成る程。確かに、嘘かと言われればそうでは無いかもしれない。
自分が思い違いと言うのか、錯覚をしているだけで、本当はこの自我もまた、サリーそのものだったという話は無くはないだろう。
そう考えると、少しだけ気分が悪くなった。
色々考えたんだけど、君のことは……記憶喪失、という事にしようかと思って
記憶喪失?
あまり印象は良くないかもしれないけれど……事故に遭って、記憶を失ったというのはどうだろうか、って思ったんだ
成る程。確かに、嘘かと言われればそうでは無いかもしれない。
自分が思い違いと言うのか、錯覚をしているだけで、本当はこの自我もまた、サリーそのものだったという話は無くはないだろう。
そう考えると、少しだけ気分が悪くなった。
……ええ、それで良いわ
ごめんね、相談もしないで決めてしまって
ううん、悪く無いと思う。私の為に、ありがとう
どうしても、君を誘いたかったんだ
そう言われると、悪い気はしない。シンが自分に興味を持ってくれているのは、少し理解していたから。
とは思いながらも、ケットは恥ずかしくなってしまい、気付けばあらぬ方向を向いていた。
……動悸が激しい。病気か何かにでもなってしまったのだろうか。
そ……それにしても、大きな家ね。この間は暗くてよく見えなかったから、驚いたわ
ああ。まあ一応、王族の端くれだからね。体裁もあって
王族。……聞き慣れない言葉に、ケットは暫しの間、固まってしまった。
今更ながらに、シンのフルネームがシン・ツァイェである事を、ケットは思い出していた。此処は、ヴェルツァイェ帝国。そう云えば、発音がよく似ている。
……シンは、王様の一族ということ?
まあ、一応ね。血が繋がっているだけで、王家とは再従兄弟(はとこ)に当たる位置だからなのか、政治に関わるような事はあまりしていないのだけれど
そうなの? ……よく知らないのだけど、そういうもの?
さあ。うちの国だけかもしれないし、僕にも詳しい事はあまり。……それに、僕は一番関係の無い人間だからね
子供には、大人の事情はよく分からない。それ以上は、今のケットに理解出来る内容でも無さそうだ。
不意に、シンの後ろに居る女性達に目が留まった。彼女らはケットを見て、何やら挑発的な笑みを浮かべている。……
何だろうか。会話の内容は、こちらまで聞こえて来る気配はない。
人間になってから、妙に耳の聴こえが悪くなったような気がする。……言いたい事があるのなら、直接言えば良いのに。
ケットはそう思ったが。
気にしないで。……僕と話そう
ええ……
ケットは努めて、周囲の反応を視界に入れないようにした。
シン。私って、そんなに酷い事をしていたの?
そう問い掛けると、シンは苦笑した。
まあ、ね。売春とはまた違うけれど、男を誑かしてばかりだったかな。そのせいで、国を追われるような人も出て来たりして……
恋愛で、国を?
王位を狙って、国王を暗殺しようとしたりね。
サリーはそれを見て、喜んでいたみたいだった。貴族なのにどこの茶会にも顔を見せないし、遊び呆けてばかりだったから……周りの評価は、やっぱり、あまり良くなかった
…………何故、そのような事を。
単なる悪意でやったのであれば、まだ良い。だが、サリーには何か、裏側に本心が隠れているような気がしていた。だからこそ、ケットは気分が悪くなった。
誰かが裏で手を引いているのか。若しもそうだとしたら、サリーの死は――……。
ごめん。あまり、良い話ではないよね
あ、ううん。そうじゃなくて
不透明な事を考えても、仕方がない。ケットはその事を考えないようにした。
状況からして、サリーは何者かに刺されたのだと推測する。……つまり、一度は死んでいるのだ。
何の因果か、ケットがそれを背負って人間として生きなければいけなくなった。それだけの話だ。
だが、ケットは面白くなかった。その様子を察したのか、シンは周囲のケットに対する――サリーに対する――反応に、少し警戒し始めていた。
…………少し、ここで待っていてくれる?
あまりにもシンが真剣な表情をしているので、ケットは目を丸くしてしまった。
ケットに比べて、シンへの周囲の反応はかなり良いようだ。顔が広いのか、目的の場所に到達するまでに、沢山の人に会釈をしていた。
……だが、ケットはシンの笑顔を見て、少し不安が強くなった。
先程までは周囲の人間に対して、僅かながらも怒りを感じているように見えたシンの表情は、今では笑顔になっていた。だが、ケットには直ぐに分かった。
あれは、偽りの笑顔だ。
シンが本当に笑う時は、もっと穏やかな――花が咲くような、可憐な笑みを見せるものだ。ケットはそう、知っていた。
そして、今のシンの笑顔が、時折見せる、酷く冷たい表情と重なっているような気がした。
ケットは、シンに近付いた。誰も、自分の存在に気が付かないように……ゆっくりと、猫のような足並みで。シンと女性達の会話が聞こえる、ぎりぎりの距離まで。
――――…………って、……
あと、もう少し。
サリー・アントゥリォが、今回はシン様を狙っているだけ、という話なのではなくて?
聞こえた。
同時にケットは、両の拳を握り締めたまま、立ち尽くした。
そうです。そんなに直ぐに、人は心を入れ替えられないものですよ
気を付けた方が良いですよ。次に狙われているのがシン様、というだけなのかも……
シンに対して話されている言葉が誰についての話なのかは、聞かずとも分かる所だろう。
ケットは背を向けて、食べ物を選んでいる振りをして、女性達とシンとの会話を聞いていた。
いや、本当にそういうのでは無いから。現に僕は、何もされていないし
今は、ですわよね?
連中は始めから、シンの話に聞く耳を持つ様子ではない。
既にサリーは全ての人間にとって悪役であり、そこから地位が動く事は無いと思っているのかもしれない。
その状況に、ケットは嫌悪感を覚えていた。言葉にして説明する事は出来ないが、何か漠然とした、違和感にも近い感情だった。
とにかく、そういう事だから。それじゃ
シンが背を向ける。ケットは咄嗟に、テーブルクロスの掛けられた丸テーブルの陰に隠れた。
お労しや、シン様…………ああ私、せっかく話し掛けて頂いたのに、あまりお話が出来ませんでしたわ
愚かな雌豚の企みなんて、そのうちシン様なら気付きますよ。大丈夫だと思います
そうですね。化けの皮が剥がれるまで待っていましょう
それでも、会話は続いている。相変わらず、サリーの事を嘲笑するような顔で話している。対して、シンは恐らく、この国では愛されている存在なのだろう。
この会合でのシンの態度を見ることで、朧気にではあったが、ケットもその状況は理解していた。まるで天使と悪魔――……そのように映っているのかもしれない。
まして、シンに憧れている人間なら、尚更だろうとは思う。
…………あ、サリー。こんな所にいたのか
中央に立ち、シンの父親が何か、話しているようだった。
ごめん。サリーのイメージをどうにか変えようかと思ったけど……中々、手強いみたいだ
ケットは立ち上がったが、シンと目を合わせる事は出来なかった。
そろそろ終わるみたいだね。……家まで送るよ
シンは少し寂しそうな顔をして、言った。
最後のスピーチと拍手が終わり、使用人が後片付けに入っている。茶会に参加していた人間達は、それぞれ帰路へと足を進め出していた。
客観的にサリーの立場を考えた時、悪評が付くのは仕方が無い事らしい。それは、間違いないのだろうと思えた。
……だが、この気持ちの悪さは、一体何だろうか。
…………サリー?
確認せずには、いられない。
ごめん、シン!! ちょっと、待ってて