いまだ目を覚まさないクロの看病をしながら迎えたその日の夜……。
うっかり居眠りをしかけていた撫子は、突然遠くの方から伝わってきた衝撃音と震動によって飛び起きた。ポチとタマが警戒心を露わに気配を探るような視線になっている。
最初の音ほど派手ではないが、今もまだ……、遠くの方で何かが起きている事は間違いない。
恐らくは……、騎士団施設のある方角にて。
撫子はクロをタマに任せ、一度様子を見に行こうと出口に向かった。
しかし、先手を打ったポチが扉の前に居座り、首を振る。
――今の音は!?
ここからは離れておるようじゃが……。魔物の類の気配が漂ってくる。
いまだ目を覚まさないクロの看病をしながら迎えたその日の夜……。
うっかり居眠りをしかけていた撫子は、突然遠くの方から伝わってきた衝撃音と震動によって飛び起きた。ポチとタマが警戒心を露わに気配を探るような視線になっている。
最初の音ほど派手ではないが、今もまだ……、遠くの方で何かが起きている事は間違いない。
恐らくは……、騎士団施設のある方角にて。
撫子はクロをタマに任せ、一度様子を見に行こうと出口に向かった。
しかし、先手を打ったポチが扉の前に居座り、首を振る。
ポチ?
ワフッ。
ポチ、そこをどういてちょうだい。現状を把握しに行かないと……。
ワンッ!! ワンッ!!
なっ、ど、どうしたの、ポチっ。なんでそんなに怒ってるの? 私は、ちょっと様子を見に行きたいだけで……。
いつも人懐っこく甘えてくれる狼のポチ。
なのに、どうして今はこんなにも怖い顔で、牙を剥き出しにしながら吠えてくるのだろうか。
よろりと、撫子が後ずさると……、トン、……と、何かにぶつかった。
おかしい、一歩下がったくらいでは、何もないはず、なのに。
恐る恐る撫子が背後に気配を感じて振り返ると、そこには見知らぬ青年の姿があった。
……。
だ、誰!?
うっすらと優しげに微笑んだ青年に、見覚えはない。
纏っているそれらは、撫子が暮らしていた世界の和装とよく似ているが……、それよりも。
名乗りなさい!! 貴方は誰!? どこから入ってきたの!?
撫子とポチ、そしてタマとクロ。
それ以外には誰もいなかったはずなのに、この青年は気配のひとつも感じさせずに、撫子の後ろをとった。不法侵入者と捉えるのが当然だが……。
もしかしたら、騎士団の方角から響いてくる異変と、何か関係があるのかもしれない。
距離をとり、撫子は青年を睨み付けながら構えの体勢をとる。
……。
主様!? 主……、いや、違うっ!! 貴様、主様の御姿を真似て何のつもりじゃ!!
主……? この男が、――凶極の九尾!? で、でも、姿を真似てるって、一体……っ。
初めて撫子が対峙した時とはまるで違う、美しい面差しのこの男が、九尾……。
けれど、物言わぬ男を偽物だと叫んだタマに向かって、不審者は右手を翳し、攻撃の手を放った!!
タマ!! クロ!!
ガォオオオオオオオンッ!!
……!!
撫子よりも早く男に飛びかかったポチがその肩口に喰らい付き、低い唸り声を上げながら戦闘状態に入った。タマはクロを庇う為にその傷を負っている小さな身体の上に覆い被さり、撫子も懐から呪符を取り出して攻撃の一手を放つ!
……っ!! ぁっ、……ぐっ、ぅああぁっ!!
タイミングを計ってポチが飛びのくと、男は撫子の放った雷撃に打たれ、その姿に似つかわしくない恐ろしい化け物のような声で叫びながら倒れこんだ。
殺してはいないはずだが、びくびくと痙攣している男が、撫子を目指して這ってくる。
その顔に浮かんでいるのは苦痛でも救いでもなく、ただただ……、狂気に塗れた気配だけ。
九尾によく似た、いや、その姿を意図的に真似た存在。この男の意思なのか、それとも、別の誰かの意図が絡んでいるのか。
とにかく、早く拘束してしまう事が先決だ。
撫子は懐から小さな小瓶を取り出すと、きゅぽんとその蓋を開けて男に近づけた。
……っ。
暫くの間、眠りなさい。貴方が誰なのか、何故この部屋に現れたのか、あとでたっぷり聞かせてもらうから。
催眠作用のある薬の香りに、男は容易く微睡の中へと落ちてくれた。
けれど……。
!?
利用されるのはお前の方だ。
うっ!!
突然撫子の目の前に現れた正体不明の、もう一人の男。冷たい氷のような美貌のその男は、やはり声音もそれに相応しく無機質に呟きを零し、撫子の鳩尾を捉えた。
視界がぐらりと傾き、ポチの鳴き声が聞こえる中、撫子は崩れ落ちていく。
それを支えた男が、ニヤリと不気味な薄笑いを浮かべ、彼女の身体をその腕に抱きあげる。
小娘!!
ゥウウウウウウウッ!!
撫子を助けようと、二人目の男に威嚇の声をあげたポチが、――次の瞬間、眩い光の中に飲み込まれた!
――撫子を解放しろ。さもなくば、貴様を我が爪の餌食とする。
おぉ……、ただの犬っころではないと思うておったが、やはり我らと同種のような存在であったか。
まるで生まれ変わるように姿を雄々しく変えたポチ。それは、獣なのか、はたまた魔獣の類なのか……。
いずれにせよ、撫子を救う存在である事には変わりない。クロを庇っているタマなど、その凛々しさと神々しさに、うっとりと見惚れているほどだ。
しかし、自分よりも遥かに大きな異形に迫られようと、男は余裕を崩さなかった。
この狭い空間の中で、貴様ほどの化け物がその爪を揮えるわけもなかろう? ――それではな。
逃がさん!!
逃がしたか……!!
こ、小娘の姿もないぞ!! それに、主様と瓜二つの紛い物も!!
撫子を焼き尽くさぬように叩きつけた炎の奔流は、しかし、目的の男を飲み込む事も出来ず、無効化されてしまった……。
あの一瞬の間に空間を開き消え失せるなど……。
いや、それよりも、撫子を敵の手に渡してしまった。ポチは悔しそうに低く唸ると、元の狼の姿へと戻った。
レオトに報告すべきだな……。
九尾様の姿を真似た者、小娘を攫った者……。一体、何が目的か……。
わからん……。だが、もしかしたら、……魔界からの手の者かもしれん。
撫子を攫った者は、間違いなく魔族。
それも、高位の実戦慣れをしている玄人……。
いつもの愛くるしい懐っこさを潜めたポチは、ふと、タマの横で眠っている黒い子狐の目が開く様を見た。
うぅ……、た、タマ。
よろよろと顔を上げたクロに、タマが嬉しそうに号泣しながら頭を擦り付けてゆく。
目覚めたクロは徐々に現実を受け入れ始めると、非常に焦った様子でタマに大声を張り上げた!
主様が、主様が……!!
クロ?
殺される!!
悲痛な黒い子狐の叫びに、ポチとタマは驚きに目を見開いたのだった。