返し……。

フェインリーヴ

お前にとっては、師匠であり、保護者である俺に、こんな事を言われるのは……、不快、かもしれないが……。

撫子

……。

フェインリーヴ

遠まわしなのは苦手なんだ……。だから、単刀直入に言わせてもらう。

 今度は、絶対に視線を逸らす事は許さないと命じているように、フェインリーヴの強い決意の表れが、彼女の視線を捕らえた。
 

フェインリーヴ

撫子……。俺は、
――お前が好きだ。

撫子

――っ!!

 まさかという思いはあったが、言葉にされてしまうと……、その時は全然違う、強い衝撃な撫子の心を射抜いた。
 好き……、そう告げてくれたフェインリーヴに、どう答えを返せばいいのだろうか。
 嬉しくない、わけがない。
 撫子だって、フェインリーヴの事が好きだ。
 頼りになるお師匠様というだけではなくて、一人の男性として、愛しい、という想いが、その胸の奥にある。

フェインリーヴ

ただの弟子だと、そう、思っていたのにな……。大切だという自覚はあっても、ロルスにお前が迫られた時、叔父上に攫われた時……、俺は、ただの師匠ではあれなかったんだ。

撫子

……お師匠様。

フェインリーヴ

だから、お前が簡単に元の世界への帰還を決めた時、俺に笑みを向けた時、心の底から腹が立った。何故、俺の傍にいてくれないのか、と。

撫子

……それで、あんな事を? でも、お師匠様はきっと、弟子に対する私への感情を、勘違いしているだけだと思います。私の境遇が特殊だったから、同情もあって……、だから。

フェインリーヴ

そんな事で、自分の感情を間違えたりはしない。撫子、俺の目を見ればわかるだろう? 俺が、お前を……、どう見ているか。

撫子

あ、あの……っ。

フェインリーヴ

ただの弟子に、男として触れたいと……、誰にも渡さず、自分だけの腕の中にいさせたいと、ただの師匠が思うか?

 ゆっくりと席を立ちあがったフェインリーヴが、撫子の傍へと歩み寄り、その膝を折る。
 彼女の柔らかで白い手をそっと片方だけ持ち上げ、唇を寄せていく。

フェインリーヴ

俺は、お前を元の世界に帰したくはない……。ずっと、ずっと……、俺の傍に、一緒に、生きてくれないか? 撫子……。

撫子

お師匠、様……。それ以上、言わないでください……。触れない、で……、想いが、溢れ出してしまいそうに、なる、から……。

フェインリーヴ

俺は、お前の中に隠されているそれが、知りたい……。たとえ、どんな結果が待っているのだとしても、お前の本心だけは……。

 恋情という名の熱を揺らめかせるフェインリーヴの双眸に見つめられ、撫子の心はぐらりぐらりと逃げ場を封じられながら惑う。
 こんなにも真摯な想いを向けられて、……嘘など、つけるはずも、ない。

撫子

お師匠様、私、は……、私、は。

フェインリーヴ

撫子、お前の素直な心を、俺に見せてくれないか? どんな感情でも、俺は受け止める。

撫子

――私、は。

 椅子を蹴倒す形で飛び出し、撫子はフェインリーヴの腕の中に縋った。
 自分の中の沢山の感情が複雑に混じり合いながら、彼女の本心を伝える為に、音となる。

撫子

――き、好き、なんですっ!! 私も、お師匠様の事が、大好き、でっ、は、離れたくない、のに……、でも、向こうの世界にも、大切なものは、いっぱい、あって……!!

フェインリーヴ

――っ!! 撫子っ。

 姉も、家族も、皆、皆……、撫子にとっては大切な存在で、けれど、こちらの世界で出会ったフェインリーヴ達も、同じように、大切で……。
 いっそこの腕の中で死ぬ事が出来たら、どんなにか幸せだろうか。
 フェインリーヴの腕が、撫子の悲しみと恋心をその力強い温もりで包み込むかのように、熱が籠る。

フェインリーヴ

撫子……。

撫子

本当は、一緒にいたいんですっ。だけど、私は、……帰らなくちゃ、いけない、からっ。

フェインリーヴ

わかっている……。お前がどれだけ、今、辛いのか……、酷な事をしていると、わかっているんだ。……それでも、お前の事を手離してやれない俺を、どうか、許してくれ……。

 泣きじゃくる撫子の頭を撫でながら、フェインリーヴは何度も愛の言葉と謝罪を繰り返す。
 まるで、どうすれば二人の想いを、確かな幸せに導く事が出来るのか、と。
 そう思案しているかのように……。

43・少女は淡い恋心に揺れ惑う。

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