撫子

いやぁっ、嫌ぁああああっ!!

フェインリーヴ

撫子ぉおおおっ!!

 膨れ上がっていた黒紫の闇、いいや、巨大な卵のようになったそれの真上で、撫子は気色の悪い触手じみた物に捕らわれる羽目になった。
 フェインリーヴ達が救出に動いてくれているが、新たに生まれた無数の触手達が壁となるかのように襲いかかっていく。

ブラウディム

ふふ……。そのお嬢さんが私の役に立ってくれるのは、もう少し先なんだよ。だから、まだ駄目だよ。フェイン……。

フェインリーヴ

くそっ……!! 叔父上!! 貴方が何を企んでいようと、それは俺達家族の問題だ!! ただの人間でしかない撫子を巻き込むような真似はするな!!

側近

陛下、そんな常識的な抗議が通じるのなら、今回のような事態は起こりませんよ。……ブラウディム様は、どう見ても、病んでおられます。いえ、先代魔王陛下の亡霊に、とり憑かれておられるのかもしれませんね……。

ブラウディム

病んでいる、か……。そうだね、元の優しい兄上に戻ってほしいと願いながらも、一方で、やはり私も魔族。強大な力で支配される悦びを、兄上が死んだあの時に、初めて自覚したのだからね。

 支配される悦び……。
 それはどう考えても、受け入れたくはない蹂躙と身勝手な暴力のはずだというのに、何故、このブラウディムという男は、嬉しそうに語る事が出来るのだろうか。その姿にぞっとしたものを感じながら、撫子は必死に叫ぶ。

撫子

どうして、どうしてそんなものを望めるんですか!? 暴力や恐怖で誰かを支配するなんて、そうされて悦ぶなんて、私には理解出来ません!!

ブラウディム

お嬢さんが人間だからだよ。人間は弱く儚い。自分達を脅かす者に酷く敏感で、怯えやすい生き物だ。けれどね、魔族は違う。弱肉強食の掟は、ただ強者と弱者の在り方を表すものではなく、己にはないその強者の力に惹かれる、という意味でもあるのだよ。

側近

それは……、確かに、そういう部分もありますが、だからといって、ブラウディム様……。まさか貴方様がそんな事を望むなど。

騎士団長・レオト

だから、……狂ってる、って事なんだろうさ。先代魔王の、自分にとっての支配者が消えた事で、初めてその喪失感と……、悦びを求めた。

タマ

妖も、力強き者に従う事を屈辱と捕らえる者も多いが、圧倒的な力の差によっては、それに侍る事で悦びを感じる者も数多い。

クロ

魅入られる、という言葉が相応しいのかもしれない……。

 だから、ブラウディムは死んだ兄を求めているのか……。
 撫子には到底理解出来ないが、文字通り狂い病んでいる相手に何を言ったところで無駄だろう。
 その望みを叶えさせる前に、この卵を破壊しなくては。出来れば、中に取り込まれたシャルフェイトを、無事に助け出してやりたい。

ブラウディム

あぁ……、感じるよ。兄上がこの地に、私の許に帰ってくる鼓動の気配が。

フェインリーヴ

くそっ……!! お前達!! もう叔父上には構うな!! ――あの卵を、破壊するぞ!!

側近

シャルフェイト様の事はよろしいのですか?

フェインリーヴ

利用されて終わるより本望だろう!! 俺が全てを背負う!! 喰われるよりも先に、卵を消し去れ!!

 撫子の視線の先でフェインリーヴが凄まじい怒声を張り上げながら全員に指示を出す。
 迂闊に近づけば飲み込まれてしまいそうな黒紫の卵。それそのものが意思を持っている為か、触手だけでなく、様々な妨害の手が放たれてくる。

撫子

シャルさん、シャルさん……!!

 動く事さえままならない自分に悔しさを噛み締めながら、喰われたシャルフェイトの名を祈るように呼んでいると、――彼の声が聞こえた気がした。

シャルフェイト

……し、ろ。

撫子

え……。シャ、シャルさん!?

シャルフェイト

癒義のお嬢ちゃん……、役目を、果たさせてやる。

撫子

ど、どういう事、ですか?

 卵の中から聞こえてくる、シャルフェイトの声。
 まだ完全には喰われていなかったのだと、無事でいてくれているのだと知って安堵したが、彼の発言に嫌な予感を覚える。
 役目を果たさせてやる……。
 それは、癒義の巫女が負っている責務の事か?
 凶極の九尾を封じる御役目。
 それが、この立場を継いだ、撫子の役目。

シャルフェイト

お嬢ちゃんの持ってる、簪……。俺が、桃音にやった、……ぐっ、……それを、使うんだ。

撫子

タマの記憶を読んだお師匠様に聞きました。これは、貴方と初代様の愛の証だと。でも、これにはもう力は……。

シャルフェイト

ブラウディムに囚われていた時に、お嬢ちゃんの簪を一度見せて貰っただろう?

 シャルフェイトにそう言われ、確かにブラウディムが来る少し前に、彼が見たいというので一度手渡した記憶がある。あの時は、返すと申し出たというのに、シャルフェイトはそれを断った。
 愛しい人に贈った想い出の証なのに……。

シャルフェイト

その簪には、確かに何もなかった……。けど、それは、俺の許に来るまでの話で、桃音らしい仕掛けがあったんだよ。

撫子

初代様の、ですか?

シャルフェイト

普段はただの簪でしかないし、誰が触れても何も感じ取る事は出来ない。けれど、……俺の存在が近くに在る事で、時が来ると力が目覚める仕組みになってるんだよ。ついでに、俺がそれに触れると……。

 ――桃音の声を聴く事が出来る。

撫子

初代様の声を!? と、時を超えた伝言、って事ですか?

シャルフェイト

伝言には違いないけど、最初に聴こえたのは桃音らしい罵詈雑言アタックだったよ。

 確かに、簪を手に持っていた時のシャルフェイトは、最初に物凄く気まずそうな顔をしていたというか、むしろ何かに必死に耐えていたかのような感じだった気がする……。
 時を超えた、愛しい人への伝言。
 何故に罵詈雑言なのか……。
 初代様、もとい、桃音という女性が、ますますよくわからなくなってきた撫子である。

シャルフェイト

まぁ、昔を思い出せて楽しかったのが、正直なところだな。桃音は、自分の立場を継ぐ者達が、封印を解き放った俺の犠牲とならないように、簪を遺したんだろう……。ただ、君の場合は、俺との戦いの最中にブラウディムの介入が入ったから、この簪もその力を発揮しなかった。

 けれど、今は違う。
 シャルフェイトが、初代の巫女が遺した簪に触れた事で、もういつでも使える状態に仕様が変えられているらしい。

撫子

でも、……これを使って、封印が出来るのだとしても、それをやったら、シャルさんは。

シャルフェイト

この悪趣味なゲテモノと一緒に、この地で眠る事になるな。

撫子

そ、それで良いんですかっ? せっかく故郷に帰って来れたのに、お師匠様が、お兄さんがすぐそこにいるのにっ、何も語らずに封じられるなんてっ!!

シャルフェイト

どちらにしろ、マシなのは封じられる方だからな……。叔父貴の望みを果たさせるくらいなら、最後まで足掻いて、目にもの見せてやるさ。

 シン……、と、静まった互いの心。
 シャルフェイトは本気だ。
 先代魔王の器となる前に、ブラウディムの企みを潰す。その為に、撫子に、癒義の巫女としての役目を果たさせる。
 本当にいいのだろうか……。
 いや、フェインリーヴ達が卵を破壊する行動に出ている以上、死ぬよりも、封じられた方がまだマシかもしれない。
 そうすれば、いつか……、シャルフェイトだけを救い出す方法を、撫子の信頼するお師匠様が、見つけ出してくれるかもしれない。

撫子

やります……。けれど、これは、お別れの為じゃありませんっ。貴方を封じた後、私はお師匠様と一緒に、シャルさんを助け出す方法を必ず見つけ出します。

シャルフェイト

……お嬢ちゃん。

撫子

絶対に。

 撫子の決意に、シャルフェイトが息を呑むような気配が伝わってきたけれど、その後に聞こえたのは、優しげな苦笑の気配だった。

シャルフェイト

流石、桃音の血に連なる……、いや、違うな。お嬢ちゃんは強い。絶対に希望を見失わないその心に……、まぁ、頑固ともいうけど。そんな姿に、兄弟揃って、魅せられているのかもしれないな。

撫子

へ?

シャルフェイト

さてと、時間がないからさっさとやってくれ。音も何もいらない。ただ、心の中で桃音が用意した呪を、強い思いを籠めて紡げばいい。

撫子

は、はいっ!!

 今自分に出来る事を、全力でやり遂げよう。
 絶望ではなく、永遠の別れでもなく、いつかの再会を願って、撫子は呪を紡ぐ。
 その先に……、確かな希望を創る、そう強く決意して。

33・決意と希望(※光効果注意)

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