フェインリーヴ

どういう事だ? 撫子が、――攫われただと!?

側近

申し訳ありません……。陛下に命じられ向かった時には、すでに。

フェインリーヴ

誰だ!? 誰がそんな真似をした!!

 本来ならば、フェインリーヴが向かうはずだった王宮、撫子の許。
 けれど、出掛ける寸前に飛び込んできた面倒事に対処せねばならず、やむなくこの側近を向かわせたのだが……。
 撫子は、正体不明の男に攫われてしまった。

側近

彼女を連れ去った者が魔族である事はわかっています。ポチ殿が見た限り……、貴族に連なる服装を纏っていたとか。すぐにそちらへ戻って調査に入ります。

フェインリーヴ

頼む。だが、その魔族がこちらに戻ったのか、それともそちらに居続けているのか、そのあたりも気になるところだ。

 どうにか冷静を心掛けながら、フェインリーヴは城内の臣下達にゲートの調査を命じた。
 人間の娘を連れてゲートを通った者がいないか、注意深く見張り、その反応を見つけ出せ、と。
 

騎士団長・レオト

フェイン、悪い……。騎士団の方が囮だったのかもしれない。いや、確実にそうだ。タイミング的にも、騎士団に現れた魔物の種類にしても……。

 レオトとの通信の際に聞こえた騎士団からの異変。
 団員達を束ねるレオトが駆け付けた時、そこには人間の世界にいるはずのない、魔界だけに生息する特殊な魔物達が施設を破壊し、団員達を襲っていたのだそうだ。幸いな事に、それほど強い類の敵でもなく、事態は無事に収束したそうだが……。
 何故騎士団に魔物達が現れたのか、何故、王宮の結界が意味を成さなかったのか……。

騎士団長・レオト

驚いた事に、結界の一部が強引にぶち壊されていたっておまけつきだ……。魔術師団の高位術者達が張ってるものだってのにな。

側近

一部だけ壊し、騎士団だけに魔物を送り込んだ、という事は……、やはり、『撒き餌』の可能性が高いでしょう。本命はお嬢さん一人。時間稼ぎに使われた可能性が大です。

フェインリーヴ

もしも、その魔族が先代魔王派の者だった場合、考えられる可能性は人質か……。

 この魔界以外でフェインリーヴの弱みとなる存在がいるのは、確かに人間達が暮らすあちら側だ。
 レオトはまず負ける事も、命を奪われる心配もないので大丈夫だが、撫子は……。
 今までに誰かを人質に取られるという経験はあったが、そのどれも、誰一人傷付けさせずにクリアしてきた。
 だからだろうか、先代魔王派の貴族やそれに連なる魔族達は、時の流れと共にその方法を使えないと判断したのだ。

フェインリーヴ

今更、人質……? いや、それならば、魔界の民に目が向くはずだが……。

騎士団長・レオト

撫子君だから、使えると思ったんだろ……。

フェインリーヴ

は? 確かにあれは俺の弟子で、目をかけているが……。俺にとっては、魔界の民も大事な存在だぞ? 数的には後者の方が。

側近

レオト殿ぉ~、この人にぶにぶですよ~……。わざとなんですかね? それとも本気でドにぶなのか……。

フェインリーヴ

なんなんだ、その残念な奴をさらに奈落の底にでも蹴り落としてやろう的な目はっ!!

 通信の向こうでは、側近と友人、挙句の果てには、ポチやタマ、ついでに新入りのクロまで同じ目になっている。不愉快だ、心の底からグサグサと人の矜持と繊細な心を傷つけてくるその視線と気配が物凄く不愉快だ!!
 フェインリーヴは壁に拳を打ち付けて睨み付けると、撫子も民も、大事な存在だろうと怒鳴りつける。

側近

あのですね……。陛下がどう思っていらっしゃるかはこの際どうでもいいんですよ。ただ、犯人は陛下とお嬢さんの事について詳しい……、いえ、調べていた可能性があります。だからこそ、利用物として、お嬢さんを選んだ。

騎士団長・レオト

そうそう。二人の関係がどう見えるか、というよりも、フェイン……。お前が、撫子君をどんな目で見ていて、どういう風に扱っていたかっていうのが大事な部分なんだよ。

 つまり、撫子を人質とすれば、フェインリーヴが今までとは違い、動けなくなる可能性が高いと、そう踏んだという事だろうか。
 確かにフェインリーヴは民を大事に思っているが、彼らが人質にとられた際、彼は常に冷静な顔で対処に向かった。非道な真似をした相手に怒りはあれど、取り乱すほどではなかった、という事だ。
 けれど、今回は違う。

騎士団長・レオト

お前、撫子君が攫われたって知った瞬間、完全に自分の立場も何も忘れてただろ?

フェインリーヴ

――っ。そんな、事は。

側近

関係性など、どうでも良いのです。貴方があんなにも取り乱すほど、お嬢さんを大切に想っているという事実が、敵にとっては強味となるのですからね。

騎士団長・レオト

多分、お前は……、撫子君を人質に何かを要求されたら、動けなくなる可能性が高い。

 そう冷静に指摘されて、フェインリーヴはすぐに言い返せなかった。
 さっき、初めて撫子の件を聞かされた時に、一瞬頭の中が滅茶苦茶に掻き回されたかのように、犯人への憎悪と怒りが溢れるほどに彼の心を支配していたのだから。
 怖い思いをしていないだろうか?
 殴られたり、危害を加えられてはいないだろうか?
 無事に、まだ生きていてくれるだろうか……。
 今すぐにでも通信を切って捜しに行きたい衝動を抑えて、フェインリーヴはこの場に留まっている。

側近

まぁ、そう易々と利用などさせはしませんが。陛下に反旗を翻すような輩は、徹底的に後悔させねば気が済みません。

騎士団長・レオト

俺もだよ。いや、俺とポチやタマやクロも、皆、今回の黒幕に何倍もの怒りを込めて報復をしてやるって決めてるからな。

フェインリーヴ

お前達……。

側近

お嬢さんを利用される前に、取り戻しましょう。それにあたって、こちらのクロから陛下にご報告がございます。凶極の九尾……、いえ、弟君に関わる大事です。どうか最後まで冷静にお聞きください。恐らく、お嬢さんの誘拐と、弟君の件の黒幕は、同じ存在かもしれませんので……。

 タマと寄り添いながらフェインリーヴを見つめてきた、黒い子狐の妖。
 その小さき者は、タマと同じく、凶極の九尾……、いや、フェインリーヴの弟と絆を結んだ家族のような存在。彼の弟が一体今、どこにいるのか、どういう経緯で消息を絶ったのか……。
 この世界に戻って来てからの弟を語り出したクロの話には、フェインリーヴや側近が調べていた件に答えを出す事実が秘められていた。

撫子

うぅ……。

 腹部に鈍い痛みを感じながら撫子が目覚めると、青白い光に薄く照らし出された広い空間が視界に飛び込んできた。
 けれど、それは薄い膜のようなものに遮られているせいで、向こう側が微妙に見え難い。

撫子

私……、誰かに、殴られて……、あれ? ここは、どこ? ポチ? タマ? クロ?

 どことも知れぬ場所で目覚めてしまった撫子は、不安に鼓動を打ち鳴らす胸を押さえながら、自分を知る者達の名を呼び続けた。
 けれど、応えてくれたのは……、彼ら以外の声。
 撫子の丁度背後から、その声はかかった。

シャルフェイト

うるさい……。

撫子

だ、誰!?

シャルフェイト

……だから、うるさい。

 心底気怠そうに薄い膜に背を預けて座り込んでいる……、見目麗しい和装の青年。
 撫子に向けるその目は、本当に迷惑そうに細められている。
 視線を合わせ、暫しの間無言で見つめあう……。

撫子

ま、ままままま、また出たぁあああああ!!

シャルフェイト

なぁ、……その顔でアホ晒すのやめてくれないか? 別に俺は死んでないし、辛うじて生きているわけだし……。失礼だろう?

撫子

……王宮に現れた偽物、じゃ、ないの?

シャルフェイト

偽物、ね……。俺に似せた傀儡にでも会ったのか? 癒義のお嬢ちゃん。

撫子

……凶極の、九尾。

シャルフェイト

向こうではそう呼ばれていたな……。まぁ、自業自得の成れの果てだから、特に気にもしていないが。封印が解けた時に一度会ってるわけだが、まぁ、こちらの姿では初めまして、かな?

 撫子の世界を、人々の日常を蹂躙し、初代癒義の巫女に封じられた悪逆非道の大妖……。
 いや、正確には、初代癒義の巫女を愛し、愛され、彼女を救う為にその身を差し出した犠牲者。
 動く事が辛いのか、彼は視線だけを寄越してくる。

シャルフェイト

出来れば、こちら側の名で呼んで貰えると助かるな。――シャルフェイト。それが俺の本名だから。シャルでも、フェイトでも、好きなように呼んでくれ。

 代々の癒義の巫女が宿敵と定めた相手に、丁寧な自己紹介をされるというのもあれだが、それを受け入れなければ何も進まない気がする。
 撫子はその場にちょこんと正座をし、彼に自分の名を伝えた。

撫子

とりあえず、希望があるみたいなので……、シャルさん、と、呼びます。

シャルフェイト

はぁ……。別にそんなに警戒しなくても、俺には何も出来ないんだがな。下手な真似が出来ないように術をかけられているし、ここで寝てるのが精一杯なんだ……。

撫子

あの……、それって、自分から望んでここにいるわけじゃない、って事、ですよね?

シャルフェイト

当たり前だろう? 俺は、桃音以外に甚振られる趣味はない。彼女の拳や蹴りなら喜んで受け入れるんだが……。

撫子

……。

シャルフェイト

……桃音。

撫子

初代の桃音様とシャルさんって、一体……。

 愛し合っていた過去は本物のようだが、何か奇妙な違和感を覚えずにはいられない撫子だ。
 タマが王宮でうっかり口を滑らせて明かしていた初代の男らしい性格といい……、多分、撫子にはよくわからない深い愛情物語があった模様。
 とりあえず、深く突っ込んで聞く事はやめておこう。
 うっとりと過去の記憶に浸っているシャルフェイトから視線を逸らし、現状の把握に努め始めた。

撫子

あの、で、……ここはどこなんでしょうか?

シャルフェイト

魔界の辺境。ついでに、かなり病んじゃってる人の屋敷の地下。俺と君をこの世界に招いた張本人と言えばいいかな。

撫子

招いた……? じゃあ、あれは偶発的なものじゃなくて。

シャルフェイト

元々は、俺を呼び戻す為の術式だったんだ……。けど、残念な事に君は俺の召喚に巻き込まれた。で、利用価値が出来たから、はい、ご招待、と。不運だな……。

撫子

な、何の為に……。貴方がこの世界の魔族という事は知ってますけど。

 何故囚われなければならないのか……。
 まさか、この異世界からシャルフェイトを呼び戻す為に術を行使した者がいたとは。
 シャルフェイト本人は至って面倒そうに溜息を吐いているが、撫子には無理だ。
 目的がなんであれ、早く王宮に戻らなくては。
 レオトやポチ、タマやクロのいる……、あの場所へ。

シャルフェイト

一応言っておく。君は俺とはまた違う意味で、酷い利用のされ方をされる可能性がある……。

撫子

え……。

シャルフェイト

さっきも言ったが、相当に病んでるんだよ……。俺をこの世界に呼び戻した術者はな。説得も効かないし、完全に狂ってるのかもしれない。

撫子

その人の、目的は……。というか、誰なんですか?

 身を乗り出して撫子が尋ねると、シャルフェイトは遠くを見るような眼差しで何度か溜息を繰り返した。
 その瞳に宿る光からは、彼が何を思い、何を感じているのかはよくわからない。

シャルフェイト

兄貴が絶対に躊躇する相手……。

撫子

兄、貴……?

シャルフェイト

そう……。残虐非道で圧倒的な力を有していた絶対の支配者、先代魔王の息子。そして、似合いもしない魔王業を今も続けている……、俺の兄貴。そして――。

 ――君のお師匠様だよ。

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