俺が悪い。
 確かに、俺が全面的に悪い。頭も悪い。それは認めよう。しかし、いくら頭の悪い俺でも面と向かって死ねと言われたら傷付くのである。
 夕月さんの顔を見ることもできず、がっくりと項垂れる俺にメイが言った。

わたし、記憶力いいんだ。あと、絵を描くのも得意。これがどういう意味か分かる?

 考えるまでもない。
 脅迫だ。俺は、女子高生に脅迫されている。
 愕然と顔を上げ、メイを、そして夕月さんを見る。相棒は珍しく、苦虫を百匹くらい噛み潰したような顔をしていた。
 薄ら笑いを浮かべながら、メイが続けてくる。

選択肢は二つだね。わたしのこと、口封じに殺すか――

一星

いやいや、さすがに殺しは死ねえよ。無理。俺ら、そういう専門じゃねえからよ

 とんでもないことを言い出した女子高生に、俺は勢いよくかぶりを振った。
 ――警察に通報したら、娘の命はないと思え。
 なあんて脅しつけてはみたものの、俺たちは小悪党なのだ。冷酷無慈悲かつ凶悪な大悪党とは違う。
 俺は家庭環境の悪さから道を踏み外しただけの、根は健全かつまっとうな青年である。夕月さんだって似たようなもんだ。女不信をこじらせて恋愛詐欺を繰り返している、ただそれだけの男だ。
 虫も殺せない……とは言わないが、少なくとも小動物を殺して悦に入るような趣味もない。まして人間を殺すだなんて考えたこともない。道徳どうこう倫理どうこうというより、まずそんな度胸がない。

じゃあ、逮捕だね

 あっさりと、メイが言う。

誘拐って、どれだけ重い罪になるのかな。お兄さんたち調べれば余罪もありそうだし、実刑食らっちゃうかも。留置所ってプライバシーとか一切ないんでしょ?

一星

こ、このくそガキ……!

 短気な悪党だったら、次の瞬間にでもこのくそ生意気なガキを殺してしまっていたに違いない。けれどやっぱり俺は悪党になれないのだ。殺意らしきものを抱きはしても、殺せない。怒りにがちがちと歯を噛み鳴らしながら、舐めきった態度の女子高生を睨むだけだ。

 緊急事態に、夕月さんは電話を掛けている。
 相手は依頼主だろう。厄介事を押し付けてくれた相手への当てつけの意味もあるのか、メイが聞き耳を立てるのにもお構いなしだ。

夕月

失敗です、奥様。ターゲットは慰謝料を払わず、お嬢さんの誘拐を警察に届け出ました。計画の続行は無理でしょうね。で、我々はこの後どうすれば――

 そんな夕月さんを、メイは冷めた目で眺めている。

一星

こいつ、電話の相手が誰なのか気づいているのではなかろーか

 密かに疑う俺、そして女子高生の視線にも気づかない様子で、夕月さんが声を上げる。

夕月

はあ?

 相手になにを言われたというのか、美貌が鬼の形相に変わる。

夕月

用済み? あとは勝手に? おい、ふざけるな! この馬鹿女……!

 あ、化けの皮が剥がれた。
 こうなってしまえば、夕月さんも俺と変わらない。
 どこか儚げであり、理知的であり、いつまでも眺めていたくなるような美貌を持つ男――華邑夕月。品位は容貌に表れるというようにお育ちもけっして悪くないはずなのだが、所詮は道を外れたアウトロー。同じ穴の狢とは、よく言ったものだ。
 知的な紳士はどこへやら、怒り狂った夕月さんは多分もうとっくに切れているであろう携帯電話に向かってなおも罵声を浴びせている。

夕月

馬鹿女! 逃げるんじゃねえぞ! 誰が無能だ。母親のくせに外に男作って逃げたビッチが、くそ生意気なガキを他人様に押し付けやがって。ゆるいのは股だけにしとけよ、このド淫乱!!

 あーあーあー……。
 道を歩いていたら十人の女が十人とも振り返る、同じ男として嫌みを感じることさえ憚られるほど美しい男が口汚く下品に女を罵っている。
 根が女嫌いなだけに、一度口に出してしまうと止まらないんだろう。とはいえ、見るに堪えない光景ではある。正直、聞くにも堪えない。

あれ、止めないの?

 訊ねてくる諸悪の根源を、俺はただ睨み返した。

一星

君子危うきに近寄らず、だ

 下手に止めに入れば、そもそも君が――と怒りの矛先を向けられるのは目に見えている。なんとなくメイの耳をヘッドフォンで塞いで(誘拐してきたときに周囲の音を遮断するため付けていた、あれだ)俺自身も両手で耳を押さえること五分。
 ようやく、罵声が止んだ。気が済んだというわけではなく、ただ疲れただけなのだろう。目をつり上げたまま肩で息をする夕月さんに、俺はおそるおそる声をかけた。

一星

お、お疲れさまです。こいつの母親、もしかして裏切りやがったんですか?

 母親――そう、依頼人。今回の誘拐を仕組んだのは、なにを隠そうメイの母親だ。
 俺たちは無作為に金のありそうな家の子供を選んだわけではなく、別れた夫の許に残さざるをえなかった娘を引き取りたいという彼女の依頼に応える形でこの誘拐劇を仕組んだのであった。

 曰く、夫に浮気され無一文で放り出されてしまった。金銭的な事情から娘も奪われ、悔しい思いをしている。最近ようやく後ろ盾になってくれる新しい恋人ができたため、娘を引き取りたいが、元夫はおそらく養育費など支払ってくれないだろう。それではあまりに悔しいので、誘拐騒動を起こしてどうにか徴収したい。世間体を大事にする元夫は警察に訴えず、必ず金を払ってくれるはずだ――と。
 報酬は、身代金でせしめたうちの百万。魅力的だった。ほんの少しの義侠心もあった。ついでになにかと借りのある“仲介業者”に頼まれて、断りにくい状況でもあった。悪党だろうが、そんなもんだ。真の自由なぞそうそうない。どこの業界も大抵は金と力を持ったやつが仕切っているし、付き合いやらなんやらしがらみも多い。世知辛い世の中である。
 やはり母親が一枚噛んでいることに気づいていたのか、メイは苦笑交じりに言った。

わー。お兄さんたち、騙されちゃったね

 騙されたという言葉に、夕月さんが形のいい眉をぴくりと上げる。
 夕月さんは女を食い物にしていることでそこそこ知られた恋愛詐欺師だ。シロート女に騙されただなんて物笑いの種だし、なによりプライドが許さないんだろう。

夕月

なに……?

母さんね、理由もなく無一文で放り出されたわけじゃないんだよ。有責なの。新しくできた恋人っていうか、もうずっと前から付き合ってる不倫相手ね。世間体を大事にする父さんが相手だから、慰謝料を財産分与と相殺って形にしてもらったんだ

 苦笑するメイに、夕月さんが絶句する。

夕月

なっ

わたしのことダシにして、父さんからお金を引き出そうって思ったんだね。そんなの無理だって、少し考えれば分かりそうなことなのに。母さんが言うとおり、父さんは世間体を大事にする人だけどさ。だから仕方なくわたしを引き取って、嫌々お金出してるんだもん。警察が失敗してわたしが殺されたら、父さんは可哀想な被害者になれる。金食い虫の娘を殺してもらえて、世間からは同情されるんだよ。そんなチャンス、逃すはずない

 俺たちが聞いていた話とは、随分と違いそうだ。

わたしに六百万も価値なんてないって、そんなことも分からないからやり込められちゃうんだよ。父さんにも愛人がいそうな気配だし、ちゃんと調べれば痛み分けくらいにはなったはずなのに。よりにもよって誘拐だって。ほんと、意味ない。馬鹿みたい

 鼻を鳴らすメイに、俺と夕月さんは気まずげに顔を見合わせた。もちろん子供の言葉をまるっと鵜呑みにするつもりはないが、結果だけ見ればこのとおり。メイの母親は嘘吐きで、父親も食えない男だ。
 なんつうか、頭っから痛いガキだなんて決めつけてしまって悪かったような気もする。
 俺の家族もタイプは違えど大概だったので、親から愛情を感じていないらしいメイにはなんとなく親近感を覚えてしまった。だからといって、ほだされてやるわけでもねえけどな。

夕月

……さて、どうするか

 と、夕月さんが仕切り直す。
 俺がそれに答えるより早く、メイが口を挟んだ。

ねえ。“ゲオルグ”さんに、“コール”さんだっけ?

 声には含みがある。

夕月

…………

 夕月さんが、慎重にメイを一瞥する。
 女子高生はニッと笑って続けた。

お兄さんたちさ、うちの親に復讐したくない?

夕月

復讐?

いいように使われて、こんなくそガキにまで馬鹿にされて、腹も立ったでしょ?

 見え透いた挑発だ。

夕月

君の目的は?

 訝る夕月さんに、メイは縛られたまま器用に肩を竦めてみせる。

目的っていうほどのものでもないけど……そうだね。母さんをあっと言わせて、父さんにちょっと痛い目見せてやれたらそれでいい

夕月

と、言うが。具体案はあるのか?

父さんの浮気の証拠を掴んで、母さんの鼻先にぶらさげてやるとか?

 夕月さんの問いかけに、メイの返事は早かった。

父さんは慌てるだろうね。婚姻期間中から愛人と関係してたなんて知れたら、会社でも大顰蹙だよ。女性の気持ちを考えて商品を開発していますってイメージを大切にしてる企業だもん。母さんも喉から手が出るほど証拠をほしがるだろうし、きっと泥沼になる。お金だって、多分わたしの身代金よりもたくさん払ってくれるんじゃないかな?

 前言撤回。
 親の愛に飢えた可哀想な女子高生かと思いきや、悪魔のようにしたたかなガキである。親近感もなにもあったものではない。俺が十七歳の頃は、もっと繊細かつ可愛げがあった。

お兄さんたちが危ない橋を渡りたくないっていうなら、わたしが父さんの車にGPS隠してもいいし、盗聴器とカメラだって仕掛けるよ。探偵ごっこみたいで面白そう

 極めつけが、これだ。末恐ろしい。
 呆然とするあまり、ぱかーんと口を開けて間抜け面晒してしまう俺。対照的に、夕月さんは冷静だった。

夕月

ここから逃げるための嘘ではないという保証は?

だから、信用できないなら口封じしてくれていいってば

 メイが唇を尖らせる。挑発なのか自暴自棄なのか、俺にはちょっと判断できない。夕月さんは、前者と受け取ったらしい。不意にメイの前でかがむと、片手で少女の顔を掴んだ。

夕月

粋がるなよ。死ぬより苦しいことは、いくらでもある

 冷えた目で凄む。
 なまじ顔が整っているだけに、脅しも洒落にはならない。女子高生をこんな倉庫でちびらせてしまっては可哀想なので、俺もようやく口を挟んだ。

一星

そうだぞ、ゆとりガキ。あんまり大人を舐めると、悪い人に売っぱらっちまうぞ

舐めてない! わたし本気だもん!

 メイが、少しだけ傷付いた顔で叫ぶ。
 けれどもう、夕月さんは少女の顔なぞ見ちゃいなかった。

夕月

まあ、いい。依頼主とのやり取りは記録に残しているから、それを使って落としどころを探るとしよう。報酬についても、彼女についても……な

 早々に立ち上がり、俺の肩に手を置く。
 多分、こいつの話に付き合うなという意味なんだろう。

夕月

あまり長く手元に置いておきたくはないが、彼女の母親との決着が付くまでは仕方ない

一星

……りょーかい

 俯いて震える少女に少なからず憐憫をもよおしつつ。小声で囁いてくる夕月さんに、俺は素直に頷いたのだった。

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