時刻は二十時を回っている。
 俺はメイを連れて、外へ出た――つっても前述のとおり治安はよくないし、警察の見廻りがないとも限らない。遠くへは行かずアパートの踊り場にメイと二人、腰を下ろす。

一星

つっても、なにを話したもんかね

 プライベートで女と話す機会は、実はそんなに多くない。悪党稼業をしていると水商売のお姉ちゃんたちとお知り合いになる機会は多いんだが、夕月さんならともかく俺が相手だと向こうは完全に営業モードなので、こちらも社交辞令のようになってしまう。

一星

いや、これも一応仕事なのか……

 そう考えると、俺のプライベートってのはおそろしく限定的だ。公私ともに(って、なにが“私”なのかもよく分からんのだが)付き合いがあるのは、あの相棒くらいなのではなかろうか。

 自分では結構社交的なつもりだったんだけどなと内心独りごちていると、メイが口を開いた。

ねえ。“コール”さんは“ゲオルグ”さんの舎弟なの?

 おい。
 ……こいつなりに話題を探した結果なのかもしれないが、それにしても失礼きわまりない質問である。
 内心ムッとしつつ、顔には出さない大人の俺だ。

一星

いや、別に上とか下とかねえけど。“ゲオルグ”の方が三つ年上だから

何歳?

一星

俺は、二十六

 答えると、メイは意外そうに目をぱちくりさせた。

わたしより九つも上なんだね。二十代前半くらいかと思った

 そりゃあれか。
 俺に、歳相応の落ち着きがないってことか。

一星

ま、よく言われるけどなァ。
もっと若く見えるって

 夕月さんの女嫌いと癇癪だって十分に子供じみていると思うのだが、あの人は猫をかぶるのも誤魔化すのも上手い。微笑の一つでも浮かべて甘い言葉を囁けば大抵の女は夢見心地なのだから、美形はお得だ。

二人はコンビを組んで長いの?

一星

まあ、長いっちゃ長いな。
三年くらい

どうやって知り合ったか訊いてもいい?

一星

客に頼まれて“ゲオルグ”のストーキングをしてたら向こうの方が一枚上手で、捕まっちまった。話してみたら意外とウマがあったから、そのときのことを借りにいくつか仕事を手伝ううちに自然とこういう形になった……って感じだな

仕事?

一星

ゲオルグ・マノレスコは美貌と器用な手先を武器に、あらゆる女から総額数百億円を盗んだ大泥棒なんだ

 貴族のパーティーに忍び込んでは夫のいる貴婦人に声をかけ、人目に付かない場所で――まあ、なんだ。そういう行為に及んだ。ゲオルグとの火遊びに夢中になっている女の体から、そっと宝飾品を外して自分のものにしたのだ。
 貴婦人たちは背徳行為の負い目もあって、騒げない。盗まれたなんて訴えたら、体に触れられてどうして気付かなかったのかって話になるからな。

一星

うちの“ゲオルグ”は泥棒じゃなくて、恋愛詐欺師だけど

 あ、言っちまってよかったのかな。これ。よくねえよな。また相棒にどやされてしまう。
 また君は余計なことをなんたらかんたら……俺がいらんことばっか言う点を考慮しても、あの人の小言は長すぎる。

ふうん……

 女を食い物にするなんて、同じ女のメイにしてみればとんでもない話だろう。けれど、メイは気の抜けたような相槌を打っただけだった。

いいな、なんて言っちゃいけないんだと思うけど……それでも、いいな

 メイがぽつりと呟く。

一星

なにが

持ちつ持たれつ? みたいな。相手のこと必要として、必要としてもらう、みたいな。わたし、誰かを必要だって思ったことも、必要だって言われたこともないから

 メイは上を向いた。黒い瞳の中で、丸い月がゆらゆら揺らめいている。まるで夜の海を見てるみたいだな、と俺は思った。

父さんと母さんだって結婚したくらいだから、きっと前はお互いに愛情があったんだよね。でも二人とも、子供を持つには向かない人だった。それでも一度作ったものを放り出すわけにいかないからって、無理に家庭ごっこをしてるうちに、どんどんおかしくなっちゃった

 瞬きを一つ。

もちろんわたしが悪いわけじゃないって分かってるんだよ。でも、なんて言ったらいいのかな。わたしがいなかったら、もっと上手くいってたんだろうなって

 そんなことねえだろ。
 なんて、俺には言えなかった。見え透いた慰めになってしまうことは分かりきっている。

一星

俺と“ゲオルグ”だって、そこまでべったりした関係じゃねえよ。お互いがいると少し便利だから組んでるって、それだけの話だし。
俺も“ゲオルグ”も、あぶれ者だから“ここ”にいる。俺たちがいなくなったことで上手くいくようになったやつらの足を引っ張ってやろうって、いつもそう思ってる。お前は、ちょっと物分かりがよすぎだ。
口に出さないまでも、上手くいかないことを人のせいにするくらいでなきゃ生きていけねーぞ

 ……上手くいかねえもんだな。茶化してやるつもりが、説教くさくなってしまった。

一星

相棒に感化されたかな、こりゃ

 肩を竦める俺に、メイは困ったような顔をした。

……なんか変な感じ

一星

なにが?

誰も考えてくれなかったわたしのこと、昨日会ったばかりの誘拐犯さんたちが考えてくれるって。
すごく……すごく……変な感じ

 笑っているような、泣いているような、そんな顔でメイが言った。
 ああ、やめろ。やめてくれ。
 健気そうな目で俺を見るな。ただでさえ情が移ってしまっているし、自分でも相当にちょろいと思うが俺はこういうシチュエーションに弱いのだ。

 相手はくそ生意気で悪魔的発想を持った女子高生だぞ。と自分に言い聞かせても、誘惑に弱いもう一人の俺が「いやいや。顔は可愛いし体は柔らかいし、なにより家庭環境にも共感できるなんて欠点を補ってあまりあるだろ。落とせ。寂しがり屋の子供は、俺以上にちょろいぞ」と囁きかけてくる。

一星

いや、女子高生だし。犯罪だし……
って元から犯罪者か、俺

 しかし、ならいいか――と言うわけにもいかないところが難しい。肩に回しかけた腕をどうにか引っ込めて、俺は代わる言葉を探した。この妙な空気を変えてしまわなければ。

 ああ、そうだ。

一星

……誕生日

え?

一星

昨日、誕生日だったんだろ。おめでと

 誘拐したことは謝らねえけどな。
 メイはきょとんと目を瞬かせ、

ありがと

 今度は、はにかむように唇をゆるめてみせた。
 ん。やっぱガキは笑ってこそだ。

一星

おっ、“ゲオルグ”だ

 無事に仕込みを終えたらしい夕月さんからのメールに、俺はほっと胸をなで下ろす。
 内容を確認すると、話がまとまったから部屋に戻ってこいということだった。

一星

終わったってよ。戻るか

うん

 促す俺に、メイが頷いた。

夕月

待たせたな。
ようやく交渉が終わった

 部屋に戻ると、夕月さんが上機嫌で出迎えた。
 その表情からすると、交渉――というか脅迫は上手く進んだようだ。きっと相手を散々にいじめてやったんだろうなァとは、なんとなく想像できてしまう。
 特に今回は計画の最初からがつんと裏切られ、仲介屋とも連絡が付かず、報酬も見込めない。呑気な俺と違って、夕月さんはストレスフルなはずなのだ。

 美しい相棒はそんなストレスや苛立ちとは無縁の美しい顔で、そわそわしているメイににっこりと微笑んだ。

夕月

明日の段取りを説明する。座ってくれ。
“コール”、君もだ

一星

はあい

 頷き、相棒の向かいに座る。
 電話を終えたあとに夕月さんが一人で片付けたんだろう、テーブルの上に夕食の名残はない。

 メイが俺の隣に座ったのを見計らって、夕月さんが口を開いた――

夕月

君を手放すことについて、意外にもかなり渋られたがね。約束は明日の正午。
おそらくその点については大丈夫だろうと思うが――万が一警察を味方に付けられてしまってはこちらも都合が悪いことと、君の父親からのたっての希望から、取り引きには冥一人で行ってもらうことになる。まあ、行ってもらうというか……家に戻ってもらうというか――

 ちょ――

一星

ちょーっと待った、夕月さん!

 涼しい顔してる相棒が信じられず、俺は話の腰を折ってしまった。

一星

メイ一人? 親父の希望って……
あからさまに怪しいでしょうよ

夕月

まあ、そうだな。
表向きは最後に一度くらい、我が子に謝りたい――ということだったが、十中八九罠だろうな

 夕月さんはあっさり頷き、メイに向き直る。

夕月

もちろん、君の父親が最後の最後で奇跡的に父性に目覚めたという可能性もゼロではない。どう判断するかは君次第。
そこで、わたしからの案は二つ

二つ?

 首を傾げるメイに、夕月さんは人差し指を立てた。

夕月

一つ。素直に、君一人で自宅へ行ってもらう。もちろん、万が一のために我々は君に“ヘッドフォン”を付けさせてもらう。なにか不穏な気配を感じたら、できる限り君を助けるよう努める

二つ目は?

夕月

代役を立てる。君と雰囲気の似通った適当な女子高生を見繕って、変装してもらうのだな。“コール”はメイキャップ技術に優れているし、マスクでも付ければ誤魔化せるかもしれない。ばれたところで開き直れる。
わたしたちは一度、君の父親に約束を反故にされているからね

 後者の案があることに、俺は胸をなで下ろした。

一星

俺は断然、第二案がいいと思います

 なにせ、藤崎父娘の発想力は侮れない。
 一晩で相手がどれだけの手を打ってくるか予想できない。もしかしたら俺たちを出し抜いて、横領の証拠とメイを確保するような方法がないとも限らない。

行って、わたしはなにをすればいいの?

 メイは結論を急がず、慎重に問いかけた。
 夕月さんが答える。

夕月

明日、約束の時間までに君が住む物件の契約書類と生活費等の支払いに関する念書を二通ずつ用意する。君はタクシーで帰宅し、父親に判を捺してもらうだけだ

物件まで探してくれるの?

 驚いたように目を丸くするメイ。
 夕月さんは、かぶりを振った。

夕月

勘違いしないでくれ。まるっきり親切心から、というわけでもないんだ

どういうこと?

夕月

もし、期間内に君の父親が裏切るようなことがあってはこちらも困る。というのも、君への支払いに仲介手数料も上乗せさせてもらった

 さすが相棒。
 転んでもただじゃ起きなかったってわけか。メイが高校を卒業するまでの一年半、固定収入が入ってくるというのは俺たちにとっても悪い話じゃない。

夕月

君と証拠の安全を確保するためには、こちらの息が掛かった物件の方が都合がいい。住所を知られないようにしたところで、学校から尾行でもすればすぐに分かることだし――

なるほど

 頷き、メイは一度目を瞑った。
 悩む時間は短かった。

行く

一星

おい――

 マジかよ。
 慌てる俺に、メイが続けてくる。

父さんのこと、信じるわけじゃないよ。ただ、ちゃんと決別しないとって思うだけ。せっかく二人がチャンスをくれたんだもん。初めの一歩くらい、自分の足で踏み出さないと

 ……どこまでもくそ生意気なガキ。
 夕月さんの方は、少女の決意を気に入ったらしい。笑みをますます深めて、メイの肩を一つ叩いた。

夕月

では、そういうことで。我々には準備があるから、君は風呂にでも入るといい。脱衣所にタオルは用意してある。着替えはバックパックの中に入っていたな?

うん

夕月

明日は大変な一日になるだろうから、ゆっくりしておいで

 そんな言葉までかけてみせる。
 ……なんだかな。

 二人の姿を眺めながら、俺は言いようのない不安にそっと溜息を零した。大丈夫なのか、この計画。

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