どんなに抗おうと、叫ぼうと、フェインリーヴの身体はブラウディムの力によって傀儡と化されていた。
凶悪な力を撒き散らしながら闇夜をレオトと一緒に駆け抜け、撫子達は必死に逃げ回る。
きゃあああっ!!
くそっ!! 強制的にフェインの意識を操って動かしてるのか!! 本当に悪趣味だな!!
はぁ、はぁ……、撫子……、逃げ、ろ……、レオ、ト……、撫、子を……、まも、……ぐぅうっ、うぁああぁあああっ!!
ブラウディム様!! 陛下を真に思われているのなら、どうかこのような真似はおやめください!!
どんなに抗おうと、叫ぼうと、フェインリーヴの身体はブラウディムの力によって傀儡と化されていた。
凶悪な力を撒き散らしながら闇夜をレオトと一緒に駆け抜け、撫子達は必死に逃げ回る。
フェイン、遠慮はいらないよ。その手で、お前の一番大切な花を……、跡形も残らないように引き裂き、繋がりを絶ちなさい。そうすれば、お前の心は完全に無慈悲な魔王のそれとなる。
悪趣味な……っ。魔界を、いいえ、この世界も、外の世界も、全て大きな混沌の渦に巻き込む気ですか!!
お師匠様!! お師匠様!!
撫子、撫子……!! 俺は、ぁあああっ!!
フェイン……!!
レオト、撫子を守れ。俺達はブラウディムを殺る……。それしか方法はあるまに。
しかし、あの男は強大な力で我らを阻む。近づく事さえ難しいぞ。
あの男を八つ裂きにし、主様を助けたいっ。何か、何か方法はないのか!!
そうだ。たとえ先代魔王の魂を引きはがす事が今は出来なくとも、ブラウディムをどうにかすれば、フェインリーヴの暴走は止まるかもしれない。
撫子を抱えているレオトが頷き、何かを案を思いついたように仲間達へと視線を走らせた。
撫子君、少しの間我慢してくれ!!
は、はいっ!!
追ってくるフェインリーヴを巧みにかわし、天空高くへと飛んだレオトが、分厚い雲の中へと隠れる。
それを見届けたポチと、眼鏡の男も散りじりに飛んで行き、ブラウディムの目から逃げおおせていく。
フェイン、お前が大切に想うのは、私一人でいいのだよ。血の繋がった家族だけが、お前の愛すべき存在だ。
勝手にそんな事を決めるなあああ!!
お師匠様は、貴方の玩具じゃない!!
――っ!?
ブラウディムの後方から雲をぶち破って飛び込んで来たレオトと撫子が、彼の背中に向かって同時に術を放つ。
意表を突いたつもりだろうが、この程度では……。
ご主人様ぁあっ!!
ポチ!!
今じゃ!!
シャル!!
攻撃を回避する為に一度バランスを崩したブラウディムの注意が撫子達に向いている隙に、ポチ達が倒れ込んでいるシャルフェイトを鮮やかに奪い去って行く。
その子にはもう用がないからいいが、それで? 私をどうにかしないと、フェインはどんどん魔王の魂と力に侵食されていくよ?
じゃあ、そのフェインは今どこにいるんだろうな?
――っ!? フェイン!! フェイン!?
撫子達を追っていたフェインリーヴがその周囲にいないのはおかしい。
それに気付いたブラウディムへと、レオトがしてやったりと微笑んだ。
アンタの事は、フェインとよく似た叔父という事もあって、好意的に思っていた……。けどな、もう許さない。アンタは、フェインの、俺達の敵だ。
その場を飛びのいたレオトが、撫子を片腕だけで支え、右手を振り仰いだ。
どんよりとした雲間から何か小さく光るものが地上に向かって飛来し、ブラウディム目がけて飛んでくる。
――あれは!!
――――っ!!
ぐぅうっ!!
小さな人形めいた形のそれが強く光輝きながらブラウディムに飛び込むと、その後を追って来たらしきフェインリーヴが見事に轟音を立てて大衝突を引き起こした。
常備しといてよかったな……。身代わりマスコット君。
逃げてる途中でレオトさんが放り投げたあれに、まさか本当に引っかかるとは……。凄いですね、身代わりマスコット君。
特定の気配を人形に移して、それを動かしている間は、そちらの気配の方が色濃くなって敵の注意を引くという代物ですが、思わぬところで役に立ちましたね。
団員達にも必ず持たせてあるものなんだが、覚醒した魔王相手に効くかどうかは、……賭けだったけどな。
卑怯な手かもしれませんが、レオト殿の計画通り、ブラウディム様には効果覿面のようですよ。
地表を大きく抉り取るほどの衝撃と共に、自分の操っていた傀儡、もとい、フェインリーヴからの猛威を受けたブラウディムは、酷い有様となっている。
自業自得ではあるが、容赦なく受けた傷は凄まじく、身代わりマスコット君の効果はいまだ持続中だ。
フェインにとっては辛いだろうが、手段は選んでいられないからな。あとは……、息の根を止めるだけだ。
はぁ、……ぐっ、フェイン……! 私は、まだ……、お前の新しい道を見届けるまでは。
ゥゥゥウウッ!!
身代わりマスコットの効果を切る。始末をつけるのは、俺達の手でやってやろう。
殺さなくては……、いけないんですね。
そうです……。陛下がトドメを刺すその前に、私達も罪を背負いましょう。ですがお嬢さん。貴女はしなくていい。陛下の長年の友である、私達の役目なのですから。
それは暗に、撫子は部外者だと言われているも同じように思えた。
妖を払い、退治した経験はあれど……、ブラウディムのような対象を殺した事はない。
だから、怖くない、とは言わない。
けれど、自分一人だけ逃げたくなどなかった。
撫子は瞳に確かな決意の光を宿すと、レオトと眼鏡の男に伝えた。
私も、一緒に罪を背負います。
撫子君……。
流石は、陛下の寵愛を受けておられるお嬢さんですね。とても頼もしい……。陛下に代わり、感謝いたします。
ちょ、寵愛!?
いえいえ、自分はただの弟子その一ですよ!!
真っ赤になって否定する撫子の頭をくしゃりと撫で、眼鏡の男はふんわりと優しい笑みをくれた。
それに、たとえ操られてはいても……、陛下のご意思はまだそこにあります。一息にお嬢さんを殺さなかったのも、ブラウディム様がまだ生きていられるのも、陛下の優しさが、情が狂気と力を抑え込んでいるからこそ……。
苦しくて堪らないだろうな……。早く、助けてうやろう。
はい!!
くっ……、一度出した命令を強く固定し過ぎたからか。なかなか、動きを制御出来ないっ。
叔父……、上、……、俺を、父上の、魂を、……解放、して、くれっ。
駄目だよ。そんな事をしてしまったら、お前はまた、心優しいだけの魔王に戻ってしまう。
それの、……何が、悪いっ!! 愛する者を、民を守りながら、新しい魔界を創る事の、何が……!!
ぐぅうっ!! 駄目だ、駄目なんだよ……。優しいだけでは、魔界を導く事は出来ない。兄上のように、慈悲なき凶悪性を得なければ、すぐに殺されてしまう。
叔父の悲痛な言葉が、狂気な願いと共に伝わってくる。
確かに、フェインリーヴの情の深さや、今の魔界を統治している方針や考え方は、甘いものだろう。
誰かを信じても、いつか裏切られる日が来るかもしれない。理想を掲げる心優しい魔王を、嘲笑い、踏み付ける敵が。
くっ……、それでも、俺は……っ、父上のようにはなりたくない!!
フェイン!!
父上だって、本当はそう思っていたはずだ!! だから……、俺に討たれたあの日に、あの時に。
大切な家族を手にかけた、あの瞬間の恐怖と苦しみは、きっとフェインリーヴ本人にしかわからないものだろう。
狂気と絶対なる力に溺れ、他者を蹂躙し続けてきた父親の肉を引き裂き、その命の源を貫いた、あの瞬間の悲しみを……。
父親殺しの王子……。所詮は何をほざこうと、魔王の血族。
理想を唱え、父親である先代魔王を否定しながらも、結局は力でその座を奪い取った息子。
あの日から、フェインリーヴは常に、血塗られた重い罪と、自身の中の本質に怯えながら生きてきた。
けれど、いまだに気が狂わず、父親のようにならずに生きて来れたのは……。
先代の魔王、彼が手にかけた家族が最期に遺してくれた、あの言葉があったからなのかもしれない。
父上……、俺は、貴方のようにはならない。それが、親父の本当の望みだったのだから。
だから、フェインリーヴは叔父の傀儡となるわけにはいかない。
この身の内から聞こえてくる、父親の悲痛な声を、確かに感じているから……。
はぁ、はぁ……、貴方を標的と出来ている内に、片を着けさせて貰う。
どうして……、どうして、兄上の偉大さを、自分の力を、受け入れてくれないんだっ。
その兄と甥の心をわかっていないくせに、さも理解者であるような顔を、するなああああっ!!
お師匠様ぁああ!!
――撫子!?
新たな罪にその手を染めようとしていたフェインリーヴの心を抱き締めるように、彼の心がその愛しい響きを帯びた音に、動きを止められた。
弟子の私に無茶無謀や無理をするとなと散々言っているくせに、自分だけ勝手な事をしないでください!!
ぐっ、……俺に近づくんじゃない!! 今はまだ叔父上を攻撃対象に出来ているが、お前まで来てしまったら……!!
安心しろ。身代わりマスコットの効果が切れるまでにまだ時間がある。対象は変わらない。
効果を失う、その前に、――私達がブラウディム様を冥界にお送りします。
いいや!! 俺がやる!! これは、俺の責任なんだ!! 叔父上が、叔父上が病んでいると、気付かずにいた俺のっ!!
だから!! そういうのをやめてくださいって言っているんです!! お師匠様の馬鹿!!
ブラウディムを殺そうと動くフェインリーヴを後ろから羽交い絞めにし、撫子は訴える。
命令の最優先事項が撫子の抹殺となっているからか、ブラウディムに対する攻撃しか繰り出せないらしい。それと、フェインリーヴ自身の強靭な意志と理性が魔王としての力と行動を戒めているせいもあるのだろう。
辛そうに振り返ったフェインリーヴの目に、悲しみの涙に濡れる弟子の姿が映り込んだ。
――片耳のイヤリングが、確かな熱を帯びる。
私達は、いつもお師匠様と一緒です!!
――っ!!
胸の奥で、淀んだ歪みのある闇に侵食されていた心の泉に、大きな波紋が落ちた。
その身を苛む先代魔王の魂の脅威が和らぎ、まるでそれを逆に飲み込もうとするかのように、――光が生まれていく気がした。