さて――
 何度も言うように俺の趣味はストーキングである。
 ネバーギブアップ。よく言えば不屈、悪く言えば粘着質。頭の上がらない相棒にちょっとやそっと諭されたからといって「はい、そうですか」と素直に聞くような俺ではない。

 適当なカフェに入って、夕月さんからの連絡が入っていないことを確認する。着信もメールもない。多分、仲介屋のやつを掴まえるのに必死なんだろう。
 俺にとっちゃ好都合だ。
 運ばれてきたコーヒーを受け取り、携帯を監視カメラと接続する。音が周囲に漏れないよう、イヤホンを付けるのも忘れない。これはメイの許にあるヘッドフォンのようなデカい代物ではなく、小さなカナル型だ。

一星

そういや、あいつ補講だって言ってたな

 もしかしたら、ヘッドフォンは鞄の中かもしれない。だとすれば、せっかく相棒の目を盗めるこの時間も無駄になってしまうなと思いつつ。画面を覗いて、俺は眉をひそめた。
 そこに映っているのは、鞄の中身ではない。教室の風景でもない。

一星

どこだ?

 思わず、声に出してしまう。
 外だ。景色が滑らかに流れていく。徒歩ではない。自転車でもなさそうだ。エンジン音からすると原付か。補講はさぼったのか、メイは原付でどこかへ向かっているようだった。時折、小さなナビの音が聞こえてくる。多分、携帯にナビゲーションアプリでも入れているんだろう。

一星

どこに行くつもりだ? あいつ……

 家出――いや、いくらショックを受けたからとはいえ、あのガキがそんな突発的な行動に及ぶだろうか。考えて。ふと思い出したのは、昨日の会話だった。

 ――お兄さんたちが危ない橋を渡りたくないっていうなら、わたしが父さんの車にGPS隠してもいいし、盗聴器とカメラだって仕掛けるよ。探偵ごっこみたいで面白そう。

一星

まさか、探偵ごっこを一人でやろうってんじゃねえだろうな

 と――つっこんでみたところで、メイに届くはずもない。俺はひやひやしながら、カメラが送ってくる映像を見守った。場所を割り出せないかと目を凝らしたが、あたりは同じような建物が並ぶ住宅街。
 原付を走らせているメイの視界からでは、入ってくる情報にどうしても限界がある。
 せめてあたりを見回してくれれば、電柱なんぞに打ち付けられた表示板から大まかな位置が分かるかも知れないのだが……やっぱり、俺がどれだけ念じたところでメイに届くはずはないのだ。
 ナビを聞きながら走らせているくせに脇見もしない。運転は安定していて、不安そうな様子も伝わってこない。つくづく可愛げがなく、しっかりしたガキである。

 それから十分。メイは原付を走らせ、不意に建物の裏手で止まった。なんの変哲もないアパート。昨晩俺たちが泊まっていた物件ほどとは言わないが、築年数は古そうだ。
 メイは原付――リトルカブ――から降り、きょろきょろあたりを見回している。人目に付かない場所を選んでいるんだろう。ややあって、建物の陰にしゃがみ込んだ。バッグの中からタブレット型パソコンを取り出し、起動。

一星

なにをするつもりなんだ?

 液晶画面に目をあしらったロゴが浮かび上がる。
 パソコンと携帯を同期して、どちらか一方を紛失しても外部からの遠隔操作を可能にする――という海外製のアプリだ。表向きの用途は盗難対策。しかしこいつには、ちょいと問題があったりする。
 同期した携帯のGPS取得、登録済みのSIMカード以外が挿入された際に警告メッセージを表示する――と、ここまではいいのだが。更には端末情報と通話履歴の閲覧、カメラの遠隔撮影、音声録音、内蔵メモリと挿入されているSDカードデータの削除までできてしまう。
 その上、携帯端末を盗難した相手にこのアプリをアンインストールされてしまわないよう、アプリの存在を秘匿化する機能も付いているのだ。

 つまり悪用されたとき、端末利用者は遠隔操作されていることに気付けない。

 その名も〈Staring Eyes〉
 なんでそんなに詳しいかって、そりゃ俺も利用しているからだ。勝手に仕込めばいいカメラやマイクと違ってインストールの手間があるため意外と他人に使う機会は少ないが、離れた相棒の様子を窺うには便利なのだ(本人に知れたらまたくどくど説教されそうだが)
 ちょっと話が逸れてしまった。
 俺のことはともかく――いくらこの手の海外製アプリが安価といえど、そこらの女子高生がノリで購入するような代物ではない。
 インストール先の端末は、まあ親父のものだろう。
 ここまでくれば休日出勤というのが嘘だったことも分かる。もしかしたらメイの補講というのも、親父を油断させるための嘘だったのかもしれない。騙し合い、腹の探り合い。俺が言うのもなんだが、殺伐とした親子関係もあったもんだ。

一星

それにしても、なー……

 携帯端末に内蔵されたカメラを介して、多分礼一郎の愛人のものであろう部屋の様子を窺っているメイ。そんなメイを監視する俺。なんだかややこしいことになってきた。

一星

いくら“痛い目見せる”っても、自分の親父の濡れ場とか見たくねえだろ

 視界の中で、少女は素早くタブレットを操作していく。
 海外製のアプリで日本語ドライバなども入っていないが、指先に迷いはない。手慣れた感じだ。日頃から使っていたんだろうか。メイの生意気さには萎えてしまう俺だが、大人ぶった女子高生の執着心を思うと少しぞくぞくする。

一星

俺と、どっちが粘着質かねェ

 メイは部屋の様子を窺いながらもタブレットにUSB変換ケーブルを繋ぎ、位置情報と通話記録を保存した。この様子じゃァ、きっと音声なんかも録音してんだろう。

一星

部屋の様子はどうなった?

 ヘッドフォンのコネクタは、今は音楽プレイヤーではなくタブレットに差されている。これは俺にとっても運がよかった。なんせ、メイと同じように室内の声を拾える。
 濡れ場は――まだ始まっていない。というより会話は開発部がどうこう、取引先への納期がどうこうと、男女の睦言にはほど遠い。
 ……メイとしてはハズレだったんじゃねえか?
 部屋は見た感じ、狭いワンルーム。ちらっと映り込んだベッドを見るに、女の部屋であることに間違いはなさそうだ。そんな場所で密会しておいてプライベートでの付き合いがないということもないだろうが、いかんせん浮気の証拠としては弱い。
 ややあって画面が暗転し、部屋の様子は見えなくなった。多分、親父が携帯をテーブルかどこかに置いたんだろう。
 苛ついているのか、メイが人差し指でタブレットのフレームを叩く。
 と――

礼一郎

これを、いつもの口座に頼む

 礼一郎の声に、俺はふっと我に返った。
 これ? いつもの口座?

一星

……愛人手当てでも渡してんのか?

 同じことを思ったのだろう、メイの体が少し前のめりになった。

……大丈夫なの?

 俺は首を傾げてしまう。女がなにを懸念しているのか、見えてこない。“奥さんがいるのにこんなことをして”という意味なら、礼一郎はもう離婚している。女も既婚者なんだろうか。いや、だとしたらワンルームってのはありえない。仕事の話をしてるってことは同じ職場なんだろうし、相手もそれなりに稼いでいるはずだ。
 じゃあ密会のために、わざわざアパートを借りているのか――それもなんつうか、考えづらい。藤崎家は、あくまで“どっちかといえば裕福な方”なのである。誰もが羨む富裕層や資産家ってやつとはまた違う。あの親父に愛人用との密会用アパートを借りて、更に手当てまで渡すほどの甲斐性があるとは思えない。
 男女の会話は続いている。

礼一郎

君が心配することはない

でも、そろそろ経理部が気付くんじゃないの?

 ……経理部?
 愛人手当ての話じゃないのか?
 なんだか話の雰囲気が怪しくなってきたように感じてしまうのは気のせいだろうか。

礼一郎

もちろん、なにも考えていないわけではないさ。むしろそうなったときのことを想定して、敢えて分かりにくく痕跡を残してあるんだ

痕跡を残してある?

 不思議そうに訊き返す女。礼一郎が答える。

礼一郎

経理部に入った新人、いただろう

え、ええ。半年前に入ってきた子よね?

礼一郎

責任者の瑞野はプライドばかり高くていい加減なやつだよ。帳簿の検証を、経費の上乗せにも気付かないような新人に任せきりで一切把握していない。他のやつらも自分の業務に手一杯。新人が入ったばかりの頃に誰だったかが苦言を呈したようだが、上司に楯突いたと嫌がらせされて辞めていった

 そこで女は、なにかに気付いたようだ。

ああ、痕跡って……

 不安に揺れていた声が、安堵に緩む。

そういうこと。新人くんに押し付けちゃおうって……悪い人

 会話の中身が、俺にもようやく掴めてきた。
 こりゃ、あれだ。多分横領だ。

でも、新人くんのくびが切られちゃったらどうするの?

礼一郎

そのときは当分、大人しくするさ。副収入がなくなるのは辛いが――

 その言い方に、女はころころ声を立てて笑った。

副収入ですって。礼一郎さんってば

礼一郎

娘が事件に巻き込まれたと知ったときはツいていると思ったんだがな。そう上手くはいかないものだ。大学進学も近いし……正直、奨学金で勝手にやってくれと言いたいところだが、社の連中に知られたら心証が悪くなる

 娘にはだんまりを決め込んでいたくせに、女が相手だとよく喋る親父である。会話を聞きながら、フレームに添えられたメイの手は震えていた。怒っているのか、悲しんでいるのか、俺のカメラからでは表情が分からない。
 話題は娘への愚痴から元妻の悪口に移っていく。女は相槌を打ちながら、時折「可哀想」だとか「わたしならそんな思いをさせなかったのに」だとか口を挟んでいる。メイはしばらく二人の会話を聞いていたが、あまり長居をすべきでないと判断したのだろう。
 震える手でタブレットと携帯の同期を切ると、手早く荷物をまとめて立ち上がった。急き気味にリトルカブを駐めた場所へ戻る――

ちょっと!

 愛車(だろう、多分)に跨ろうとしたところで、呼び止める声が聞こえた。驚いたらしい少女の体が小さく跳ねる。振り返った先には、初老に差し掛かった女が立っていた。
 アパートの住人か、管理人か。
 どっちにしても間が悪いこと、この上ない。

うちの住居者じゃないね。敷地に駐められると迷惑なんだけど――

すみません

まずいと思ったのか、メイはリトルカブのエンジンを掛けた。

待ちなさい!

 と言われたところで待つはずもなく、車体が滑り出す。背後では女がなにかを喚いていたが、エンジン音に紛れて聞き取れない。

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