どんな攻撃の手を打とうと、黒紫の卵は何もかもを飲み込んでしまう。
側近達に指示を出し、フェインリーヴはそちらに叔父の注意がそれないかとタイミングを見計らい、撫子の許に飛んで行くが、妨害の手が多すぎて苛立ちが止まらない。
四肢を戒められ、先ほどまで叫んで暴れていた撫子の様子がおかしい事にも気付いた。
ぐったりと顔が俯き、抵抗をやめた弟子……。
まさか、生気の類を奪われているのではないだろうか。
フェインリーヴの鼓動が不安と焦燥に荒鐘を打ち、生きている心地がなくなっていく。
陛下、やはり駄目ですね。外部からの攻撃さえ飲み込むとは……、正真正銘の化け物ですよ、これは。
浄化法の術も併せて使ってみろ!! 弱点がないわけがない!! 必ず突破口はあるはずだ!! 諦めずにやり続けろ!!
何事にも全力で挑むのは、父親譲りだね、フェイン……。でも、無駄だよ。もうすぐ卵が孵る。兄上の魂が、シャルフェイトの許に舞い降りる。
どんな攻撃の手を打とうと、黒紫の卵は何もかもを飲み込んでしまう。
側近達に指示を出し、フェインリーヴはそちらに叔父の注意がそれないかとタイミングを見計らい、撫子の許に飛んで行くが、妨害の手が多すぎて苛立ちが止まらない。
四肢を戒められ、先ほどまで叫んで暴れていた撫子の様子がおかしい事にも気付いた。
ぐったりと顔が俯き、抵抗をやめた弟子……。
まさか、生気の類を奪われているのではないだろうか。
フェインリーヴの鼓動が不安と焦燥に荒鐘を打ち、生きている心地がなくなっていく。
撫子、撫子……!!
魔界の辺境から動かない叔父が目を付けた娘。
フェインリーヴにとって、その心を掻き乱す存在。
他とは違う、『特別』なのだと、本人さえ気付いていないその事実を知った叔父は、きっと彼女を人質という意味以外でも何かに使う気だ。
フェインリーヴは片耳に着けてある涙型のイヤリングに触れた。無意識に……。
ほのかに感じた熱にも気付かず、撫子に呼びかける。
撫子!! もう少し耐えろ!! すぐに助け出す!!
本当に大切なのだね……。このお嬢さんなら、きっとお前を……。
自分のしている事をわかっているくせに、叔父は嬉しそうに微笑んでくる。
大事な人と出会えて良かったね、と、そう祝福しているかのように。
けれど、その笑みが、――消えた。
――ん?
フェンリーヴと叔父の目に映った、薄桃色の光。
ぐったりとしている撫子の胸から生まれているその小さな光が急速に、溢れ出すように大きくなっていく。
何だ……、この力は、シャルの魔力と、もうひとつは。
シャル……、私に抗おうというのかい?
叔父貴……、
残念だったな。
諦めが悪いのは、お前もだったね……。けれど、私は、必ず望みを果たす。
シャル……、何をする気だ!?
フェインリーヴの頭の中にも聞こえた、弟の声。
得体の知れない力に飲まれたというのに、まだ無事でいてくれた。
卵を破壊し、シャルフェイトの命までも奪うと決めたフェインリーヴだったが、その声にほっと胸の奥が安堵した。
けれど、道連れ……、とは、一体。
まさか……!! 撫子が発している光と関係しているのか!?
だとするならば、考えられる可能性はひとつ。
癒義の巫女と凶獄の九尾……。
その二つがあいまみえた時、導き出される可能性は。
この場で封印に入るという事か!?
叔父に聞かせてしまえば不味いと思い、胸の中で叫んだ可能性。
だが、そんな事がすぐに可能なのか?
封印という行為を行うには、魔王であるフェインリーヴでもかなりの時間がかかる。
それも、対象が強大であればあるほどに。
妨害だらけの今の状態では、それも不可能だった。
けれど、弟と撫子は、それをやろうとしている。
シャル、お前と私、どちらが勝つのか……。今、結果を出そう。
叔父が余裕に満ちた笑みで指を鳴らした直後、卵の中から恐ろしい咆哮が生まれた。
巨大な黒紫の卵の表面に無数の亀裂が走る。
撫子の発する光が膨れ上がり、卵を包み込む。
撫子っ!!
全員が動きを止め、撫子とシャルフェイト、そして、叔父の思惑が生んだ卵が生み出す光景に息を呑み、次の瞬間を待つ。
ォォォォォォ……、ウォォォォォォォ……。
あれは……!!
この桁違いの魔力は……!!
な、なんじゃあれは!!
主様の抱えていた妖が、全て喰らわれている……!!
封印の光が握り潰されるようにはじけたその瞬間、黒紫の卵は完全にその姿を失った。
ぐらりと支えを失って落ち行く撫子を、叔父の腕がその温もりに拾い上げたのが見えた。
撫子!!
はぁ、はぁ……、お師匠様、ごめんなさい。
謝る事などないのだよ、お嬢さん。これは必然なる運命……。
距離をとった叔父を睨み付けながら、フェインリーヴは圧倒的な力の気配に視線を向けた。
巨大な魔術の陣が描かれているその中心に、四肢をだらりと垂れさせ、宙に浮いているシャルフェイトの姿が見える。
その胸のすぐ真上には、新たな卵……、いや、違う。
フェインリーヴが遠い昔にずっと聞いていた、討ち果たした後にも、何度も夢に見た、……忌まわしき者の声が、あの禍々しい光の中から聞こえてくる。
ワレハ……、マカイヲ、……トウチセシ、ゼッタイノ、……モノ。
父上……、なの、か?
まさか、本当に魂を呼び戻せるとは……。
くそっ……!!
あぁ、兄上……。私達の為に、よくぞ帰って来てくださいました。この時を、どれほど待ちわびた事か。
叔父上!!
なんという事を!!
ほら、ごらん、フェイン……。私達の魔王が、『息子』の力となる為に、戻って来てくださったのだよ。
息子の為……?
くそっ!! 冥界に送り返してやる!!
魂相手に攻撃が効くのかはわからない。
だが、恐らくは魂を招き寄せたシャルフェイトの肉体を破壊すれば、融合は防ぐ事が出来るだろう。
躊躇している暇はない。
フェインリーヴは弟と父親の魂の許へと飛び込んでゆく。
ぐっ!! 叔父上……っ。
やはり立ちはだかるのか。
シャルフェイトの前に壁として現れた叔父が放ってきた一撃に、フェインリーヴは左腕を引き裂かれた。
手加減したのだろう、牽制程度の傷だ。
しかし、ブラウディムの目に睨まれたフェインリーヴは、どさりと何かに押し潰されるかのような圧力で地に叩き落された。
もう少し待ちなさい、フェイン……。
グォォォ……、ブ、ブラウディ、ム……、カ?
お久しゅうございます、兄上。この痺れる程に甘美な力の気配、本当に懐かしい……。
オレハ……、ナゼ、……ブラウディム、オレハ……、ナゼ、ココニ、イル……? ソレニ……、ソコニイルノハ、フェイン……、カ?
父上……。ぐっ……、冥界に、戻って、くれっ。
……フェイン、……シャル、……ブライディム。オレハ……。
地に這い蹲る息子を、先代の魔王が見つめているような気配が生じる。
死した身である自分の状態をわかっているのかはわからないが、会話は可能のようだ。
父上、貴方はもう……、死んでいるんだ。はぁ……、くっ、早く、冥界、にっ。
せっかく父親に会えたのだよ? すぐに消えるとはいえ、話したい事は全部しておくべきだろう?
すぐに消える、だと? 叔父上、何を言っているんだ。父上を、シャルの身体を使って蘇らせる気のはずだろう?
兄上にもう一度会いたかったのも真実だが、私はね……。『完全なる次代の魔王』を見たいのだよ。
次代の、魔王……? まさか、父上の力をシャルに取り込ませ、新たな魔王に、自分の傀儡にする気か!?
しかし、叔父は薄く微笑んで首を振り、違うと否定を寄越してきた。
正確には、半分が間違っていると、フェインリーヴの傍に膝を着いて、その頬を撫でながら……。
私はね、フェイン……。お前が生まれ持ったその力を存分に揮わない事が、悲しくて仕方がないのだよ。
使う必要などない!! 今の魔界は、力だけに頼るその構図を変えなければならない!! だから、俺はこの魔界を変える為に、父上を討ったんだ!!
力による支配は、弱き者を楽にしてくれる……。中途半端な事さえしなければ、絶大な力による支配は、誰にとっても幸福なる悦楽となる。
それのどこが幸せだ!! 叔父上、これ以上俺を失望させないでくれ!!
心優しい叔父に戻ってくれ!!
そう願いながら、フェインリーヴは叔父と、その腕の中にいる撫子に手を伸ばす。
けれど、その途中で、――気付いてしまった。
叔父上、まさか……!!
兄上……、愛しい我が子の為に、お力をお貸しください。フェインが魔王として誇り高くあれるように、親として、この子の力に。
ブラウ、ディム……。
さぁ、始めよう。禁忌に手を染めてまで、私が願った未来を手に入れる為に。それがどんなに罪深く、我が身を滅ぼす事になろうとも……、私は見たい。――全ての世界が、お前にひれ伏し、その絶大な力に酔いしれる、その瞬間を。
やあっ!! お師匠様に何をする気なんですか!! いやっ、放して!! お師匠様!! お師匠様!!
撫子もまさかの予感に気付いたのだろう。
叔父の腕の中から必死にフェインリーヴの名を叫ぶが、空中高くへと連れて行かれてしまう。
叔父がフェインリーヴから遠のいた事で、レオト達が救出に飛び込んでくるが、先代魔王の恐ろしい咆哮が、その動きを阻む。
ウゥゥウウウウウウッ!!
ォオオオオオオ!!
ガルダウア原石は、質の高い物を集めれば、それは冥界の扉を開く鍵となる。実験を積み重ね得たこの結果……。もうひとつの鍵は、その魂に近しい血縁者、絆の強い者を死者の目印とし、ガルダウア原石の力と併せて導く。
もうやめてください!! 叔父さんなのに、どうして家族を苦しめるような真似をするんですか!!
家族だからこそ、望むのだよ……。――そして、ガルダウア原石はね。使い様によっては、死者の魂を操る事も出来る優れもの。今までその境地に辿り着けたのは、私を含めて何人いるのだろうね。
ガァアアアアッ!!
フェイン……、愛しているよ。絶対なる魔王をこの地に誕生させる為、私は実の兄をも贄に捧げよう。
叔父上……!!
陛下ぁああっ!!
フェイィイイン!!
叔父の合図と共に、先代魔王の魂の光が飢えた獣のようにフェインリーヴへと襲いかかった!!
抗う暇もなく、荒波のようなそれに飲み込まれ、彼の絶叫が響き渡った。
やめろぉおおっ!!
――そのおぞましい光景に、撫子の喉からも、悲しみと絶望の音が生まれ、世界を引き裂く程の震えが走る。
いや、いやっ、お師匠様!! お師匠様ぁあああああああああっ!!
そして、信じられない光景を前に、彼女がやがて見たものは……。