とはいえ――
気になっちまうもんは、気になっちまうのである。
女子高生を一人倉庫に残して、落ち着いて寝ろってのが無理な話だ。そもそも俺は、あのやたらめったら綺麗な相棒と違って女嫌いなわけではない。家族に苦い思いを抱いてはいるが、だからこそ鼻を明かしてやりたいメイの気持ちも少しだけ分かってしまう。
とはいえ――
気になっちまうもんは、気になっちまうのである。
女子高生を一人倉庫に残して、落ち着いて寝ろってのが無理な話だ。そもそも俺は、あのやたらめったら綺麗な相棒と違って女嫌いなわけではない。家族に苦い思いを抱いてはいるが、だからこそ鼻を明かしてやりたいメイの気持ちも少しだけ分かってしまう。
いくら悪魔じみた女子高生でも、あんな倉庫に一人ってのはな。夕月さんが脅しちまったし、泣いてるかもしれねえしなァ……
倉庫近くの隠れ家――ボロアパートだ。俺たちの名義で借りているわけではない。こういう物件を適当な名義で借りて、同業者に又貸ししているやつがいるのだ。そんな部屋は、付き合いさえ怠らなけりゃいくらでも紹介してもらえる――窓辺でぼんやり競馬雑誌を眺める夕月さんの様子を気にしつつ、俺は携帯を操作していた。
メイに身につけさせたままのヘッドフォン――あほのように大きくて、重量もある、武骨なタイプを選んだのは、なにも遮音性だけを重視した結果ではない。集積マイクと盗撮用の小型カメラを仕込むためなのだ。
なにを隠そう、ストーキング行為は俺の趣味の一つである。
さあて、メイはどうしてるかな
うっすらと善人にでもなったような心地で、液晶画面を覗き込む。倉庫の中にはアウトドア用のランプを一つ。光量を絞って、置いてきた。盗撮用カメラの質はお世辞にもいいとはいえないが、十分に倉庫内の映像を拾ってくれる。少女は――
おっ、おっ、おっ?
カメラの映像が左右に動く。
どうやらあたりを見回しているようだ。カメラが仕掛けられていないか、確認したのかもしれない。真っ先に思いついたのは、トイレかということだった。さすがにオムツをあてるのも気が引けたので、左手を自由にさせて簡易トイレを置いてきた。右手は手錠で備え付けの棚に繋いだままだが、まあどうにかなるだろう。
俺は慌てて目を逸らした。いくらストーキングが趣味とはいえ、女子高生の排尿シーンを拝みたがるような変態趣味までは持ち合わせていない。画面から目を逸らしたまま、たっぷり十秒。いつまで経っても“音”が聞こえてこないことを訝り、視線を戻した俺はぎょっとしてしまった。
メイは制服のベストをたくし上げている。
おいおいおいおい、上を脱ぐ必要はねえだろうがよ
細い指先がシャツのボタンを上から外していく。可愛らしいフリルのあしらわれた水色の下着と白い胸の谷間。女子高生の一人ストリップショーを、やはり手放しでは喜べない俺だ。だって、そうだろ。
この不自然なシチュエーション。
いくら倉庫内が蒸れるからといって、まだ初夏にも差し掛かっていない。下着一枚になるほど、暑いはずがないのだ。まさか誘拐されたこの状況で、一人いけないことなどいたしたくなってしまったわけでもあるまい。そんな都合のいいアクシデントなど起こるはずがないと断言できる程度には、俺は大人である。
たとえば夕月さんに内緒でこっそりと倉庫へ舞い戻ってみたところで「お兄さん、わたし寂しいの。抱いて」――なんて今日びエロ本にもないような展開には絶対にならない。期待するだけ自分が辛い思いをするのだ。俺は騙されない。
あるいは俺ではなく夕月さんだったらありえないこともないだろうが、なんというか夢も希望もない現実に悲しくなってしまうのでここらでやめておこう。
一人悲しみに暮れながら、様子を観察する。少女はシャツの裏地からなにかを取り出した――携帯だ。つい先日リリースされたばかりの最新モデルで、その薄さが話題になった。
な……
なんで。
口の中で、俺は呻いた。
メイの鞄は、彼女を誘拐した路地にそのまま置いてきた。その中に携帯が入っていたのも、確認してきた。手足を拘束する際、制服のポケットもあらためた。
ってのに、なんでこいつはこんなに用意周到なんだ。メイは左手で携帯の液晶画面を操作する。呼び出したのは電話の発信画面だ。打ち込む番号はもちろん110番。そこまで悠長に眺めてしまった俺は、今更のように声を上げた。
夕月さん!
飽きもせず競馬雑誌を眺めていた相棒が、こちらに物憂げな視線を投げてくる。
君というやつは、また“覗き”か?
いやまあ覗きには違いないんですけど、一大事で――
どうした? まさか、あの子供が寂しがって泣いている……とでも言うんじゃないだろうね
いくら俺でも、そんなことをあんたに知らせたりはしませんよォ
冷淡なのか呑気なのか、これだからお坊ちゃん育ちはと言いたくもなる。冗談を言っている場合ではないのだと、俺は夕月さんの鼻先に携帯を突き付けた。相棒は露骨に嫌そうな顔でリアルタイムに流れてくる映像を眺め――
おい、一星!
椅子から勢いよく立ち上がった。
競馬雑誌が床に落ちるのも構わず、真っ白な顔で俺に詰め寄る。ま、当然だ。監禁同然、連絡手段なんてないはずのメイが携帯で悠然と警察に通報してるってんだから。
なんだっ、これっ、どういう……!
あー、どこから話せばいいんでしょうねェ
メイの行動を思えばもたついている時間なんて一秒たりともないんだが、そうはいってもどうすればいいのか分からず、説明に迷ってしまう。
要点だけ簡潔に頼む
動揺に声を引き攣らせつつ、会話をリードしてくれるのはさすが相棒といったところか。俺も深呼吸を一つ。ようやく落ち着きらしきものを取り戻して、告げた。
あいつ、シャツの中に携帯を隠し持ってたみたいです
なんでシャツの中に……
反則だ。と、夕月さんが額を押さえる。
その気持ちは俺にもよく分かる。なんでそんな場所に携帯を隠し持ってんだって話だ。常に命を狙われてるVIPでもなければ、大金持ちの令嬢ってわけでもなく、もちろんスパイなんかでもない。中流の上、あるいは上流の下の下。平均よりちょっと余裕がある家に生まれただけの女子高生が、自意識過剰すぎんだろうがよォ。
こういうの、過剰防衛っつうんじゃねえの? 違う?
行きます?
訊ねる俺に、夕月さんはかぶりを振った。
いや、警察と鉢合わせたらまずい
それは確かに、なんだが――
でも、どっちにしたって顔は割れちゃってますよ。早く逃げねえと……
いや、待て
腰を浮かしかけた俺を、夕月さんが制止した。
なにやってんですか?
しばらく様子を見よう。あの子が通報をしたなら、焦って動くとかえって警察の目に留まる可能性もある。職務質問などされる羽目になったら厄介だ。ならばカメラとマイクが生きているうちは、様子を窺うべきだと思う
そう言って椅子に座り直し、もう映像に視線を戻している。こうなったら、なにを言っても無理なのだ。経験上それを知っている俺は、酷く落ち着かない心地でベッドの端に腰を下ろした。メイはもう電話を終えたようだったが、夕月さんは構わず音量を上げた。
聞こえてくるのは、少女の微かな呼吸音。沈黙が重い。夜が永遠に続くんじゃねえかって、そんなふうに錯覚しかけた頃――シャッターが、がたがたと音を立てた。
さすがに驚いたのか、メイが小さく悲鳴を上げる。
藤崎さん、いるか?
聞こえてきたのは、若い男の声だった。慌てて駆け寄ってくる足音。
お、おいっ、大丈夫かよ
映ったのは、なんとも初々しい警官だった。歳の頃は俺と同じくらいか。相手が厳めしい顔のベテラン風警官じゃなかったことに、俺は少しだけ安堵する。
映像が揺れた。
メイが頷いたんだろう。続けて会話が聞こえてくる。
あ――自分は御門駅前派出所の瀧秀介だ。ここから一番近くにいたから、駆けつけた。ええと……怪我はしてないって言ったよな。あと……他になにかされていないか?
してねえよ。失礼なやつだな。
――と言いたいところだが、いくら弁解したところで倉庫の二人には届かない。
大丈夫です
メイが答える。
よかった
どことなくアホそうで頼りなさげな男だが、悪いやつではないんだろう。心底安堵したような表情で胸を撫で下ろすと、思い出したようにメイの肩を掴んだ。
そ、そうだ! 犯人! 犯人の顔は見たか?
警官の問いかけに、夕月さんがぎくりと体を強張らせる。俺も思わず息を止めてしまう。
メイは――
いえ。相手、顔を隠していたので分かりませんでした。男の人だと思います。出て行くときに片手だけ自由にしてくれたので、隠していた携帯で通報したんです。怖かった……
嘘を吐いた。
……どういう意図があるのだと思う?
メイの奇妙な言動に、夕月さんは安堵するどころか、ますますその美貌を曇らせている。
俺たちを庇った……ってわけじゃあないでしょうねェ
なんせあいつは両親に一泡吹かせるために俺たちをそそのかそうとするような、とんでもないガキなのだ。しかも肝が据わっていて、したたかである。
絶対に、なにか裏がある。
少し泳がせるか
夕月さんが、ぽつりと呟く。
カメラのバッテリーはどれくらいもつ?
予備のバッテリーを仕込んであるんで、多分あと二日くらいは
たとえカメラのバッテリーが二日もったところで、メイがいつまでもあのヘッドフォンを手放さないとは限らないし、場合によっては警察に押収されてしまいそうだが。
そこは運を天に任せるしかないな。もし駄目そうなら、さっさとこの街を出る。そういう意味では君のストーキング趣味に助けられたな、一星
なんつうか、わりと場当たり的ですよねェ。俺ら
こんな調子でよく前科が付いていないよなと、たまに自分の強運が恐ろしくなる。やっぱり“ツキを持っている”人間ってのは違うのかね。
なんてこと言ってると、足元掬われそうだけどな。
とりあえず今夜は休んでおくか
明日からのことを考えると酷くげっそりしてしまって、俺はそのまま固いベッドに倒れ込んだ。
まったく、小悪党をやるのも楽ではない。