◇終章 月下の娘

















ディーダー

おやおや。皇帝陛下ともあろうお方が緊張してるだなんて、らしくないですねえ




審判の夜から半年後の満月の夜。


皇帝となったフォルカーとリーゼロッテの結婚式が、モンデグリー帝国の大聖堂で行われた。




準備を済ませたフォルカーは控え室で式の始まりを待っていたが、どうにも落ち着かずソワソワしている。



しかもそれを今や宰相となったディーダーに見られてしまい、フォルカーはあからさまに気まずい表情を浮かべた。


フォルカー

……仕方ないだろう。リーゼロッテが純白のウエディングドレスを纏って俺の前に現れるんだぞ。どれほど眩く美しいか、想像しただけで落ち着かん

ディーダー

おやまあ、すごい惚気かたですねえ。結婚式からこれじゃあ、これから毎日周囲はあてられっぱなしになるんでしょうね




おおげさに肩を竦めクスクスと笑って見せたディーダーを、フォルカーはひと睨みするとソファーに座って頬杖をついた。


フォルカー

世界一美しい少女を俺に紹介した張本人のクセに、よく言う。こうなることがお前の望みだったんだろう?




その言葉にディーダーは目を細めると、躊躇うことなく静かに頷いて見せた。


ディーダー

リーゼロッテと出会ったとき、これは運命だと思いましたよ。生真面目で堅物な主の心を動かすほどの美貌の持ち主であり、あなたの癒しになるほど優しく清純な心の持ち主でもある。そして一途な愛のためならば戦う強さも持っている

ディーダー

バルバラとアレクサンドラがジワジワと宮殿を蝕んでることに頭を悩ませていた僕にとって、リーゼロッテは救世主に見えましたよ




ディーダーは誰よりも早くバルバラたちの計画に気付いていた。



けれど確固たる証拠もなければ、フォルカーに義母と婚約者に立ち向かえと言える説得力もない。



まだ相手の出方も不透明で、この宮殿に於いて誰が敵なのかも見極められないまま、ディーダーは主に迫る危険に業を煮やしていた。



そんなときに出会ったのがリーゼロッテだったのだ。




類稀なる美貌と、無垢で純粋な魂を持った少女。この者こそ気高く正義の心を持つ我が君主フォルカーに相応しいと、ディーダーは神の啓示のように感じたのだ。



結果、リーゼロッテはディーダーの予想を遥かに越える働きを見せてくれた。



フォルカーの心を癒し、愛と勇気を教え、それどころか持ち前の美貌で偶然にも大きな物証を掴み、また自身も憶さず敵に立ち向かった。





全てが終わりフォルカーが皇位を受け継ぎ帝国の安泰が約束された今、振り返ってみるとディーダーはなんだか不思議な感じがする。


バルバラ達を退けるよう作戦を立てたのは自分だ。けれど。


ディーダー

なんだか、この結末のために運命にみんなが踊らされていたみたいですね



そんなことを感じてしまう。


フォルカー

どうした? 悩ましい顔をして




急に黙り込んでしまったディーダーに、フォルカーが声をかけたときだった。


ゼルマ

陛下。リーゼロッテさまのお支度が終わりました




部屋の扉がノックされ、花嫁衣裳に身を包んだリーゼロッテが中へと入ってきた。


リーゼロッテ

お待たせしました、フォルカーさま

フォルカー

リーゼロッテ! ……なんて美しい……




純白のドレスはチュールレースと幾つかのダイヤをちりばめ、眩いばかりにリーゼロッテを美しく可憐に見せている。



けれど高級なシルクの輝きも、オーガンジーのトレーンも、幸せいっぱいに顔をほころばせるリーゼロッテのきらめきには敵わない。



見惚れため息が出るほど美しいリーゼロッテを、フォルカーはマジマジと眺めとろけそうに顔を微笑ませた。


フォルカー

世界一愛らしい俺の花嫁。みんなにこの姿を見せるのが惜しいくらいだ。いっそこのままお前を抱き上げ、ふたりきりで旅に出てしまいたいな

リーゼロッテ

まあ、フォルカーさまってば




あまりの甘言にリーゼロッテが恥ずかしそうに目をしばたかせると、フォルカーはそんな彼女の頬に嬉しそうにキスをした。


ディーダー

言ってるそばから惚気っぱなしじゃないですか。まあ、彼女を淑女として育て上げた僕としてはフォルカーさまにこれだけ愛される存在に出来たことは感無量ですけどね




ディーダーがふたりをからかうように言えば、リーゼロッテはますます頬を赤くし恥ずかしがってしまった。



そんな花嫁の姿があまりにも愛らしくて、フォルカーの顔からはずっと笑みが絶えることなどなかった。


















結婚式のパレードで、リーゼロッテは国中から祝福を受けた。




類稀なる美しさはもちろんのこと、フォルカーの危機を救った勇敢さと、一途な愛を処刑台で宣言した無垢さを民は口々に讃えた。



それに身分が低かったことも平民からは親近感を覚えられる理由のひとつになっている。




一途な愛だけで皇后の座についたリーゼロッテはこの後もフォルカー皇帝にとって無二の存在として扱われ、『純愛の皇后』として長く人々に憧れられた。























結婚式を終えた夜――。


フォルカーとリーゼロッテはついに同衾を迎える。



夫婦の寝室で豪奢なベッドに腰掛けたリーゼロッテは、レースとリボンの付いたネグリジェの裾をモジモジと握りしめていた。




生真面目なフォルカーは結婚式を終え正式に夫婦になるまで決してリーゼロッテを抱かなかった。



公妾候補から始まり長い時間をかけてついに結ばれる日が来たのだと思うと、リーゼロッテの胸は感激と共に緊張でドキドキと早鐘を打つ。



そんなリーゼロッテの緊張をほぐすようにフォルカーは隣に腰を降ろすと、彼女が膝の上で握りしめている手にそっと自分手を重ねた。


フォルカー

リーゼロッテ……




低く甘やかな声で囁いて、フォルカーは彼女の白い頬に口付ける。




そしてそのまま唇を綴り耳朶にもキスを落とすと、華奢な身体を抱きしめながら今度は唇を重ねた。




全身に熱が灯るようなキスを受け、リーゼロッテは頭の中がとろけそうになっていく。


リーゼロッテ

フォルカーさま……

フォルカー

緊張しなくていい。お前は俺に身を任せていろ




けれど、甘い熱にたゆたいながらもリーゼロッテの頭には、しっかりと叩き込まれた公妾の知識が思い出された。


リーゼロッテ

フォルカーさま。大丈夫です。私、閨の作法はきちんとディーダーさまに教わりましたから。もう最初の頃のような失敗はしません




恥ずかしがりながらも自信を持って言ったリーゼロッテの言葉に、フォルカーはキョトンとした後、苦々しい表情を浮かべた。


フォルカー

……リーゼロッテ。ディーダーに教わったことは全部忘れろ。いいか、全部だ

リーゼロッテ

え?

フォルカー

絶対にあいつは余計な事まで教えてるはずだ。俺は奇妙な床技に長けたお前など嬉しくないぞ




せっかく色々と学んだのに、すげなく断られてしまってリーゼロッテは頬を膨らませむくれて見せる。


リーゼロッテ

私、フォルカーさまに喜んで頂きたくていっぱい勉強したんですよ。だから成果を発揮させて下さい

リーゼロッテ

たとえば――殿方はみんな、ここをこうするといいとか……

フォルカー

わ、やめろリーゼロッテ! だから余計なことは忘れるんだ!





――かくして。

フォルカーとリーゼロッテの初夜がロマンチックに成功したかどうかは分からない。



ただ分かることといえば、どんな夜になろうとふたりはますますの絆を深めたことに間違いはないということ。



そして……あまりに賢く機転が利きすぎている策略家の部下が、この夜から一週間フォルカーに口を聞いてもらえなかった、ということである。

























夜もすっかり更け、見事な満月が天高く昇った時間。



ディーダーは自室のベランダに出てそれを眺めていた。




今や主の命を脅かす敵はすっかり粛清され、平和を取り戻した宮殿だったが――彼の胸には誰にも言えない秘密を抱えていた。


ディーダー

リーゼロッテ・クライスラー……。あなたは誰なんでしょうね……




フォルカーはリーゼロッテの嘘の婚約者を名乗るとき、念のために彼女の戸籍を調べた。



そのとき彼が見つけた書類にはおかしな点があった。



確かにリーゼロッテはクライスラー家の末娘として国の戸籍に登録されている。



けれど、どんなに探しても彼女の出生届は見つからなかったのだ。



クライスラー男爵が忌み子として扱っていたリーゼロッテの存在を隠そうと、届けを出さなかった可能性は充分にある。


けれど、ならば何故戸籍にだけは登録されているのだろうか。



書類の不備、紛失の可能性も考えられたけれど、ディーダーはどこか府に落ちなかった。




――彼女は本当に生まれたときからクライスラー家にいたのだろうか。






自分でもどうしてそんな疑問が湧くのか分からないまま、ディーダーはこのことを自分の胸だけにしまっていた。




けれど、つい最近その疑問をまた強く抱くようになったのは、帝国の象徴にある発見をしたからだ。






帝国の紋章は二匹の獅子と太陽のデザインから成っている。



それはもう何百年も受け継がれてきたものだし、ディーダー自身もよく見慣れたものだった。



しかし、先日の結婚式で宮殿に掲げられた国旗を見たときに、ふとあることに気付いたのだ。



普通、太陽のデザインならば球体に燃え盛る炎が描かれているものだ。



けれどモンデグリー帝国の紋章にはそれがない。ただ大きな球体を二匹の獅子が囲っているのだ。



誰しもがこれを太陽だといい、それに疑問を抱く者など今までひとりとて居なかったのだが――




ディーダー

これは……もしかして太陽じゃなく、月……なんじゃないですかね……?




ふとそんな疑問が湧き、ディーダーの中で何か絡まっていた糸がほどけた気がした。


ディーダー

もしも――この国の守護が太陽ではなく月だったとしたら……?





どうしてこの紋章が制定されたのか、あまりにも古い歴史の中でその理由は失われてしまった。



そして理由が語られなくなったと同時に、人々は月を太陽だと思い込み間違った解釈が伝わるようになってしまったのだとしたら――。



モンデグリー帝国が守護として崇め掲げてきたのは燃え盛る太陽ではなく、神秘の月ということになる。




それに気付いたとき、ディーダーの頭に浮かんだのは月光の下で出会った不思議な少女のことだった。



この世のものとは思えない美しさと白銀色の髪を持ち、人の常識や知識を持たず、ひたすらに無垢で純粋な少女。



その少女は今や帝国の皇后陛下の座に着いている。この国に大いなる平和を引き連れて。



ディーダー

帝国を護る月神の御手……とは、考えすぎでしょうかね




ディーダーは煌々と降り注ぐ月光を仰ぎながら目を細めた。



そして、新しくリーゼロッテの寝場所となった皇帝夫婦の寝室がある東翼の窓を眺めて、ゆるく首を振る。



ディーダー

考えすぎですね、きっと

ディーダー

まあ、僕はフォルカーさまがお幸せならそれでいいんですけどね。たとえリーゼロッテが何者だって



ディーダーは、きっと今頃幸福に満ちた時間を過ごしているだろう主のことを考えて楽しそうに肩を竦めると、月光を背中に浴びながら部屋へ戻っていった。















【おわり】
















◇終章 月下の娘

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