◇六章 審判は満月の夜に(2)






















輝く月光の下、リーゼロッテを十字架から降ろし救い出したフォルカーは凛々しく、健やかな顔をしている。



それを目の当たりにして、アレクサンドラは零れそうなほど目を大きく見開き、観覧席の手すりに身を乗り出すほど驚愕した。



もちろんバルバラやディードリヒも、集まった民衆も、颯爽と現れたフォルカーの姿に驚きで唖然としていた。



化け物に憑りつかれ、原因不明の病に伏せり命すら危ういと言われていたのはなんだったのか。


単なる噂だけではない。宮殿の者達は皆、フォルカーの顔色が日に日に悪くなって衰弱しているのを目の当たりにしていたのだ。


それなのに、今のフォルカーは微塵もそんな様子を見せていない。



ざわざわと広場がどよめき出すと、フォルカーはリーゼロッテを抱き寄せ民衆に向かって声高に叫んだ。



フォルカー

我が名はフォルカー・エドゥアルド・ディードリヒ・フォン・コルネリウス! この帝国の皇位継承権第一位保有者の皇太子だ!




その堂々とした出で立ちに、皇太子の凶報に不安を抱いていた民衆たちが喜びの声を上げ始めた。


国民 男

ほ、本物……だよな? 本物の皇太子さまだよな?

国民 男

あの美しく堂々とした出で立ちは間違いなくフォルカー皇太子殿下だ! 本物のフォルカーさまだ!

国民 男

化け物の呪いが解けたのか? いいや、そんなことはどうでもいい! フォルカーさまがお元気になられたんだ!

国民 女

フォルカーさま! フォルカー皇太子殿下、バンザーイ!




皇太子の復活に、人々は安堵し歓喜する。フォルカーの名を声を合わせて称え、感激に涙するものもあった。


しかし。


バルバラ

な……なぜ!? あなたは病に伏せっていたのではないのですか? フォルカー!





とても息子の回復を喜んでいるとは思えない様子で、バルバラが観覧席から処刑台に向かって叫んだ。



そんな彼女を見上げ、フォルカーはニヤリと笑ってみせる。


フォルカー

なんのことですか、皇后陛下? 私は至ってこの通り健康です。病になど全く犯されていませんが?

バルバラ

そんなはずは……!? だってあなたは……そ、そこにいる化け物に憑りつかれていたんでしょう!?

フォルカー

化け物? まさかこの美しい少女のことじゃありませんよね? 皇后陛下の審美眼は以前からおかしいと思っていましたが、ついに本質すら見極められぬほど心が腐りましたか



バルバラの美への執着を否定する言葉を浴びせながら、フォルカーはまるで見せ付けるようにリーゼロッテの肩を愛しげに抱く。



その台詞と行動に、怒りと嫉妬を煽られたバルバラとアレクサンドラは感情を剥き出しにした。


バルバラ

な、何が審美眼ですか! 無礼者! そんな薄気味の悪い女は化け物に違いないのよ!

アレクサンドラ

そうよ! 現にフォルカーさまは呪いにかかったじゃない! 高熱にうなされて死ぬところだったんでしょう!? それは間違いなく化け物のせいですわ!



けれど、そんな彼女たちに口を挟んだのは、今度はディーダーだった。


ディーダー

ほうほう、高熱に。それはアレクサンドラさまもご心配されたでしょうね

アレクサンドラ

そ、そうよ!わたくしはフォルカーさまを心配してここまで駆けつけたんですから! 化け物のせいでわたくしの婚約者が日に日に弱り、ついには高熱を出して痙攣して倒れたと聞いて、心が張り裂けそうだったわ!

ディーダー

ほうほうほう、高熱に痙攣ですか

ディーダー

おかしいですねえ、フォルカーさまは体温が下がり身体が動かないと宮廷医師は発表したはずなんですけどね。どうして真逆のことを仰ってるんですか? アレクサンドラさま?




ディーダーが口角を上げてニヤリと言った台詞に、アレクサンドラは驚愕の表情を浮かべて自分の口元を抑えた。


ディーダー

ああ、そういえば

ディーダー

あなたの国で摂れる珍しい毒花には、そんな症状が出る成分が含まれてるそうですねえ




ディーダーは口元こそ笑ってはいるが、瞳は射抜かんばかりにアレクサンドラを睨みつけている。



彼の放った言葉に広場の民衆はもちろん、観覧席のディードリヒも目を瞠った。


ディーダー

まるでフォルカーさまが高熱と痙攣の症状が出る毒素で倒れたと思い込んでる口振りでしたね。はてさて、どうしてですかね? アレクサンドラさま?




容赦なく責め立てるディーダーに、アレクサンドラは動揺を隠せない表情を浮かべた。


アレクサンドラ

な、なにを言ってるの? ちょ、ちょっと間違えただけじゃない……

ディーダー

そうですか。ところでね、毒といえば先日宮殿のゴミ捨て場から面白いものを見つけたんですよ




そう言って彼がポケットから取り出したのは手の平に収まる小さな瓶だ。



それを目にしてアレクサンドラの顔色が変わる。


ディーダー

瓶に残っていた成分を解析してみたんですけどね、中にはどうやらロマアール国原産の毒花から調合した毒が入ってたみたいです

ディーダー

おかしいですね、こんな物騒なものがうちの国にあるなんて。まるで毎日の食事に徐々に混ぜて、誰かの殺害を計った証拠みたいじゃないですか

アレクサンドラ

わ、私は知らないわ! そんなもの!




ジリジリと核心を突かれ焦ったアレクサンドラは、ディーダーの手中に容易くはまっていく。自らが容疑者のひとりだと言わんばかりに、声を張り上げてしまった。



彼女のそんな姿を見て、ディーダーは口元をゆがめ皮肉に笑った。


ディーダー

ええ、誰もアレクサンドラさまが関わってるなんて一言も言っていませんよ

ディーダー

けどね、この毒花は大変希少なものですから手に入れられる人物は限られています。この道に精通している薬師の協力があれば、どのルートで入手したのか調べれば簡単に犯人は分かっちゃうんですよ

アレクサンドラ

ひ……っ




一切の慈悲を与えないディーダーの冷たい眼差しと尋問に、アレクサンドラは恐怖を感じ顔を引きつらせた。


もう逃げ場がないと本能的に悟って、額に汗が滲む。


ディーダー

こういう計画はね、ツメが甘いと台無しになるんですよ。フォルカーさまの身を365日案じてる僕が厨房のゴミをチェックしない訳ないでしょう。瓶はきちんと処分するよう手先の女官に言いつけておくべきべきでしたね、アレクサンドラさま




広場にいた人々もディーダーの話を聞いてついにどよめき出した。


国民 男

アレクサンドラさまが毒を……?

国民 女

まさか、フォルカーさまを毒殺しようとしたの?

国民 男

おい、とんでもないことを言うなよ。アレクサンドラさまはフォルカーさまの正妃になる方だぜ。なんでそんな方が毒殺なんか企むんだよ。それにフォルカーさまはあの通りピンピンしてるじゃねえか




観覧席のアレクサンドラと処刑場のディーダーに注目が集まる。



毒殺容疑は衝撃的だが、証拠も不十分だし動機も不明だ。アレクサンドラとディーダー、どちらの言い分が正しいのか判断がつかない。



そこにすかさず口を挟んだのは、バルバラだった。


バルバラ

ディーダー! あなたは誰にものを言っているか分かってるのですか! 皇太子殿下の婚約者で未来の皇后ですよ! これ以上無礼を働くならただじゃおきませんよ!




けれど、それに対峙したのは今度はフォルカーだった。


フォルカー

ではディーダーに代わって私が説明しましょう

バルバラ

な……!?




フォルカーの真剣な瞳に見据えられ、バルバラが僅かにたじろぐ。


フォルカー

食事に毒を混入され続けても無事だったのは解毒剤のおかげです。私の優秀な部下が先手を打って解毒剤を用意しておいてくれていたのでね




そう言ったフォルカーの後ろで、ディーダーはくすぐったそうに肩を竦めて笑った。



けれど、フォルカーに肩を抱かれたままのリーゼロッテは密かに眉根を寄せる。



いくら解毒剤があるとはいえ毎日毒を摂取し身体の中でそれを打ち消していたのだ。いつか健康に害が出るのではないかと、ずっとリーゼロッテはフォルカーを心配していた。いくら敵を油断させるためとはいえ、あまり無茶をしないで欲しいと。



そんなリーゼロッテの様子に気付き、フォルカーは安心させるようにさらに強く彼女の肩を抱き寄せた。



そして、観覧席のバルバラと――アドルフを強く睨みつける。


フォルカー

アレクサンドラが私を殺そうとした理由は、あなたが一番よくお分かりでしょう、バルバラ皇后

フォルカー

共に結託し私を殺すことであなたの愛息子アドルフを次の皇帝にし、宮殿の政務をいいように操ることが真の目的なのですから



フォルカーが放った言葉は、まるで雷のように広場に衝撃を走らせた。


ディードリヒ

な、なんだと……!?

アドルフ

なんだって!?




観覧席のディードリヒもアドルフも驚きに目を見開き、席から立ち上がって身を乗り出した。



バルバラは真っ青になった顔を扇で隠しながらも「な、なんてデタラメを……」と、それでもまだフォルカーの言葉を否定する。



けれど、そんな彼女の瞳に、決定的な証拠が突きつけられた。


バルバラ

そ、それは……!! なぜお前が……!?




フォルカーが皆に見せるように高々と掲げて見せたもの。


それはコルネリウス家の家宝の指輪だった。


アドルフ

あーっ!! それは俺がディアナに贈ったやつ! どうして兄上が!




驚きの声をあげ、手すりから落ちそうになりながら身を乗り出して、アドルフは見覚えのある指輪を凝視した。




そして彼はようやく気付く。フードを外しフォルカーに肩を抱かれながら観覧席を見上げた少女が――誰なのかに。


アドルフ

お、お前はディアナ! ど、どういうことだ? どうしてディアナが化け物なんだ? それにその髪色は……?




まだ少年でありながら己の立場を過信し横暴な性格に育ってはしまったけれど、根は純粋なのだろう。


どうやら母達の謀を全く知らないまま皇帝に祀り上げられようとしていたアドルフは、今起きていることがさっぱり分からない様子だ。



素直に目を白黒させているアドルフを見上げ、フォルカーは少しだけ胸の奥で安堵を覚えた。


血が繋がっていないとはいえアドルフは家族で弟だ。まだ幼い彼が母親の残酷な悪事に加担していなかったのは幸いといえる。



けれど、これから彼にとっては残酷なことを告げねばならないと思うと、やはりフォルカーの胸は少しだけ痛んだ。


フォルカー

バルバラ皇后。これがコルネリウス家に伝わる家宝で、どんな意味を持つか。あなたはもちろんご存知ですよね?

フォルカー

皇后から次期皇帝となる息子へ健勝を籠めて贈る指輪、それに継承権第二位のアドルフの名を刻み贈ったのは……何故ですか




ギリ、と奥歯を噛みしめる音が聞こえそうなほどバルバラは顔を歪ませた。

息子可愛さのあまり気持ちが先走って、フォルカーを始末し終える前にアドルフに指輪を渡してしまったことを、彼女は激しく後悔する。

バルバラ

アドルフ……! あの指輪は人に見せてはいけないと言った筈です……!

アドルフ

だ、だって。ディアナに俺が皇帝になる男だってことを証明したくて……




鬼のような形相をする母親を前にして、アドルフは自分が大きな失態をしてしまったのかと青ざめる。



オロオロとうろたえながら、アドルフは処刑場のリーゼロッテに向かって大声をかけた。


アドルフ

ディアナ! どうして指輪を兄上に渡したんだ! それは俺がお前に公妾の約束として贈ったものだぞ!




浅はかにもリーゼロッテへ求愛したと暴露してしまったアドルフに、バルバラとアレクサンドラがまたしても憎悪を燃やす。


アレクサンドラ

やっぱりあの女は宮廷中を引っ掻き回す悪魔だわ! アドルフさままでたぶらかそうとして!




今までうろたえてばかりだった司教や他のバルバラ派の大臣達も、それを機にリーゼロッテを糾弾した。


司教

そ、そうだそうだ! この化け物め! フォルカーさまを憑り殺した後はアドルフさまのお命を狙おうと思って近付いたんだろう!

大臣

さてはおふたりをたぶらかし宮殿の内部分裂を狙っているな! 悪魔め!




なおもリーゼロッテに罪を被せようとする言葉に、広場の民衆達も戸惑いざわつき始める。


国民 女

皇后さまとアレクサンドラさまは本当にフォルカーさまを殺そうとしたの?

国民 男

信じられないよ。やっぱりあの少女の罠じゃないのか?

国民 男

でも毒薬の瓶に指輪まで、証拠があるんだぞ

国民 女

けどさあ、自国の皇后とどこの誰だかも分からない少女。どっちを信じるって言ったら……ねえ?




フォルカーとディーダーはそんな声を耳にし、忌々しげに眉を顰める。



けれど。




リーゼロッテは臆する様子を見せず、強い意思を籠めた眼差しで観覧席を見上げると凛と通る声で宣言した。















リーゼロッテ

アドルフさま、私はディアナではありません。私の名はリーゼロッテ・クライスラー

リーゼロッテ

私はフォルカーさまだけを信じ、愛する者。例え地獄の業火に焼かれようと、私が愛し心を捧げるのはフォルカーさまただひとり。他の誰のものにもなりません




月光に白銀の髪を煌めかせ朗々と言い切ったリーゼロッテの姿に、広場中の人間が見惚れた。



なんの後ろ盾もない少女の言葉なのに、その声に絶対的な響きを皆が感じていた。



まるで、神の啓示を授かったように。


【つづく】









◇六章 審判は満月の夜に(2)

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