夕月

で――君はわたしの忠告を無視して、わたしが幸村を探して駆けずり回っている間、ずっと藤崎冥を覗いていたと?

 結局、仲介屋のやつは掴まらなかったらしい。

 俺が連絡すると、夕月さんは慌ててカフェにやってきた。目の醒めるような美貌の紳士に、さっきまで冷たい視線を寄こしていたウエイトレスも全力で愛想笑いだ。サービスですなんて言ってプラムのタルトまで付けてくれたってんだから、世の中は不公平だよな。
 こちらこそふて腐れてしまいたい気分だったのだが、そんな俺を夕月さんは冷たく一瞥した。そこから、さっきの一言に繋がるというわけである。

一星

いいじゃないですかァ。俺がこうやって覗いてたおかげで、殺人犯に仕立て上げられそうになってるってことに気付けたんですから

 冷え切ったコーヒーをちびちびと飲みつつ、俺は唇を尖らせる。

一星

知らないうちに指名手配犯、なんてェ。洒落になりませんよ

夕月

それはそうだが、結果論だ。君はこういった事態を想定したわけではなく、ただ下心から冥の様子を窺っていただけだろう

一星

全部が全部、下心ってわけでもないんですけど……

夕月

同情心からだと言うなら、猶悪い

 夕月さんはぴしゃりと言った。
 あんまり身も蓋もないので、俺も少しムッとしてしまう。

一星

そりゃ、立派に躾けられた夕月さんからすりゃ人様に同情するなんておこがましいことこの上ないように思えるのかもしれませんけどねェ

 断片的に聞いた話によれば、この人は天涯孤独の身の上である。祖母ほども歳の離れた金持ちの老婦人に引き取られ、愛情をもって育てられたという話だ。
 本人はそのことを誇りに思っていて立派な人間になるべく勉学に励んだそうだが、養母の死で環境が一変。親戚にハメられて、形見分けもなく老婦人と二人で暮らしていた家を追い出された。
 騒動をきっかけに女嫌いを発症して、今は本物の紳士にゃほど遠い――そのことを、この相棒は多少気にしている。

 案の定。自称紳士はうっと言葉を詰まらせて、あからさまに目を逸らした。

夕月

それは、ともかく――

 って台詞で話題を変えるのは、いくらなんでも都合がよすぎると思うぞ。俺は。

夕月

藤崎礼一郎は、本当に娘を殺す気なのだろうか?

一星

さあ。そればっかりは、俺にも分かりませんけど……

 ただごとではない雰囲気だったのは、確かだ。

一星

俺らよりよっぽど悪党やってる感じっつうか……いや、ちげーかな

 俺はかぶりを振った。
 まあまっとうに生きてるやつらからすりゃ知ったこっちゃないのかも知れないが、悪党にも悪党なりの矜持がある。
 持ちつ持たれつ、不義理をすりゃそれなりの報復を受ける。それぞれの領分を侵さず、みんなそれなりに気を遣いあっているのである。中には礼一郎のようなやつもいるが、そういった一匹狼は早く消えてしまう。あるいはシマの主として君臨していたとしても抗争の末に築いてきたものを奪われるか、部下に手酷く裏切られて死ぬ。

一星

空気の読めないやつって言った方が正しいかも。俺が言うのも、なんですけど

夕月

そうか

 夕月さんが頷く。
 その顔はなにかを思案しているようにも見えた。
 多分、頭の中で秤に掛けているんだろう。メイを助けて汚名を着せられないよう防ぐか、今のうちにとっとととんずらこくか。俺たちだけのことを考えるなら、辻谷さんや他の情報屋に事情を話して根回しするって手もある。こういうときのための悪党ネットワークだ。
 ――まあ、後者二つを選ぶと最悪メイは死ぬが。

夕月

君は――

 相棒が、どこかへ向けていた視線を俺に戻した。

夕月

どうしたい?

 なんやかんやと小言を零しておいて、これである。俺の相棒なだけあって、やっぱし悪党にはなりきれない男なのだ。
 俺は少し笑ってしまった。

一星

俺の意見、聞くんですかァ?

 夕月さんも、薄い朱唇をふっと微笑ませる。

夕月

一応ね。意志の疎通は大事だ

一星

分かってるくせに

夕月

どうかな。
わたしは、君が思うほど人の気持ちを推し量ることに長けた人間ではないよ

 またまた、そんなご冗談を。

夕月

さ、君の意見を早く言え

 促されて、俺は口を開いた。

一星

俺は……

 なんつうか、あらためて言うとなると恥ずかしいものがあるな。

一星

メイを、助けてやりたい……です

 あいつは、くそ生意気なガキだ。
 俺が夢見ていた女子高生像は粉々に砕かれてしまった。今時の女子高生はどいつもこいつもあんな小賢しいのかもしれないと考えただけで、萎えてしまう。なんか、いろいろと損させられた気分にもなる――が。

一星

あいつ、昨日誕生日だったらしいんですよね。母親の依頼で誘拐されたってだけでも、マジかよって感じじゃないですか。なのに父親はそんな娘のこと犯人に殺されてりゃよかったようなことを言うやつで、母親も計画が失敗したと知るや俺らごとあいつを切り捨てて……

 言いながら、俺は酷く落ち着かない心地で手元の携帯を操作した。あいつの傍に今もヘッドフォンがあるとはかぎらないが――なんとなく、まだ映るような気がしたのだ。

一星

ほら、な

 だから言っただろという言葉は、嫌いなのだが。

 見覚えのある部屋が、液晶画面に映った。メイは手足を拘束され、ベッドの上に転がされている。少女のバックパックと、靴も。
 礼一郎は、とりあえず娘が持っていたものも全部部屋にぶち込んだんだろう。俺のヘッドフォンもその一つというわけだ。

 この世に神様というやつがいるのなら、そいつも多分ほんの少しだけメイのことを哀れんでいるに違いない。ちょっとばかし境遇が似ている、どうしようもない小悪党に救わせようというあたり、めちゃくちゃ性悪だとは思うが。

 メイはまだ生きている。
 けれど、まなざしには覇気がない。

一星

口封じしてくれてもいいって、虚勢ってわけでもなかったんだろうな

 どこか人生を諦めたような少女の表情に、俺はそう感じてしまった。
 自分の人生を踏みにじるやつら相手に徹底抗戦したい気持ちと、もう諦めて楽になってしまいたい気持ちの間で迷っている。後者の方が楽だと思い始めている。心を折られ続けたガキの末路だ。

一星

俺ももし家出に失敗してたら、あんなふうになってたのかなって。いや、うちの身内はあそこまで過激じゃァありませんでしたけど。諦めきってあんな顔する自分なんて、想像したくねーですよ

夕月

随分、自分と混同するんだな?

一星

馬鹿だって思います?

夕月

君が馬鹿なのは、今に始まったことではないだろう?

 ……さっすが、相棒。
 なんかさらっと馬鹿扱いされたような気もするが、つっこむとやぶ蛇になりそうな気がするので聞かなかったふりをする。
 俺は嬉しくなって、パァンと両手を叩いた。近くに座って参考書を開いていた女子大生が迷惑そうに顔をしかめたが、知ったこっちゃない。

一星

じゃあ、リトライといきましょう

夕月

そうだな。まずは、彼女を手に入れるところから――

 夕月さんも、赤い舌で唇を舐めて艶めかしく笑う。ついさっきまで顔をしかめていた女子大生がぽーっと顔を赤らめているのに気付いた俺は、なんだかなあと思いながらコーヒーを飲みきってしまったのだった。

 宵の口に、俺たちは行動を開始した。
 できれば深夜を待ちたかったんだが、礼一郎が次にどういった行動に出るかも分からない以上、悠長にしてもいられない。
 ちなみに、闇に紛れてメイの部屋を直接訪ねる――なんてのは、どう考えても無理である。俺らは怪盗ルパンではない。縄ばしごの付いた自家用機なんて持っちゃいないし、そもそも俺も夕月さんも航空機の運転はできない。鉤縄を使って壁をよじ登るという手も、はっきり言って現実的ではない。
 ――では、どうする?
 心配ご無用。俺たちには俺たちのやり方がある。

 すなわち、悪戯の天才“ヴェア・コール”と、稀代の大嘘吐き“ゲオルグ・マノレスコ”流だ。

夕月

こんばんは、藤崎さん。御門警察署の杉岡です。娘さんの件で、少々お伺いしたいことが……

 警官に扮した夕月さんが、藤崎家のドアを叩く。これはこれで犯罪なのだが(軽犯罪法第1条第15号の違反という。警官を装ったからというより、公務員以外が公務員を騙ってはいけないのだ)俺たちにしてみれば今更ってやつである。

 庭には礼一郎の黒いスカイラインが停まっている。明かりも点いているから、居留守を使われることもないだろう。ぶっちゃけ軒先で適当な騒ぎでも起こして通報してやれば一発かなーなとど思わないこともないのだが、それでは芸がないので最終手段に残しておきたい。

 ややあって、礼一郎が応じた。

礼一郎

ああ、刑事さん。
お勤め、ご苦労様です。ご足労いただいたところ申し訳ありませんが、娘はまだ帰宅しておりませんので……

 まさか罪を着せる予定だった誘拐犯が目の前にいるとは、こいつは夢にも思っちゃいまい。
 これだけでもう、俺は腹を抱えて笑いたい気分だ。とはいえ計画を台無しにするわけにはいかないので、袖を噛んで吹き出してしまいそうになるのを堪える。

夕月

この時間に帰宅していない?
昨日、あんなことがあったばかりですよ

 涼しい顔で、ちくりと毒針を刺す夕月さん。
 少しいじめてやれっていうんだろう。礼一郎はあからさまに顔を引き攣らせ、慌てて付け加えてきた。

礼一郎

は、はあ。その、明日は休日ですし同級生のところへ泊まりに行くと……あんなことがあったばかりだからこそ、気晴らしになるかと思いまして

夕月

まあ、そういうこともあるかもしれませんね。では、冥さんにはあらためて話を伺いにくるとして――礼一郎さん、少しお時間よろしいでしょうか?

礼一郎

わたし、ですか?

夕月

ええ。金銭目的での誘拐ではなく、礼一郎さんに対する怨恨の可能性も視野に入れて捜査しておりますので

礼一郎

…………

夕月

なにか不都合でも?

 そりゃ不都合だろう。それを肯定するわけにいかないのが、礼一郎の弱みだ。

礼一郎

いえ。どうぞ、お上がりください

 よっしゃ、かかった。
 

 ドアの向こうに消えていく夕月さんの背中を眺めながら、俺は小さくガッツポーズする。まずは第一関門クリア、といったところだ。これで小一時間は、礼一郎の動きを心配しなくて済む。

 お次は――

 俺は家の裏手に回った。
 敷地が広い上に塀で囲われているため、通行人に見られる心配はない。セキュリティセンサーは夕月さんが切ってくれる手筈になっている。
 センサーが切れればおそらく監視センターからの連絡はあるだろうが、メイの画策を知っている礼一郎は娘の仕込みだと考えるだろう。二階には軟禁状態のメイもいるし、警察の対応だけで手一杯なあいつは警備員に駆けつけられたくないはず。適当な理由を付けて、警備会社の来訪は防ぐ――に違いない。
 これはなにも、楽観的観測ではない。
 俺たちにしてみれば、警備会社が駆けつけてくれた方が楽なのである。その場合、中の相棒が防犯調査と理由を付けて警備員をメイの部屋へ誘導することになっている。

 あとは夕月さんから連絡がくる前に、なるべくリビングから離れた二階へと続く階段に近そうな部屋を選ぶだけだ。ヘッドフォンに仕込んだカメラから見た映像を思い出しながら、家の間取りを想像する。

一星

ここがトイレ、ここが浴室……浴室は音が響きそうだから……

 客間っぽい窓にあたりを付けて、俺は腰に巻いたポーチの中からガムテープとサークルカッターを取りだした。古典的な方法だが、窓を破るには安定した方法だ。
 準備をしていると、ポケットにつっこんでいた携帯が震えた。取り出して確認する。夕月さんだ。手筈どおり、センサーを切ったという報せだった。

一星

よし

 一つ頷き、窓に触れる。
 クレセント錠の場所は、通常どおり。外からでも見えるので、そのすぐ横にガムテープを貼り付ける。滑りをよくするため円線上に潤滑油を塗り、刃を当てる。コアドリルの方が楽なんだが、あれは音がでかすぎて室内に人がいるときには使えない。
 円上に切り込みが入ったことを確認。ゴムハンマーで叩いて亀裂を作り、円の内側に、今度は直線カッターで格子状の切り込みを入れていく。これもまたゴムハンマーで叩き、中央に小さな穴を開けるのだ。
 あとはガラス用のヤットコで地道にガラス片を砕いていけば、このとおり。

一星

上手にできました~ってか?

 比較的静かに、綺麗な穴を開けられるってわけだ。

一星

良い子は真似しないように

 なんて口の中で呟きながら、俺は円の中に手をつっこんだ。もちろん、指紋が付かないように軍手を二重ではめている。そのあたりは抜かりない。
 クレセント錠をひょいと下ろせば、窓はするするっと開いた。靴を脱ぎ、部屋の中にそっと放り込む。サッシに手をかけて、俺も中へ。潜入成功。
 廊下に顔を出す。
 リビングからは、夕月さんの声が聞こえる。
 俺からも二人の様子が分かるよう、少し声を張ってくれているんだろう。相棒の気遣いに感謝しながら、俺はそっと階段を上る。

一星

メイの部屋は……

 確か部屋を出てすぐ階段だったよなと思い出し、手前のドアノブに触れてみる。鍵がかかっていたら面倒だなと思ったが、そういうこともなかった。あっさり、あまりにあっさりドアが開き、視界には見覚えのある光景が広がる。
 シンプルな中にも少女らしさのある部屋――

 部屋の主は手足を拘束され、ボールギャグを噛まされている。これはあれだ。SMグッズだ。

一星

娘になんつーもんを……

 俺は思わず額を押さえてしまう。
 そりゃ安価だし意外と外れないもんだし――って、そういうこっちゃない。あの親父が愛人とそういうプレイをするのは自由だが、せめて娘に自分の性癖を隠してやるだけの気遣いは必要だ。
 それが大人のマナーってもんだ。

一星

……いかん、落ち着け俺

 俺は首を振り振り、驚いた顔をしているメイに近寄る。まずは、

一星

よっ、メイちゃん。昨日ぶりだな

 軽く再会の挨拶を一つ。それからニッと笑って、おぞましいボールギャグを外してやった。

一星

うへえ、涎でべったりだ

 そういうのを見て喜ぶようなアブノーマル趣味はないので、ベッドの端に放り投げる。
 メイは目を見開いたまま口を開け――賢い少女らしく、すぐに状況を思い出したんだろう。声をひそめ、訊ねてきた。

な、なんで?

俺は答える。

一星

誘拐。昨日は失敗したから、リトライだ

なんで

一星

だから、昨日失敗したからだって

じゃなくて!
なんで、なんで、なんで……

 ――お前、壊れたナントカかよ。
 と言ってやりたいところだが、なんかいろいろ台無しにしてしまいそうなのでやめておこう。
 混乱しきっているらしい少女に他になんて声をかけてやればいいのかも分からないので、俺は黙ったまま手足の拘束を解いてやった。

なんとか言ってよ。“コール”さん

 あ、覚えてたのか。
 ヴェア・コールとゲオルグ・マノレスコなんて知らねってことで、同業者でさえ俺と夕月さんのコードネームを逆に呼ぶやつもいるくらいだ。ちゃんと判別して覚えてくれていたというのは、素直に嬉しい。
 こだわりだからな、これは。

一星

……なんとか

そうじゃなくてっ

一星

……お前、俺たちを出し抜いた気になってただろォ。百年早いぞ、ゆとりガキ

え?

一星

俺が選んだヘッドフォン、気に入ってくれたみたいで助かった

 それも、メイが聞きたがっている答えとは違うんだろうが。同情だとか、義侠心だとか、いちいち説明すんのは恥ずかしすぎるだろうがよ。
 分かれよ、ゆとりガキ。

あ……

 監視されていたことを理解したのか、メイは目を丸くした。くそ生意気な女子高生でも、そんな顔をすると少しは歳相応に見える。

……見てて、くれたんだ

一星

俺の趣味だからな。ストーキングは

…………

 出し抜かれたのが悔しいのか、はたまたずっと監視されていたことに気付いちまって気味悪がってんのか――いや、多分どっちも違うんだろうな。

 俯きがちで声を詰まらせているメイに、告げる。

一星

さあて、メイちゃん。もう一度、俺たちに付き合ってもらうぜ。今度こそ、お前の親父の鼻を明かしてやる

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