撫子

弟子に一人で抱え込むなってお説教したんですから、私だってお師匠様に抱え込ませたりなんかしません!!

 貴方に、これ以上の悲しみも、絶望も、一人で背負わせたりはしない。
 この心に、貴方の信頼を裏切る想いがあっても、それを押し殺してでも、私は傍にいる。
 撫子はフェインリーヴの背中にしがみつきながら訴えると、止め処なく流れる涙と共に頬を擦り付けた。

フェインリーヴ

だが、……俺は、俺、は……っ。

騎士団長・レオト

どうしても自分の手で、って、そう思うなら、俺達も一緒にやる。でないと、一生許してやらないからな。

側近

そうですよ、陛下。ブラウディム様も、狂気に支配されていようと、本心では、壊れる前の優しい心根のブラウディム様なら、それを望まれるはずです。

 だから、もう一人で何もかもを背負おうとしないでください。
 撫子の言葉に、フェインリーヴの双眸から……、透明なそれが伝い落ちていく。
 まるで、今まで泣く事の出来なかった子供が、初めて本音をさらけだせたかのように。

ブラウディム

くっ……、やはりいけない。君達のような存在が傍にいれば、フェインは駄目になってしまう!!

 もうどこかに行く事も出来ない程に傷つき座り込んでいたブラウディムが、撫子達を睨み付けた。
 優しい笑みの叔父、もうそんな顔はどこにもない。
 自分の愛する子供を奪われた親のように、彼はゆっくりと立ち上がる。

ブラウディム

ラヴェルノ……、私に力を貸してください。フェインを、私の可愛い甥を、幸福な未来へと導く為に。

ブラウディム……、どのような代償を求められようと、力を求めるか?

 男か女かもわからない、得体の知れないその声が、撫子達にも届いた。
 ラヴェルノ……、漆黒の堕天使。
 近くにいるというのだろうか。

 その雄々しき姿に、誰も圧倒されて息を呑んだ。
 盛り上がった男らしい筋肉、鋭い威圧感のある眼光。その背後に見える、巨大な大翼……。

側近

あれが、ラヴェルノ……。確かに翼がありますが、……陛下よりも魔王っぽくないですか?

騎士団長・レオト

確かに……。俺も前に別のラヴェルのと会った事はあるが、それぞれに姿が違うらしいんだよな。竜型もいれば、人間型や猫型、もう共通点は漆黒の翼だけらしくてさ……。

撫子

……。

 雷光と共に、上空高くに現れたラヴェルノ……。
 それは眼鏡の男が言うように、フェインリーヴよりも外見が遥かに魔王過ぎる化け物だった。
 撫子はその恐ろしい姿をじっと見上げながら、――叫んだ。

撫子

ま、マッチョ!!

側近

……。

騎士団長・レオト

うん、確かに……、マッチョ、だね。

 今言う事がそれか!!
 眼鏡の男とレオトの内心は、きっと全力で一致していた事だろう。
 けれど、撫子は興味深げに大魔王、ではなく、ラヴェルノを見上げたまま、悔しそうに文句を口にし始めた。

撫子

もうっ、だから言ったじゃないですか!! お師匠様!! 普段からちゃんと体力づくりをして肉をつけないと、ひょろっこ男子全開になりますよって!! 見てくださいよ!! 完全にイメージ負けしてますよ!!

フェインリーヴ

なぁ、撫子……。この非常に辛い状況下で、俺は泣けばいいのか? それとも怒り狂えばいいのか? なぁ、どっちだ。

側近

お二人とも、今はそれどころじゃありませんからね。ラヴェルノとブラウディム様が契約をさらに強化させるその前に、いきますよ!!

 ラヴェルノがこちらに降りてくる前にと、一斉に決意を固めてブラウディムに飛びかかる!
 レオトの引き抜いた剣の鋭い刃がブラウディムの腹部を斬り裂き、眼鏡の男が放った氷撃が両足に突き刺さった。
 撫子も我に返り、炎撃の呪を唱え符を投げつける!
 

フェインリーヴ

叔父上……!! 狂い歪んだその心に、永久なる休息を!!

ブラウディム

ぐぁああああっ!!

 撫子達からの一斉攻撃で大ダメージを受けたブラウディムの身体が、どさりと糸の切れた人形のように地へと沈んだ。
 大量の血溜まりが……、彼の死にゆくその姿が、撫子達の心に深い傷を刻み付けてゆく。

フェインリーヴ

叔父上……。

ブラウディム

あぁ、……あぁぁぁぁ、……はぁ、ぅぅっ、フェイン、フェイン……、私は、お前の為に。

シャルフェイト

違う、だろうが……っ。いつまで、兄貴のせいに、してんだよっ。この、クソ叔父貴っ。

撫子

しゃ、シャルさん!? 

 先代魔王の魂を呼び寄せる贄として命尽きたものかと絶望していたが、彼はポチの背中に身を預けながら近寄ってきた。
 死にかけに近い状態ではあるが、今治療を行えば、助かるかもしれない。

ポチ

大丈夫だ。すでに治癒の術はかけてある。時期に回復していく事だろう。

騎士団長・レオト

サンキュー、ポチ。

ポチ

恐らくは、シャルの中に眠っていた大量の妖で事足りたのだろう。これの命を奪うまでには至らなかったようだ。不幸中の幸い、というやつだな。

 ポチの背中から、今まさに息を引き取ろうとしているブラウディムに向けて、シャルフェイトの憐みを宿した視線が注がれてゆく。

シャルフェイト

アンタは……、子供の道を、自分の手で作ってやってる、って……、そう思ってるんだろうが、……余計な、お世話だっ。

ブラウディム

シャル……。

シャルフェイト

俺も……、人の事は、言えない、けど、な……。それでも……、アンタが間違ってるって事だけは、……わかって、ほしい。

ブラウディム

はぁ、……ぐっ、どう、して……。お前も、兄上のように、強大な力を持つ魔王に……、憧れを、抱いて……、いた、のに。

 ブラウディムの言うとおり、シャルフェイトはその想いに従って、父親を討った兄に反旗を翻した。
 その過去を否定する気はないのだろう。
 傍に寄った撫子の支えを受けながら、シャルフェイトは地に足を下ろしていく。

シャルフェイト

桃音が、言ってた……。子供、ってのは……、いつか、親の手を離れて……、大人に、自分の道を……、自分の意思で、決めるもんだ、って。それが、間違って、いようと……、正しかろうと……、構わない、と。

 いつまでも親に手を引かれている立場ではいけない。だから、子供はいつか、自分の足で歩きだす。
 その結果、どんな未来が待っていようと……。
 彼らは選ぶ。自分の生きる道を、在り方を。

シャルフェイト

親、ってのは……、見守る、だけで……、いいんだ。道を作ってやらなくたって……、兄貴は、自分の足で、歩いて、いける……。

フェインリーヴ

シャル……、お前。

シャルフェイト

はぁ、はぁ……。俺も、さ、間違えて、ばっかの、生き方、しか……、出来なかった、けど、な。それでも……、桃音は、言ってくれたんだ。

どんな結果であろうと、自分の足で歩いてきた事に間違いはないんだよ。成功も、失敗も、全部全部ひっくるめて、未来を創っていく力になるんだから。

そうやって、頑張って歩いて歩いて、――私の所にやって来てくれた君が、私は大好きだよ。シャル。

シャルフェイト

だから、兄貴の未来も、生き方も……、アンタのもんじゃないって事を、自覚しろよ。

ブラウディム

違う……っ、違うっ、私は……、間違ってなど、いないっ!! フェインの未来は、私が導いてやらなければっ。

フェインリーヴ

叔父上……、俺は、貴方の道具じゃない。

ブラウディム

――っ!!

 突き放すかのように放たれたフェインリーヴの冷たい音に、ブラウディムの瞳から紫の涙が零れ落ちていく。必要ない。自分は転ぶ度に助け起こされる子供ではなく、自分の足で歩いて行ける、転んでも、自分の力で起き上がれる、――大人なのだから、と。
 撫子やレオト達も、それに同意するように頷きを見せる。

フェインリーヴ

父上は、死ぬ間際に言っていた……。――やっと、俺を殺してくれたのか、と。

ブラウディム

あ、兄上がっ!? そ、そんな……、うぅっ、そんなわけがっ。

撫子

お師匠様のお父様も、本当は嫌だったんじゃないですか? 力に任せて恐怖で人を支配する事の虚しさを抱えながら、引き返せなくて、元に、戻れなくて……、だから、お師匠様に討たれた時に、ようやく、解放されたんじゃないかと、そう、思います。

 そう考えれば、フェインリーヴに遺した言葉の意味に納得がいく。
 誰かに止めてほしくて、そう願いながらも、恐ろしい魔王として在り続けた先代。
 ブラウディムの目から徐々に光が消え始め、彼の手が、フェインリーヴに向かって伸ばされた。

ブラウディム

兄上……、兄上は、絶大なる支配者となっても、幸せでは……、ごほっ、ごほっ、……はぁ、はぁ、なかった、の、です、か?

 その問いに応えるかのように、フェインリーヴの表情に変化が現れた。

フェインリーヴ

許せ……、ブラウディム。俺は……、魔王の子として生まれた事を、一度たりとも、幸せだと思った事はなく、魔王で在り続けていた間も、絶望と悲しみに苛まれる日々ばかりだった。狂わなければ、耐えられぬ程に……。

 だから、実の息子が自分を討ってくれたあの瞬間に、ようやく待ち望んでいたその時が訪れた。
 もう、誰かの心を踏み躙り、その命を奪う事もしなくていい……。
 撫子の目には、それはフェインリーヴによく似た男性の姿が重なって見えた。
 穏やかな顔つきで、涙を零しながらずっと言えずにいた心中を吐露する男性……。
 あぁ、この人は……。

撫子

お師匠様の、お父様だ……。

ブラウディム

兄、上……。

 伸ばされていたその手を、フェインリーヴの温もりが強く握り締めた、その瞬間。
 先代魔王の強大さに魅入られていた、哀れな叔父の命の灯が……、時が来たかのように、燃え尽きた。

撫子

……安らかに。

フェインリーヴ

我が弟が迷惑をかけた……。俺も、すぐにブラウディムの後を追いかける事としよう。――だが、その前に、シャルフェイト。

シャルフェイト

え……。あ、えっと……、親父、なんだよな?

フェインリーヴ

お前にも、寂しい思いをさせた。俺が自分の中の狂気や力を正しく制御し、フェインのように……、魔界を変える努力をしていれば。

シャルフェイト

あ~……、まぁ、俺的には、アンタを目指してるって生き甲斐があったんで、うん……、恨んだりはしてない。……一回くらい、褒めてほしかった、と思わなくはないけど。

 少し拗ねたように横を向いたシャルフェイトの頭を、フェインリーヴ……、いや、その中にいる父親が優しげな笑みでくしゃりと撫でてきた。
 途端に真っ赤な顔で視線を彷徨わせたシャルフェイトが見上げると……。

フェインリーヴ

今まで、よく頑張ってきたな。

 ――父親らしい、温もりのある表情がそこには在った。シャルフェイトの目に、じわりと涙の粒が浮かぶ上がる。

シャルフェイト

親父……っ。

フェインリーヴ

そして、フェインにも面倒なものを背負わせた……。贖う事の出来ない、不甲斐ない父親だが、冥界に戻っても、俺はお前達兄弟の幸せを願っている。――お前達も、フェインやシャルを、どうかよろしく頼む。

側近

御意のままに。末永く、現魔王陛下の御世を支え続ける事を誓いましょう。

騎士団長・レオト

友達だしな。頼まれなくても支え合って生きていくさ。

 しっかりとした頷きで先代魔王の頼みを受け入れた一同に笑みを深めると、フェインリーヴの身体を借りている者が、遥か上空を見上げた。

放置されていたラヴェルノさん

……。

撫子

……。

側近

……。

騎士団長・レオト

……。

シャルフェイト

あれの事、完全に忘れてただろ? アンタら。

 うん、思いっきり忘れてた!!
 とは、なかなか素直に言えない面々である。
 なにせ、契約の強化が成される前にと総力戦に臨んだわけでして、その最中にも、特に何も仕掛けて来なかったわけで……。

撫子

普通忘れますよ!!

理不尽な目に遭っているラヴェルノさん

……。

撫子

忘れまくって当然ですよね!?

騎士団長・レオト

撫子君!! それ以上は駄目だから!! あんなに巨大な化け物級の身体でも、なんか繊細そうな雰囲気醸し出してきてるから!! もう傷つけないでやって!!

 ラスボス感満載で登場しておいて、無言で何もしないでいる方が悪いのだ!!
 そう吼える撫子の口をむぎゅりとレオトが取り押さえ、ぷるぷると打ち震えるラヴェルノを可哀想に思いながら見上げた。
 シャルフェイトなどは、やれやれとまたポチの背に安息を求めて逃げ込んでいる。

フェインリーヴ

ラヴェルノよ、ブラウディムはもういない……。契約も中途半端なもので終わったはずだ。どこへなりと去れ。

ラヴェルノ

確かに……。契約は最後まで完了していない。だが、我はブラウディムを気に入っている。故に……、その望みを叶えよう。

フェインリーヴ

なんだと……? 代償はもうどこにもないとわかっているだろう!!

ラヴェルノ

代償は、そこにある……。

 大きな両翼を強く羽ばたかせたラヴェルノの腕の中に、遺体となったブラウディムが一瞬の瞬きの間に移動させられてしまった。
 その身体が黒紫の光に包まれ、硝子が砕け散るかのように……。

フェインリーヴ

――なっ!!

 まるで硝子がその場で砕け散っていくかのように、ブラウディムの躯(むくろ)は完全に星屑の如く霧散してしまった。
 ラヴェルノの手のひらに収まるぐらいの石がひとつ。

ラヴェルノ

これだ。これが欲しかった……。ブラウディムがその魂と共に抱いて生まれた、紫煌石(しこうせき)。これだけ良質な石は、滅多にない。

撫子

紫煌石……?

フェインリーヴ

どの種族においても、稀に特別なものを抱いて生まれてくる者がいる、とは聞いた事があるが……。紫煌石といえば、世界を守護する神の零した涙の結晶といわれている。

騎士団長・レオト

伝説級の代物だな……。まさか、そんな物がブラウディムの中に在ったとは。

側近

魂を奪われず良かったというべきか……。ですが、このままでは終わりそうにありませんね。何かする気ですよ。あのラヴェルノ。

 紫煌石を懐に入れると、ラヴェルノは先代魔王の意識が表に出ているフェインリーヴを愉し気に見下ろしてきた。

ラヴェルノ

ブラウディム……。お前の望んだ最強最悪の、絶大なる力を以って世界を支配する真なる魔王を、目覚めさせてやろう。

 ――恐ろしい予感と共に、撫子達の全身に新たな戦慄が血の流れを凍てつかせる程に、沁み渡っていった。

37・終わりを迎える者と、その果てに……。(※光効果注意)

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