◇六章 審判は満月の夜に(3)




















観覧席も、処刑場も、広場も。全員がリーゼロッテに注目し、場は恐ろしいほど静まり返った。




そしてその沈黙を破ったのは――この国の絶対的君主、ディードリヒ皇帝だった。


ディードリヒ

……フォルカー。お前たちが言ったことは本当か?




威圧さえ感じる真剣な眼差しに見据えられたが、フォルカーはそれをまっすぐに見つめ返して口を開く。


フォルカー

神に誓って、偽りはありません




広場にフォルカーの声が響き渡り緊張の風が吹き抜けた後――皇帝は命じた。


ディードリヒ

近衛兵。バルバラとアレクサンドラを捕らえよ

と。


アレクサンドラ

こ、皇帝陛下!!

バルバラ

ま、待ってください! あの者たちの言うことはデタラメです! 皇帝陛下!




ふたりは醜く喚いたが、皇帝に命じられた兵士によって無情にも捕らえられ観覧席から連れ出されていった。




おどろくべき展開にどよめきの声があがる処刑台に、皇帝はさらに命令を告げた。


ディードリヒ

それから、司教と財務大臣もだ。捕らえて牢に入れておけ

司教

へ、陛下!!

大臣

な、何故です! 私たちはなんの関係も……




たじろぐ司教と大臣にディードリヒは一瞥をした。


ディードリヒ

バルバラが推進した教会への多額の寄付に私がなんの疑問も抱いてないと思ったのか。大方、増額した分はバルバラと山分けしたのだろう

ディードリヒ

他にも叩けばあちこちから埃が出てきそうだな、大臣

大臣

そ、それはその……




ついに口ごもった司教と大臣は、青ざめた顔を俯かせたまま兵士たちに拘束され連れていかれた。





皇后に皇太子の婚約者、それに司教に大臣と、宮廷を司る人物たちの何人もが突如罪人として捕らえられ、広場に集まっていた民たちは不安を抱かずにはいられない。



国民 男

なんなんだこの国は……化け物は宮殿に巣食い私欲を肥やしていたあいつらの方じゃないか

国民 男

皇太子暗殺に加担していた者がまだ宮殿にはいるかもしれないんだろ?

国民 女

皇后も次期皇后も捕まっちゃって、この国は一体どうなってしまうのかしら



皇帝は眉根を寄せいかめしい表情を浮かべると


ディードリヒ

私が妻の我侭を甘受してる間にこの国は随分と腐ってしまった。一度膿を出す必要があるな



そう呟いて辺りをぐるりと一瞥した。





そして目を眇めると、処刑台でフォルカーの隣に立つリーゼロッテに向かって声をかけた。


ディードリヒ

リーゼロッテ、と言ったな

リーゼロッテ

は……はい!

ディードリヒ

リーゼロッテ。おぬしは一体何者だ?




突然皇帝に尋ねられてしまい、リーゼロッテは驚いて目をパチクリさせる。



けれど、隣のフォルカーを振り向き、彼の優しい横顔を見ると、リーゼロッテは再び皇帝に面を上げて堂々と口を開いた。


リーゼロッテ

……私は……リーゼロッテ・クライスラーです。北の田舎に住む男爵家の末娘で、この肌と髪のせいで「忌み子」として17年間地下に幽閉され、知識も教養も与えられず生きてきました




偽りなく全てを語り始めたリーゼロッテに、またもや広場がざわつく。


国民 男

忌み子……? やっぱり普通の人間じゃないんじゃ……

国民 女

なんの教養もない男爵令嬢を、どうして皇太子さまは気に入ったのかしら




けれどディードリヒは口を挟まずジッとリーゼロッテの言葉に耳を傾けた。


リーゼロッテ

けど、ディーダーさまがこうして宮殿に連れてきてくれて……私はフォルカーさまと出会い、たくさんのことを教わることが出来ました

リーゼロッテ

世界中の本を読ませてもらい、歌もたくさん教わりました。手ほどきしてもらってダンスの楽しさも知りました

リーゼロッテ

市場と海も初めて見せてくれました。この世界は想像もつかないほど広く水が広がっていて、そこには溜息が出るほど大きな船が浮かんでいて、そして見たことも聞いたこともない異国や文化が数え切れないほどあるって。フォルカーさまは丁寧に教えてくれたんです




フォルカーとの楽しい思い出を語るリーゼロッテの瞳は、喜びと恋にキラキラと輝いている。




まるで幼子が親に一生懸命話し掛けるように、リーゼロッテは夢中になって言葉を紡いだ。


リーゼロッテ

市場で、港で、宮殿で、人は皆一生懸命生きてるのだと、私はフォルカーさまを通じて知りました。そしてそんな帝国の全ての民を、フォルカーさまはとても愛し大切に思っていることも

リーゼロッテ

私は……そんなフォルカー皇太子殿下を心から尊敬しお慕いしています。私にこの世界の全てと人を愛する気持ちを教えてくれたフォルカーさまのためならば、この身がどうなろうと厭いません

リーゼロッテ

私はリーゼロッテ・クライスラー。フォルカーさまを愛する者です




晴れやかに、朗々と答えたリーゼロッテを、ディードリヒはしばらく無言で見つめていた。



そして一度深く頷いてから、目もとを柔らかに微笑ませた。


ディードリヒ

愛しか持たぬ者か。正直で良いな

ディードリヒ

リーゼロッテ。この帝国皇帝が認めよう。お前が皇太子フォルカーの正妃となることを





天地がひっくり返るようなディードリヒの発言に、驚きを露にしたのはリーゼロッテだけではない。




フォルカーも目を見開いて驚いているし、当然その場にいた平民も貴族も役人も、皆が耳を疑った。


大臣

こ、皇帝陛下!! いくらなんでも彼女を皇太子妃として迎えるには身分が低すぎます! 田舎の男爵令嬢など平民も同然です! 他国に威厳が示せません!




側に控えていた近衛大臣も思わず口を挟む。けれど皇帝は可笑しそうに顎鬚を撫ぜると、大臣に向かって問いかけた。


ディードリヒ

大臣。戦場に於いて敵の大将を討ち取り、あまつさえ皇太子の命を身体を張って救ったとなったら、その功績に対する叙勲はどうなる?

大臣

へ? はあ、まあ……それならば将官以上の勲位を叙勲することになると思います

ディードリヒ

我が国では将官には漏れなく伯爵の爵位を与えることになっている。リーゼロッテは、少女の身でありながら火炙りさえ厭わない勇気で皇太子の命を狙う敵を退け、あまつさえ宮廷に潜む腐敗した役人たちをも炙り出した

ディードリヒ

これは叙勲に値する働きだと思うが、どうかね?




ディードリヒの言葉に、大臣たちは呆気に取られた。



言われてみれば確かに、此度のリーゼロッテの働きは戦場におけるそれと同等の価値があるだろう。


大臣

け、けれど……。アレクサンドラさまのロマアール国はどうなるのです? それに幾ら功績を認めるとはいえ、あの少女と婚姻を結ぶことで我が国にはなんの得もありません。せめて他国の姫君を娶り領土の拡大を図らないと……




それでもオロオロと心配をする大臣に、皇帝は今度は少し厳しい口調で言った。


ディードリヒ

ロマアールも、あのような姫君を育て上げるなど随分と内部は腐敗してるようだな。属国の身でありながら帝国の皇太子を殺そうなどとは言語道断。今後は資金や技術の支援からは一切手を引かせてもらおう。帝国の威厳を示すためにも厳しい制裁が必要だ




結婚が決まってからというもの、属国でありながら帝国に対し尊大な態度を国ぐるみでとり続けてきたバチがあたったのだろう。




これを機に皇帝はロマアールへの権限緩和を白紙撤回することに決定した。今のロマアールでは、友好を深め国益を図る相手としてはあまりにも相応しくないと、皇帝は判断したのだ。


ディードリヒ

けれど、反省せねばならないのは我が国も同じだ。領土拡大を図り国益を追求しすぎたせいで、いつしか欲望にまみれた人間が集うようになってしまったな




ディードリヒは悲しげな笑みを浮かべると、リーゼロッテの隣に立つフォルカーに向かって声をかけた。


ディードリヒ

フォルカー。この国に新しい風を吹かせてくれ。真摯で正義を貫くお前と、穢れなき愛を持つリーゼロッテならきっと出来る。正義と友愛に溢れた新しい帝国を、お前が作り上げていってくれ





それは――フォルカーに皇位を譲るという宣言だった。


フォルカー

皇帝陛下……!!

ディードリヒ

この国を浄化させ立ち直らせることが、何よりの国益となり民のためとなる。頼んだぞ




ディードリヒの言葉に、広場は割れんばかりの歓声が上がった。


国民 男

フォルカー新皇帝陛下、万歳!!

国民 男

新しい時代の皇帝陛下の誕生だ!!

国民 女

リーゼロッテ新皇后陛下、万歳!!

国民 男

正義の皇帝陛下と美しき愛の皇后陛下に祝福を!




自分たちを祝福する歓声に囲まれ、リーゼロッテは呆然とする。





まるで夢でも見ているようだ。公妾にすらなれないと思っていた自分が、フォルカーの正妃として認められたのだから。


リーゼロッテ

フォ、フォルカーさま……。わ、私……




驚いた表情を浮かべたまま隣のフォルカーを見上げれば、彼はとても優しい笑みを湛えリーゼロッテを見つめていた。


フォルカー

リーゼロッテ、ありがとう。狡猾な敵を退け、こうして帝国を立て直す機を得られたのは全てお前のおかげだ

リーゼロッテ

わ、私はそんな……

フォルカー

俺に愛を教え勇気を与えてくれた。お前だから出来たことだ、リーゼロッテ




フォルカーはそっと手を伸ばすと白銀の髪を優しく撫で、そしてそのまま白い頬を包んだ。


フォルカー

愛している。これからもずっと俺を愛しそばで支えていて欲しい

リーゼロッテ

フォルカーさま……

フォルカー

結婚してくれるな? リーゼロッテ




甘い問いかけに、リーゼロッテは瞳を潤ませながらコクリと小さく頷いた。




それを見たフォルカーは幸せに満ちた笑みを浮かべ――彼女にそっと、キスをした。







月光の下で交わされたキスはふたりを煌めかせ美しく魅せた。


まるで神話の絵画のように。




新しい皇帝と皇后の清廉な愛の口付けに、人々の歓喜はいっそう沸き立つ。



祝福の嵐を受けながら、フォルカーはディードリヒに向き直ると晴れ晴れとした顔で言った。


フォルカー

父上。わたくしに任せてください。リーゼロッテと共に、必ずやこの国を正しく豊かで美しい国へと導いてみせます















――満月の夜に審判は下された。




それは正義と純愛に勝利をもたらせ、帝国に清く明るい未来を約束する結末だった。





幸せに顔をほころばせながらも強い決意を瞳に秘める新しい皇帝と皇后の姿に、その場にいた誰もが喜びを感じずにはいられなかった。









【つづく】






◇六章 審判は満月の夜に(3)

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