撫子

ぁ……、あぁぁぁ、お師匠様、お師匠様っ!!

 何も出来なかった。
 癒義の巫女としての役目も、せっかくシャルフェイトが力を貸してくれたのに、何も成し遂げる事が出来なかった。
 フェインリーヴは絶望の闇、いや、父親の魂の光によって飲み込まれ、それが蠢く化け物のように撫子の目に映っている。

フェインはね……、父親に一番よく似ていると、その性質を評されていた弟よりも、本当は誰よりも、私の兄上に似ているんだ。

撫子

お師匠様は……、貴方のお兄様じゃ、ありませんっ。お師匠様は、お師匠様はっ。

そうだね。どちらも全くの別物だ。けれど……、兄上の性質を一番色濃く受け継いでいる子なのだよ。身の内の衝動を、魔族としての在り方に対するそれをどんなに抑えても、その本性は、魔王の血には抗えない。

 自分の大事な家族を裏切り、利用した挙句に何かを語るのか。
 撫子はブラウディムの腕の中から彼を睨み付け、真っ向から彼を否定する。

撫子

魔王だとか、魔族だとか、そんなものは知りません!! お師匠様は、誰よりも優しい、温かな人なんです!! 貴方の望むような存在になんか、絶対になりません!!

ふふ、お嬢さんはフェインの事を何も知らないのだよ。私はね、あの子が生まれた時から、ずっとその成長を見守ってきた肉親だ。内に何を隠しているかなど、手に取るようにわかる。

側近

ブラウディム様……。確かに陛下は、先代の魔王陛下を討ち果たす程にお強い御方です。しかし、その内なる強大さに翻弄されず、理性を保たれているあの御方の葛藤や苦しみを踏み躙るような真似をなさって、――本当に平気なのですか?

あぁ、平気だよ……。あの子の叔父として、私はその可能性を広げてあげたい。魔界だけでなく、全ての世界を統べる、素晴らしき絶対の魔王となれるように。

騎士団長・レオト

ふざけるな!! フェインはな……、誰かを踏み付けて生きるような父親のような存在になりたくなくて、必死に歯を食いしばって生きてきたんだぞ!! 誰かを壊すんじゃなくて、誰かをその心で包んで癒せるような存在になりたくて……、それをっ、よくも!!

ポチ

ブラウディム、貴様は強大な力による支配に心を壊された、愚かな男でしかない!! それほどまでに、お前の兄への思いは……!!

 そして、兄である先代魔王への陶酔は、恐ろしい事に、フェインリーヴへの歪んだ愛情となって害を生み出した。
 愛する兄と甥、フェインリーヴの中に先代魔王の力と魂をねじ込む事で、彼は自分にとって神のような、新たな存在を創り出そうとしている。

撫子

許さない……!! お師匠様を自分の欲望通りに変えようとしている貴方を、絶対に!!

はぁ……。理解しては貰えないのだね。君達もフェインの生まれ変わった姿を見れば、きっとこの幸福がわかるようになるというのに。

 ―― 一生理解などしない!!
 ブラウディム以外、全員一致の怒声が響いた。
 

撫子

狂うのは勝手ですけど、いい加減に現実を見てください!! 貴方は自分にとって大事な甥を、二人も犠牲にしようとしているんですよ!!

 空中から見えるシャルフェイトの姿は、すでに地へと倒れ込み、息をしているのかもわからない。
 自分が望む、絶対神のような大魔王を創る暇があるのなら、叔父として他にやる事があるだろう。
 撫子はブラウディムの腕の中で激しく暴れ、解放しろと叫びまくる。

くっ……。

 撫子の爪が、勢いに乗ってブラウディムの頬を傷つけた。
 一筋の紅……、ではなく、淀んだ紫の血が肌を伝う。支えを失った撫子の身体を、レオトがすかさず拾いに駆けつけてくれたお陰で、ようやく解放された。
 一方で、ブラウディムを見たフェインリーヴの側近、理知的な顔だちをした眼鏡の男が眉を顰め、呟いた。

側近

本当に……、命賭けの狂気を抱いてしまわれたのですね。ブラウディム様……。

ポチ

『ラヴェルノ』との契約を成していたか……。

撫子

ラヴェルノ……?

騎士団長・レオト

古の種族……、『漆黒のラヴェルノ』。その背に黒き両翼を抱く、別名、堕天使。数は減っているけど、実際にいるんだよ。その種族と契約を成すと、強大な力を扱えるようになる。

側近

ただし……、望みが叶ったその時。どのような代償を要求されるかは、私達にもわかっていません。

 命を奪われるのか、それとも、魂を喰らわれるのか……。ラヴェルノ達はそれぞれに好みが違い、何を要求してくるかは、当人同士にしかわからないそうだ。その漆黒の堕天使と……、ブラウディムは契約を結んでいる。その証が、契約者の身から流れ落ちる、淀んだ紫の血。
 その色の綺麗さや気配によって、どれだけの力を持つラヴェルノと契約を結んだのかがわかるらしい。

ラヴェルノと契約を成した私は、それまでこの身を不甲斐ないものとしていた病弱さとは無縁になった。まぁ、フェイン達の前ではフリをしていたわけだがね……。

撫子

そうまでして、恐ろしい魔王を生み出したい、と……。やっぱり、理解出来ません。

これはね、魔族にしかわからない感情なのだよ。それに、もう何をしても遅い……。ごらん、フェインが兄上と融合し、新しいあの子となる。

ウゥゥゥッ!!

撫子

お師匠様!!

側近

陛下!!

騎士団長・レオト

そこをどけ!!
ブラウディム!!

ポチ

ウォオオオッ!!

 フェインリーヴの許に辿り着きたくとも、ブラウディムの放つ敵意と殺気は誰をも阻んで、彼に近づけようとはしない。
 世界を巡る大気が、生まれ出でようとしている恐ろしい気配に震え、禍々しい闇だけが、この地を覆い尽くす。

ァアアアアアッ!!

やめろぉおっ!! 
俺は、オレハ……、グァアアアッ!!

ウゥアアアアッ!!

フェインリーヴ

ぐぅっ、あぁあっ、
はぁ、っ、くっ!!

撫子

お師匠様!!

 魂の光、いや、闇の奔流から解放されたフェインリーヴだったが、彼の肌にはおびただしい狂気の紋様が走っている。
 普段は澄み切った美しさを見せる、その双眸も、今は邪悪な気配が混濁し、彼を苦しめているように見えた。

あぁ、上手くいったようだね……。素晴らしい、兄上の魂と、可愛い甥御の力が美しく混ざり合い、魔界全土に新たな魔王の支配が満ちてゆく。

撫子

ふざけないで!! お師匠様を見てよ!! 全然喜んでなんかない!! 心の底から、悲しみと絶望の声をあげているのよ!!

今はそうかもしれない。けれど、この叔父が与えた輝かしい未来を歩んでいけば、いつか必ず、フェインはわかってくれるはずだよ。

 圧倒的な力の気配に酔いしれながら、ブラウディムはフェインリーヴの許に舞い降りていく。
 血の涙を流す甥を正面から抱き締め、その頬を右手のひらに包み込む。

フェイン……、思った通りだ。兄上とよく似た魂の輝きと、抑え込んでいた強大な魔力の本質が引き出され、お前は今、ようやく本当の自分になれた。

フェインリーヴ

叔父……、上っ。やめ、……やめて、くれ。俺は……、俺は、嫌だっ、はぁ、はぁ、俺を貴方の欲望で塗り潰すのは、ああぁぁっ、やめろぉおおおおおおおっ!!

 許せない叔父の存在を拒もうと力を放つフェインリーヴだが、何故かその攻撃は全くブラウディムを傷つけてはくれない。

恐れなくてもいいのだよ、フェイン……。私は、新しく生まれ変わったお前の親だ。兄上の魂を操る私には、決して抗う事は出来ない。

側近

なるほど……。そうですよね、苦労して創り上げた作品を、放置するわけがない。陛下のコントロールさえも、あの方が行うというわけですか。……救い様のないどん底末期ヤンデレと評するべきですかね。

騎士団長・レオト

そんな事言ってる場合じゃないだろう!! どうにかして、フェインと先代魔王の融合を解かないと、ただの化け物になり果てるぞ!!

撫子

一体どうすれば……!! 妖の他に、霊を相手にする事も確かにあったけれど、何か、何か役に立ちそうな知識を、お師匠様を救い出す方法をっ。

 徐々に自我を失っていくフェインリーヴを導くように手を引くと、ブラウディムが妖艶な笑みで撫子達を見上げた。

さぁ、フェイン……。お前を完全なる魔王とする為に、最後の仕上げをしよう。

フェインリーヴ

ぐぅうっ、い、……や、……だっ。や……、め、ろ……!!

 ブラウディムのしなやかで細い指先が、ゆっくりと……。

撫子

え……?

 しっかりとレオトの腕の中にいる撫子を見据え、目標を定めた。

摘みなさい。お前の本質を否定する、一輪の忌まわしき、花を。

撫子

――!?

 その無慈悲で冷酷な言葉に、撫子達の心を凍り付かせるような戦慄が駆け抜けた。

35・降臨せし絶望の傀儡(※光効果注意)

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