撫子

シャルさん!!!! 

 空へと飛び上がったレオトの腕の中から、発動した魔術の陣の光に飲み込まれていくシャルフェイトに、撫子は必死に手を伸ばした。
 けれど、それが届くはずもなく……、黒紫の光は贄であるシャルフェイトを喰らい、地鳴りを立てながら肥大化していく。

騎士団長・レオト

魂を呼び戻す、術式……。こんな方法、一体どこで拾ってきたんだか。

撫子

レオトさん……、しゃ、シャルさんがっ、シャルさんがっ。あ、あの、じ、陣の、ひ、光にっ。

 光というよりも、淀んだ闇そのものだ。
 多くの妖と対峙してきた時よりも、解き放たれた凶極の九尾を前にした時よりも……。
 全く別の、比べられない程の脅威が……、今、目の前で膨れ上がっている。

ポチ

暴虐なる魔王が……、蘇る、というのか。

タマ

おのれっ、おのれ……!! 己の欲の為に、我が主を利用しおって!! 

クロ

うぅっ……、主様、主様っ、我らが不甲斐ないばかりに、御身をお守り出来ないとは……っ!!

 あまりに惨(むご)すぎる仕打ちに、眷属たる二匹が奥歯を噛み締めながら涙を零す。
 助けに向かいたくとも、あの禍々しい黒紫の闇は誰をも寄せ付けぬ威圧感と不気味さを放っており、距離をとって眺める事しか出来ない。
 迂闊に飛び込めば、――喰われる。
 そう誰もが予感していた。

撫子

妖の声が……、聞こえる。

騎士団長・レオト

撫子君?

撫子

あの闇の中で……、沢山の妖達が、叫んでいます。九尾、いえ、シャルさんに取り込まれたとのとは違い、今度こそ、本当の意味での死が訪れると、そう感じ取っているから……。

騎士団長・レオト

先にシャルが喰われたのか、それとも……、妖の方が先に喰われ始めたのか……。でも、確かブラウディムは言ってたよな。先代の魔王を導く光となれ、と。

ポチ

ガルダウア原石の力と、先代の王の子……。その二つを使い、王の魂を呼び寄せると言っていたが……。魂とは、死した肉体から離れた後(のち)に、冥界へと渡るものだ。そう易々と召喚など……。

 撫子の世界で言えば、魂が還る先は、冥府。それと同じ意味合いの場所へと、この世界の魂は還ってゆくのだそうだ。
 その時代の肉体が滅び、魂が還ると、休息の後(のち)に、また新しい時代へと魂は巡る。
 

騎士団長・レオト

俺達には生まれる前の記憶なんてないし、冥界がどこにあるのかもわからない……。だけど、伝承に語り継がれる一説によれば、魂に宿る力が強ければ強いほどに、正であれ、負であれ、扱い難く、場合によっては冥界に留められる事もある……、そう、聞いた事があるよ。

撫子

でも、……こちらの獣? さんが仰るには、簡単には呼び寄せられない、って……。

 獣? さん。そう呼ばれた別の姿でいるポチが、ふさふさの長い尻尾を振りながら静かに応える。

ポチ

撫子……。俺はポチだ。

撫子

え?

ポチ

姿が変わっているせいで驚いただろうが、俺はポチだ。いや、正確には違う名があるのだが、まぁ、ポチでいい。

撫子

ポチ!?

 ポチは確か……、もふもふの可愛らしい? 狼だったはずだ。
 しかし、目の前にいるのは全く姿の違う……、狼と形容したくても、何か違うような、雄々しい獣だ。
 背には大きな翼が生えており、その獣を表す言葉が撫子の頭の中にはない。

撫子

で、でも、ポチ、なのよね?

ポチ

あぁ……。紛れもなく、正真正銘の、ポチだ。

騎士団長・レオト

この状況でポチポチ連呼する必要って、あるか?

ポチ

正しい認識は必要だからな。――それよりも、今は眼下のこれだ。攻撃を放つ気配はないが、放置するわけにもいかんだろう。

騎士団長・レオト

どうにか中からシャルを助け出さればいいんだが……。

タマ

ぐぅぅぅっ!! あのような物、我の牙で!!

騎士団長・レオト

お前程度じゃ無理だよ。むしろ、手間が増えるから大人しくしてような。ポチ、頼む。

ポチ

わかった。

 ポチとクロをその広い背に乗せたポチが、撫子達を促す。シャルフェイトが飲まれたその瞬間に消えたブラウディムを視界の中に探しながら警戒心を露わにしていたフェインリーヴの近づいてくる姿を見つけたのだ。

フェインリーヴ

撫子!! 
大丈夫か!?

撫子

は、はいっ。この通り、全然……。――きゃああああっ!!

 撫子が大丈夫だと答え終わる前に、レオトの腕から引っ張り出すように力を籠めたフェインリーヴの腕が、温もりが、撫子の華奢な身体をきつく抱き締めていた。

フェインリーヴ

どこがだ!! 全身傷だらけの上に、服まで破れているじゃないか!! この馬鹿者が!!

撫子

あ、あの、お師匠様っ? い、痛い、ですっ。

フェインリーヴ

このくらい我慢しろ……!! 俺が、どれほどお前の事を案じていたか……。こんな酷い傷をつけられて…!!

撫子

いや、これくらいは、普通にだいじょう……、ぐっ!!

フェインリーヴ

――すまなかった。

 何故お師匠様が謝るのだろうか?
 撫子の存在を確かめるように、フェインリーヴは何度も謝りながら、その温もりを確かめてくる。
 とても心地良いけれど、撫子にとっては毒にもなる、フェインリーヴの優しさ。

撫子

だから、こういう事をされると……!!

 皆の見ている前で抱き締められている状態も恥ずかしいものだが、師匠と弟子の関係にしては……、ちょっと度を越しているような。
 間違っても自分の気持ちが伝わってしまわないようにと、撫子はいつもの調子でフェインリーヴの背中をばしばしと叩き、解放を訴えた。

フェインリーヴ

すぐに治療をしてやる。

撫子

い、いえ、あの、本当に大丈夫ですからっ。

 これ以上触れられていたら、その存在に抱かれていたら、撫子の心は偽りを保てなくなってしまう。
 だから、手当てをしようと触れてくるフェインリーヴの胸を押し返し、逃れようとしたのだが。

フェインリーヴ

大人しくしていろ!!

撫子

は、はい……っ。

騎士団長・レオト

大丈夫だよ、撫子君。ブラウディムと真下のあれに関しては俺達が注意を向けておくから。フェインのやりたいようにやらせてやって。ね?

 そういう問題じゃなくて……。
 撫子にとっては、距離を取ろうとしていたフェインリーヴを近くに感じるということは、非常に危険な事なのだ。
 だというのに……、過保護の権化というべきか。
 フェインリーヴは額に青筋を立てながら魔術による治療を撫子に施し始めた。
 物凄く怖い顔をしているお師匠様にびくびくと怯えながらも、それでも……。

撫子

……。

 不謹慎にも、自分の為に必死な姿を見せてくれるこの人の優しさが、――どうしようもなく、嬉しくて。
 駄目だとわかっているのに、想いが溢れ出しそうになってしまう。

フェインリーヴ

よし、これで良いだろう。――撫子、レオトと一緒に魔界を出ろ。

撫子

え……?

フェインリーヴ

シャルが叔父上の術式に喰われた以上、もうこの流れは止められん。本当に親父……、先代の魔王が蘇るのかどうかは疑わしいところだが、万が一の可能性もある。安全な場所に避難しろ。

撫子

い、嫌です!!

フェインリーヴ

無関係の者を巻き込むわけにはいかん!! さっさと帰れ!! このひよこ弟子!!

撫子

私達がいなくなったら、お師匠様はどうするんですか!?

 自分達が安全な場所に逃げた後、ここにはフェインリーヴ達だけになってしまうではないか。
 強大な力を有する先代の魔王、いや、狂王。
 シャルフェイトの力まで飲み込んだその存在を前に、フェインリーヴの命が無事であるという保証はどこにもない。
 子狐の妖達も、ここに残ると騒いで止まらない。
 たとえ力が弱くとも、この場から逃げ出す選択肢などないのだと。

フェインリーヴ

聞き分けろ!!

撫子

嫌です!!

タマ

主様を救い出すまでは、逃げぬ!! 逃げぬぞぉおおおおお!!

クロ

私の命を投げ出しても構わない!! だから、主様のお傍に!!

フェインリーヴ

お前らみたいに弱っちい雑魚なんぞがどれだけいようと、邪魔だというのがわからんのか!! 一撃で死ぬぞ!! 少しは命を惜しめ!!

フェインリーヴ

強制転送してやる……!!

騎士団長・レオト

いや、フェイン……。あんなもんが存在主張しまくってるこの場所で、転移術なんかやったら面倒な事になるぞ? 忘れてないか?

フェインリーヴ

ぐっ……!!

 まぁまぁと、撫子達とフェインリーヴの間に割って入ったレオトによってその場が強制的に静まると、眼下でまた、あの黒紫の闇が倍以上に膨れ上がった。
 

騎士団長・レオト

とりあえず、俺もフェインの意見には同感だからな。――ポチ、撫子君達を出来るだけ遠くに運んで来い。そんで、お前はそのまま守りに徹しろ。

ポチ

わかった。レオト、油断せずに挑め。武運を祈る……。――決して、命を奪わせるな。

騎士団長・レオト

まぁ、これでも年季の入った化け物と同じような存在だからな。死にはしないだろうさ。

ポチ

……。お前はいつも、そうやって窮地に陥っている時ほど、笑う男だな。

撫子

れ、レオトさん!! 私は行きませんから!! まだここに!!

 勝手にそんな事を決めないでほしい!!
 自分達をポチの背に乗せようと強硬手段に出たレオトとフェインリーヴに全力で逆らっていると、すぐ近くから場違いな含み笑いが聞こえた。

ブラウディム

仲良しさんだね。君達は……。ずっと眺めていたくなるような微笑ましさだが、逃げてはいけないよ。――特に、お嬢さんはね。

フェインリーヴ

叔父上!!

 姿の見えない叔父の気配を探るが、フェインリーヴの険しい表情を見る限り、位置を特定出来ないようだ。レオトとポチが撫子を挟んで守りにつくが、不意に撫子の身体が。

撫子

きゃぁああ!!

 何か物凄い力で引っ張られたかのように空高くまで一直線に飛び上がり、無防備な状態に陥った。
 それと同時に、シャルフェイトを飲み込んだ黒紫の闇から触手のようなものが無数に放たれ、撫子の四肢にきつく絡み付いてくる!!

ブラウディム

お嬢さんにはまだ、私の望みを叶える為に……、役に立って貰わなくてはならないからね。

 優しい音をしているのに、聞こえてくるブラウディムの声音には、ぞっとするような気配が滲んでいた。

32・喰らい目覚める者と、揺れ動く少女の心

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