ブラウディム

ずっと否定していたはずなのに……、亡くしてみれば、こんなにも胸を締め付ける存在だった。

 凍えるように冷たい夜風に吹かれながら、見知らぬその男性は謳うように音を紡ぐ。
 今にもガラガラと崩れ落ちてしまいそうな崖の先に腰を下ろしているその姿は、地上に舞い降りた女神のようにも見える。
 男性なのにおかしい表現だが、それほどに、その男性は美しく見えた。
 まるで恋する乙女のように、うっとりと視線を下ろしたその先には、一体何があるのか……。
 彼の背後で光の球体に囚われている撫子とシャルフェイトは、嫌な予感を感じながらその背中を見つめている。
 

シャルフェイト

はぁ……。ただの病人だっていう認識しかしてなかった自分を激しく呪いたい気分だ。

撫子

シャルさん、本当にあの人が貴方とお師匠様の叔父様なんですか? なんで自分の身内にこんな真似が出来るんですかっ。

シャルフェイト

言っただろ? ――狂ってるからだよ。いつからなのか……、それはわかんないけど、多分。

 実兄である、先代の魔王が息子の手に討たれた、あの日から……。
 その凶悪性と魔界の統治の仕方に反感と悲しみを覚えていたはずの叔父は、変わり果ててしまったのか、それとも、元から自身を偽っていたのか……。
 ここに連れて来られる前に、またその身を痛めつけられたシャルフェイトが、うんざりとしたように息を吐きながら零す身内話に、撫子も反応に困ってしまう。
 
 
 

撫子

お師匠様が魔王様だって事にも驚いたし、その過去にも色々と思うところはあるけれど……。あのブラウディムっていう人は確かにおかしい。自分の甥を生贄にするって、狂ってるとしか思えないわ。

 それに、囚われていたあの場所でブラウディムに抗った時にも、彼は容赦なく静かな敵意を向けながら嗤っていた。
 まるで、人が傷付く事がしょうがないと、そう言わんばかりに……。
 撫子もシャルフェイトほどではないが、傷を負っており、その攻撃で髪を少しだけ落とされてしまった。
 命を奪われないだけマシ。
 そう思いはするが、このままでは本当に不味い。
 先代魔王と呼ばれる、フェインリーヴとシャルフェイトの父親の魂を呼び戻す為に、これから儀式が始まる。

シャルフェイト

自分の血を使わないあたりがまた外道なんだよな……。出来損ないの俺ならどうなっても構わないって事なんだろうが……。

撫子

なんとかお師匠様達に連絡をとれないでしょうか。お師匠様なら、きっと……。

シャルフェイト

いや……、兄貴は、来ない方がいいと思う。

撫子

え? どうしてですか? 過去の事はどうあれ、今はお兄さんであるお師匠様を頼った方が、助かる可能性も跳ね上がると思うんですけど。

シャルフェイト

……なんか、さ。嫌な予感がするんだよ。兄貴がここに来たら、あの人が喜ぶような、そんな、予感が。

 すでに儀式の準備は終わっている。
 そう見たシャルフェイトは、何故叔父が何もせずに視線の先で佇んでいるのか。
 それが酷く気になっているようだった。
 まるで、誰かがこの場所に来るのを、待ち望んでいるかのような……、楽しげな背中。

ブラウディム

ふふ、今夜はきっと……、良い夜になる。

 その静かな囁きのような音にさえ、撫子は得体のしれない恐怖の片鱗を感じてしまう。
 今の自分とシャルフェイトには、逃げ出す術(すべ)がない……。
 助けを呼ぶ声も、誰にも届かない場所……。
 

撫子

シャルさんの予感が当たっているとしたら、お師匠様には助けを求められない。ううん、それ以前に呼ぶ事自体出来ない。だから……。

 ただ、奇跡を信じて、神に祈る事しか出来ない。
 撫子は膝の上に頭を乗せてぐったりとしているシャルフェイトの髪を撫でながら、他に方法はないものかと思案の底に沈んでいった……。

フェインリーヴ

……撫子、シャル、どこだ。どこにいる。

 どこまでも見渡せる空の直中(ただなか)……。
 フェインリーヴはその中に佇みながら、まずは先代魔王に所縁(ゆかり)のある地へとその意識を張り巡らし、叔父や撫子達の気配を感じ取ろうと集中していた。それと同時に、撫子と弟へ呼びかけを続け、少しでも反応が戻ってこないかと望みをかける。

フェインリーヴ

――……、一瞬でもいいんだ。応えろ、撫子、シャルっ。

 その時、フェインリーヴの意識に……、二人のものではなく、別の何かが触れた。
 拾い上げたものというよりも、それは、向こうから望んで飛び込んできたかのような……。

ブラウディム

おいで……、おいで、フェイン。君の大切な子達は、私の手の中だ。

フェインリーヴ

叔父上……? やはり、貴方が今回の事を引き起こしたのか? 何故、あんなにも親父を拒んでいた貴方が、こんな真似をっ。

ブラウディム

それも全て……、私の許に辿り着いたその時に、教えてあげよう。私の可愛い、フェインリーヴ。

フェインリーヴ

叔父上!!

 以前と変わらない、優しくて、温かな、叔父の声。
 変わらないからこそ、それがとても恐ろしく思えた。撫子とシャルフェイトを襲ったのは、本当に叔父なのか? あの心優しい人が、本当に……。
 けれど、呼ばれているのは事実。
 叔父の気配を掴んだ、その場所は……。

フェインリーヴ

西、か……。

 目的を果たしたいのなら、わざわざフェインリーヴに自分から声を届けてくるはずがない。
 叔父の奇妙なその行動に疑問を覚えながらも、フェインリーヴはレオト達に行く先を伝え、全速力で空を駆け抜けた。

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