◇五章 宮殿に巣食う化け物(1)



















リーゼロッテの社交界デビューは、カール公爵の屋敷で行われた。




カール・フォン・グレーデン公爵はディーダーの伯父である。表向きはカール公爵の主催だが、裏で糸を引いているのはもちろんディーダーだ。



ディーダーはこの日のために類稀なる美貌を持ったリーゼロッテをさらに美しく磨き上げ、貴族の社交界に相応しい知識と教養を教え込み、そして誰もが見惚れるほど華麗にダンスを舞わせた。



おかげでリーゼロッテは彼の思惑通りたちまち大注目を集め、舞踏会にきていた男たちからこぞってダンスの相手を申し込まれた。




社交界に突如彗星の如く現れた絶世の美少女は、この夜に集まった者たちの話題を独り占めした。




貴族

カール殿、あちらの女性はどこの令嬢ですか? 是非わたくしめに紹介を

貴族

随分とお若く見えるが、18歳になったばかりですか。それならば結婚を申し込んでも問題はありませんな。それで、彼女はどちらの出身で?



続々と質問攻めにあったカール公爵だったが、それには全てディーダーが答えた。


ディーダー

彼女は地方領主クライスラー男爵家のご息女、リーゼロッテです。少々ご縁があって、今は私が彼女をお預かりしている立場です

貴族

男爵令嬢か、まあいい。それで、彼女に婚約者は?




リーゼロッテに興味津々な男達の質問はそれに尽きる。田舎の男爵令嬢とはいえ、これだけ美しい妻ならばどこへ連れ歩いても誇れるし、それ以前に彼女を独り占めしたい。



ディーダーの手で極上の淑女に仕上がったリーゼロッテには、男達にそう思わせるほどの魅力があった。



ところが。


ディーダー

ええ、おります。彼女はこのディーダー・フォン・グレーデンの妻になる予定です




いけしゃあしゃあと言ってのけたディーダーに、集まった男たちがあんぐりと口を開けた。


貴族

な……なんだ、ディーダー殿もお人が悪い。リーゼロッテ殿をこれだけ見せびらかしておきながら、あなたのものだったなんて




初めて社交界に姿を見せたと思ったらすでに婚約者が決まっていただなんて、期待が高まった分、男達はみな肩をガックリと落としてしまう。



しかし、続けてディーダーが言った台詞にその場にいた誰もがさらに驚かされた。


ディーダー

フォルカー殿下にはすでに謁見を済ませてあります。殿下もリーゼロッテの美しさには心酔されていましてね





フォルカー皇太子が真面目で堅物な男であることは有名だ。だから彼を知るものは誰しも、フォルカーは皇帝になっても公妾を作らないだろうと思っていた。



けれど、大陸一と言っても過言ではない美しさを持つリーゼロッテを彼が気に入ったのならば話は別である。



生真面目な殿下が信念を覆して公妾を持つ可能性は充分にある。そうなれば宮廷内の派閥や権力争いにも大きな変革が起きるだろう。


公妾はときに政治への影響も及ぼす。国で一番の権力者に一番愛される存在になるのだから、その発言力は計り知れない。





ディーダーの発言を受けて広いダンスホール内の空気が変わった。




さっきまでリーゼロッテを羨望や妬みの目で遠巻きに見ていた女達が、途端に何人も彼女に駆け寄り挨拶をする。



求婚をあきらめた男達も今度はリーゼロッテのお気に入りになろうと媚を売り出す。



その反面、渋い顔をして戸惑うように彼女から離れた者も幾人もいた。


ディーダー

分かりやすいですねえ。こんなに便利なふるいは他にはありませんよ




そんな光景を眺めディーダーは静かに目を細めた。




宮廷に仕える者はみな、ディーダーがフォルカーの片腕であり策略家であることを知っている。



そんな男が美しい婚約者をフォルカーに会わせ心酔させたのだ。リーゼロッテは間違いなく公妾になると、ここにいるほとんどの者が予感した。



それは新勢力の誕生だ。未来の公妾と今から仲良くなっておけば、当然将来の有益となる。



逆に彼女に脅威を感じるのはアレクサンドラ派の者たちだ。絶対安泰だと思っていた宮殿の女主人の座に、いきなりの強敵が現れたのだから。




未来の皇后か、未来の公妾か。そのどちらにつくべきかダンスホールにいた者たちはざわつきながらも決断していった。

































舞踏会で初めてのお披露目を済ませたリーゼロッテは、部屋に帰りついた途端ソファーに身体を倒れこませ大きく息を吐く。


リーゼロッテ

ああ、緊張した。ディーダーさま、私きちんと言われたことが出来ていたでしょうか?

ディーダー

ええ、百点満点の出来でしたよ。花丸をあげましょう




ニコニコと機嫌よく笑って向かいのソファーに座ったディーダーの言葉に、リーゼロッテはもうひとつ安堵の溜息を吐き出した。




今夜のお披露目でリーゼロッテはとにかく可憐な淑女でいるようにと命令された。ほどほどに愛想よく、それでいて慎みを忘れずに。あの場にいた誰もが彼女に好意的な印象を持つように。



そして、ディーダーの口裏にあわせることも、あらかじめ指示されていた。


ディーダーの婚約者としてふるまうようにと言われたときにはさすがに驚いたが、

ディーダー

大丈夫です。本当に結婚なんてしませんから。フォルカーさまのため、ちょっと必要な手続きだと思ってください



と言われ、不思議に思いながらも納得した。



貴族の女性は夫を持って一人前の社交家として扱われる時代、公妾もまた既婚女性のみがその立場に着くことを認められていた。



妻を持つ皇帝が夫のいる女性を愛し公に不倫する――それが公妾というものであるが、潔癖なフォルカーにとってはいかんせん許し難い制度である。



けれど、ディーダーの作戦に従いリーゼロッテを周囲に公妾候補として納得させるためには、彼女を独身のままでいさせる訳にはいかない。



そこで便宜上ディーダーの婚約者と名乗らせた訳だが……芝居だとはいえリーゼロッテが他の男のものになることにフォルカーがほんのり嫉妬したのは、言うまでもない。















かくして。



社交界を震撼させた美しき公妾候補の噂は、夜が明けると共に瞬く間に広がり、三日もしないうちに宮殿内はその話題で持ちきりになった。













夫人

聞きました? ディーダーさまの婚約者の噂

貴族

この国、いや、大陸一の美女だそうだ

夫人

あの真面目で頑固な皇太子殿下が公妾に望むほどですって。すでにたいそうなご寵愛を受けてるらしいわよ

貴族

美しいのに少女のように可憐で、ひと目見たら忘れられないそうですよ




噂の内容はリーゼロッテの美しさと、フォルカーが公妾を持つという内容に終始した。



全てはディーダーの思惑通りである。





そしてその噂が、異国のアレクサンドラの耳に届くことも。









リーゼロッテの元にバルバラからサロンへの招待が届いたのは翌月のことだった。

リーゼロッテ

わ、私が皇后陛下のサロンに……?

ディーダー

ええ。お会いするのはバルバラさまだけではありません、アレクサンドラさまも招待されてるとのことですよ





皇后の封蝋が押された招待状の封筒を持って、リーゼロッテは不安げに顔をしかめさせる。



アレクサンドラはリーゼロッテにとって一番会いたくない人物だ。無意識ではあるがフォルカーの婚約者である彼女に嫉妬してしまうし、それに何故だか彼女には嫌なものを感じてしまう。



そんなモヤモヤとした気持ちを抱えるリーゼロッテに、ディーダーは優しく肩を掴むと微笑んで見せた。


ディーダー

リーゼロッテ。誰かの力になりたいと願うなら、時には勇気や戦う強さも必要なのですよ

リーゼロッテ

戦う……強さ?




相変わらずディーダーの言葉には抽象的なことが多くてリーゼロッテには上手く理解が出来ない。


どうしてサロンに招かれたことに勇気が必要なのだろうか。


ディーダー

でも安心しなさい。あなたはフォルカーさまと僕がちゃんと守りますから。だからあなたもフォルカーさまを守るために戦ってくるのですよ




ディーダーの言葉にリーゼロッテはますます首を傾げてしまう。



けれどフォルカーのためと言われてしまったのなら、怖気づく訳にはいかない。


リーゼロッテ

分かりました。私、フォルカーさまのためならば何があっても頑張ります




素直に頷くリーゼロッテに、ディーダーは満足そうに目を細めて彼女の頭を撫でた。


ディーダー

いい子ですね、純真で従順で。やはりあなたを選んだ僕の目は間違ってませんでしたね





そしてディーダーはふと顔を上げて窓の外を見やる。



夜空にぽっかり浮かぶ月を遠くに見て、ディーダーは心の中で祈った。


――月光の少女と帝国の未来に加護を、と。

















【つづく】









◇五章 宮殿に巣食う化け物(1)

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