◇五章 宮殿に巣食う化け物(3)



























リーゼロッテが去った後の離宮。





サロンは終わったはずだが、応接間にはバルバラとアレクサンドラ、それに少数の彼女の取巻きが残っていた。



アレクサンドラ

本当に気味の悪い女だったわ。幽霊みたいに青白い顔で私のことを睨んだりして。おまけにドレスは地味だし、アクセサリーも少なくて貧乏臭い。あんな女をフォルカーは公妾にしたがっているの? 趣味を疑うわ




滲む不機嫌を隠そうともせずアレクサンドラは顔をしかめさせ、ボヘミアガラスで出来たワイングラスに口を付ける。




けれど対照的にバルバラは、クスクスと可笑しそうに真っ赤な唇を歪めさせて笑った。


バルバラ

いいじゃないの。『皇太子は化け物に憑りつかれた』なんて、おあつらえ向きのシナリオが出来たんだから




その笑い声にあわせ、側にいた男――宮廷の外務大臣もウンウンと頷く。


大臣

生真面目な皇太子さまは化け物の色香に惑わされ、憑りつかれた。そして――

司教

愚かな皇太子は呪いに掛かり魂までも奪われた……と。いやいや、おそろしい、おそろしい




奥のソファーに座っていた男――司教は嘲笑を浮かべながら大げさに肩を竦め、十字を切って見せた。


バルバラ

皇太子を呪い殺した化け物は、あなたの望みどおり火刑に処せられるでしょうね。アレクサンドラ




妖しく目もとを伏せて言ったバルバラの言葉に、アレクサンドラもようやく嬉しそうな笑みをニタリと浮かべた。


アレクサンドラ

きっと大陸中の噂になるわね。愚かな皇太子と忌まわしい化け物の怪談として。火刑台は国を陥れようとした化け物に石を投げようと、人で溢れ返るわ




純粋な美貌を持つリーゼロッテがよほど気に入らなかったのだろう、アレクサンドラは銀髪の少女が無残に痛めつけられる姿を想像してゾクゾクと歓喜に身を震わせる。

女官

田舎の小娘の分際でフォルカーさまの寵愛を受けようなんて思い上がるからいけないのよ

女官

本当、勘違いも甚だしいわ




アレクサンドラが連れて来たお気に入りの女官たちも、口を揃えてリーゼロッテを非難する。そして。


バルバラ

ああ、そうだわ。化け物を宮殿に引き入れたディーダーも処刑にしなくてはね

大臣

おお、やっとあの目障りな男を処分出来ますか

司教

小賢しい皇太子の懐刀め。あやつの口添えのせいで教会への寄付が減額されたと聞きますぞ。まったく、罰当たりな男ぞよ




バルバラがディーダーの処刑を提案すると、他の者達は諸手をあげて賛同した。


バルバラ

我が息子アドルフが皇帝の座につくのに邪魔な者たちを一斉に排除出来るなんて、あの娘には感謝しなくてはね




ワイングラスを掲げれば、その場にいた者たちも皆しぐさを同じくして静かに乾杯の動作をする。


司教

それじゃあ処刑の際には感謝を籠めて、一番極上な悪魔祓いの経典でも唱えてやりますかな




そんなジョークを司教が口にすれば、バルバラもアレクサンドラも血のように赤く塗られた唇を歪ませて笑った。




そうして、私欲にまみれた者たちの宴は夜遅くまで続いた。

































それから数日が経つと、宮殿のみならず帝国中にさまざまな噂が流れ出した。



国民 男

真面目で有名だった皇太子さまがついに寵姫を持つそうだよ、しかも絶世の美女だそうだ

国民 女

美女? 薄気味の悪い幽霊のような女だって聞いたけど

国民 女

寵姫が来てから宮殿では怪奇現象が絶えないそうよ。彼女の正体は悪魔で、皇太子さまを憑り殺そうとしてるらしいわ

国民 男

違うよ、寵姫があまりにも美人だから毎日閨に連れ込んでるせいで皇太子さまはお疲れなんだってさ

国民 女

それって淫魔なんじゃないかしら。やっぱり寵姫は悪魔で皇太子さまを殺そうとしてるんだわ






噂はとりとめもなく交錯したが、バルバラたちの策略によりリーゼロッテが化け物だという評判は着々と浸透していった。





しかしまた、リーゼロッテがフォルカーの寝床に人目を憚らず通うようになったのも真実なのであった。































リーゼロッテ

フォルカーさま、こんばんは。リーゼロッテです





月が高く昇った夜更け、フォルカーの寝室をノックしリーゼロッテがひとりで部屋に入ってくる。




今夜もおずおずと入ってきた少女を、フォルカーは優しい眼差しで見つめ、ソファーに座っている自分のもとへ招いた。


フォルカー

おいで、リーゼロッテ




彼が手招きするとリーゼロッテは小走りで近付く。そして隣にストンと腰掛けると、少し切なげに微笑んだ。



そんな彼女をフォルカーもまた愛しげに見つめ、そっと手を伸ばし柔らかに髪を撫でてやる。



ふたりは見つめ合い、恋慕に満ちた眼差しを絡ませ合うが……決して唇を重ねたりはせず、ましてや淫らな行ないをすることもなかった。


フォルカー

今日もつらい思いをしただろう。可哀想に。……お前には本当にすまないと思ってる

リーゼロッテ

大丈夫です、私はフォルカーさまさえご無事で健康なら平気ですから





リーゼロッテが化け物で皇太子に憑りついているという噂は、フォルカーの耳にも届いていた。



純朴な彼女に浴びせられる下卑た好奇心の眼差しや心無い噂は、フォルカーの胸を激しく痛ませる。



それもディーダーの計算のうちだとはいえ、自分のせいで愛しい少女が傷付けられているのだ。心苦しすぎてフォルカーはせめて彼女を慰めようと、こうして毎晩部屋に呼び寄せては優しく慰撫してやっていた。



もちろん、リーゼロッテを毎晩部屋に通わせるのも周囲に『皇太子は化け物の寵姫に夢中になっている』と思わせるディーダーの作戦ではあるのだが。



静かに髪を撫で続けてくれるフォルカーの手を嬉しそうに受けとめながら、リーゼロッテは心を落ち着かせる。




長くてしなやかな指は優しく、おだやかに触れてくれるだけでリーゼロッテの胸は満たされた。他には無い充足感と甘いときめきは、フォルカーだけが与えてくれるものだ。



毎晩閨を共にしてるという噂がたっても、信念のあるフォルカーは決してリーゼロッテを抱いたりはしなかった。



けれど、リーゼロッテはもうそれを悲しくは思わない。


ディーダーが、フォルカーとリーゼロッテの未来を救ってくれると約束したのだから。今は希望を信じるだけだ。


リーゼロッテ

あのね、フォルカーさま。あまりにもみんなが私を化け物だと言うから、今度から頭に悪魔みたいな角飾りを付けてやろうかと思うの。そして誰かに会うたびに「がおー」って挨拶するわ。きっとみんな驚いて腰を抜かしちゃうかも




傷付いた心を隠すように気丈にもおどけて冗談を言ってみせたリーゼロッテに、フォルカーは切なく微笑むと彼女を腕に抱きすくめた。


フォルカー

そんな可愛らしい悪魔だったら、宮殿中の男が惚れ狂ってしまうな。俺は嫉妬深いからそれは面白くない。天使の格好でも悪魔の格好でも好きにすればいい、けど俺以外に見せては駄目だ




彼の独占欲をあらわにした台詞に、リーゼロッテの頬が熱く紅潮した。


リーゼロッテ

み、みんなを驚かせるためなのに、フォルカーさまにしか見せないんじゃ意味がありません

フォルカー

構わない。お前の愛らしい姿を見るのは俺だけでいい




宮殿に蔓延る悪意と戦う決意をしてから、フォルカーはリーゼロッテへの想いをもはや隠すことはしなくなった。




この大きな戦いに彼女を巻き込むのに、『友達』などという詭弁では乗り越えられない。



お互いが愛し合って、きっとその想いが救われる未来を信じなければ、共に敵に立ち向かうことなど出来ないだろう。


フォルカー

愛してる、リーゼロッテ。今はつらいだろうが、必ずお前を堂々と愛せるようになってみせる




フォルカーの腕の中で、リーゼロッテは泣きたくなるほど熱い感動を覚えた。



誰かを愛し、愛される喜びを生まれて初めて知った少女の胸は歓喜で溢れかえる。



そのまま唇を重ねてしまいたい衝動を抑えながらも、リーゼロッテは彼の顔にそっと手を伸ばすと指先で頬に触れた。



けれど。指先に感じた粉っぽい感触にハッとして手を引っこめる。

フォルカー

ああ、すまない。今日はまだ白粉を落としていないんだ




フォルカーはそう言ってソファーから立ち上がると手拭布で顔を拭い始めた。青白かった顔色があっという間に健康的な肌色に戻る。


リーゼロッテ

やっぱりそちらの方が良いですね。白粉と分かっていても、フォルカーさまの顔色が悪いと不安になります




元の顔色に戻ったフォルカーを見てリーゼロッテが安心したように顔をほころばせた。


フォルカー

俺も鏡を見るたび憂鬱な気持ちになるよ。けど仕方ない、あいつらを欺くために俺が弱っているように見せねばな




フォルカーが化け物に憑りつかれ日に日に弱っているという噂を後押ししてるのは、彼が寝るとき以外はコッソリと塗っている白粉のせいだった。



僅かに青を混ぜた白粉はフォルカーの顔色を悪く見せ、周囲の臣下たちは皇太子の健康を心配しはじめている。



もちろん、この白粉を用意してきたのもディーダーだ。


フォルカー

こんなものまで用意して、まったく我が部下ながら大したヤツだよ




しみじみ感心したように白粉の入った瓶を眺めるフォルカーに、リーゼロッテは少しだけ心配そうに声をかけた。


リーゼロッテ

あの、本当にお身体は大丈夫なんですよね? どこも悪くはなってないんですよね?




そんな彼女を安心させるように微笑むと、フォルカーは再びリーゼロッテのいるソファーまで戻って腰を降ろした。


フォルカー

ああ。ディーダーの薬のおかげで支障ない。心配するな




それを聞いてリーゼロッテは胸を撫で下ろす。



強大な悪意と戦っているのは自分だけではない。愛するフォルカーもまた、水面下で命を懸けて戦っているのだ。


リーゼロッテ

化け物と周囲に噂されたぐらいで負けていられないわ。フォルカーさまはもっと苦しい思いをしてらっしゃるのだから




リーゼロッテは心の中で静かに闘志を燃やすと、隣に座るフォルカーの手をキュッと両手で包み握った。


リーゼロッテ

フォルカーさま。これからどんなことがあっても、必ず私があなたをお守りします。私、負けませんから




大切なフォルカーを励まそうと真剣に口にしたのに、どういうわけかクスクスと笑われてしまった。


フォルカー

勇ましいな、お前は。けどそれは俺の台詞だ。この先何が起ころうと、俺はリーゼロッテを守ってみせる。卑怯なやつらに決して負けたりはしない。栄光のコルネリウス家の名に懸けて




フォルカーはリーゼロッテの瞳を見つめしっかりと頷くと、今度は部屋に飾ってあるコルネリウス家の紋章が織られたタピスリーに視線を向ける。




二匹の獅子と太陽が描かれた栄光と勝利の証。代々受け継がれてきた由緒ある紋章は、コルネリウスの血を引くフォルカーの勇気を奮い立たせてくれるかのようだ。



リーゼロッテもまたその紋章を見つめ、自分の中に勇気が湧くのを感じた。



お互いを労わり、そして奮い立たせ合いながら、リーゼロッテとフォルカーの夜は今日も過ぎていく――。








【つづく】











◇五章 宮殿に巣食う化け物(3)

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