藤崎礼一郎の勤めるオフィスから、三駅ほどの大きな街。巨大な複合商業施設が乱立し、近くに安酒を提供する飲み屋や大学などもあるため、学生の姿が多い。
 ゼミか、サークルの集団か。わいわい騒ぎながら飲み屋に消えていく大学生どもを横目で眺めつつ、人生楽しそうでいいなと指を咥えたくなる俺である。まあそんなことを言ったら、真面目に働いている社会人なぞに「お前なんて他人の不幸に寄生して生きてる小悪党だろ」と罵られてしまうに違いないが。
 まさしく他人の不幸に寄生して生きている小悪党の俺は、待ち合わせのふりをして受け子の様子を窺っているのだった。信用できる同業者を仲介して雇った適当なちんぴらが、夕月さん指定の服装で石像の傍に突っ立っている――なんていったか、昔々たった十騎で敵の包囲を破って首級を挙げたとか、そんな感じの武将サマだ。全国的に有名な偉人というわけでもないのだが、なにしろ槍の先に(多分敵の首だろう)頭蓋骨突き刺したその姿はとにかく目立つので、待ち合わせスポットとしては愛されている――それから、五分。
 駅前の時計が十九時半に差し掛かったとき、スーツ姿の男が受け子に声をかけた。

一星

あれが藤崎礼一郎か?

 不自然にならない程度に眺めながら、俺は訝る。
 なんというか、電話の印象と違うように思えたのだ。スーツの上からもはっきり分かる筋肉質な体つきは、夕月さんをイメージさせたインテリおっさんから程遠い。

 多分、受け子がなにかを答えたのだろう。次の瞬間、周囲にいた数人がさっと輪になって彼を取り囲んだ。あー、あー、あー。これは、あれだ。藤崎礼一郎と、その部下――じゃァない。そうだったら、どれほどましだったことか。やつら、警察だ。鼻先に手帳を突き付けられた哀れな受け子の顔が蒼白になる。
 俺もすぐに逃げ出したいところだったが、ぐっとその場に踏みとどまった。
 警察だって馬鹿じゃない。俺たちが受け子を使う可能性くらい、承知している。多分、何人かはまだ一般人のふりをしてここらにいる野次馬の様子を窺っているに違いない。捕り物を物珍しげに眺める野次馬たちの輪からそそくさと逃げ出すなんて、俺が犯人ですと告白するようなものだ。
 周りの野次馬たちがしているように携帯でムービーを撮るふりをしながら、そっと自分の顔を確認する。うん、大丈夫。大丈夫だ、落ち着け、俺。内部カメラに映っているのは、どこにでもいる大学生風のちゃら男である。陰険そうだと言われるいつもの俺の面影はまったくない(しかし、陰険そうっていうのは人の顔に対する感想としてどうなんだ)
 これなら密かに写真を撮られていたとしても、足が着くことはなさそうだ――安心して、そのままムービーを撮る。どうせ、コトが収束するまでこの場を動くわけにはいかないのだ。一部始終を記録して夕月さんにでも見せてやれば、今後の方針を決めるのに役立つかもしれない。

一星

それにしても……

 携帯越しに受け子が引きずられていくのを眺めながら、考える。
 娘を心配しているような台詞を吐いておいて、本当に、あっさり通報してくれたものである。俺は違和感を覚えていた。あれを――恐らく受け子と知った上で、なんの捻りもなく踏み込んできた警官たち。
 脅迫がはったりであると見抜かれていたにしても、軽率だ。もしも俺たちが有言実行派の凶悪犯だったら、メイを殺さなければならないところである。

一星

単純に、ここらの警察が使いものになんねーのか……

 いやいや。それにしたってマニュアルってもんがあるはずじゃないのか。

一星

だとすれば

 不意に、くそ生意気な女子高生の声が頭を過ぎる。

 ――「だって、どっちもわたしのこと嫌いだもん。娘がいなければ人生もっと早くやり直せたって考えてるような人たちだよ。ほんと。母さんはお金ないし、父さんもあなたたちがわたしのことを殺してくれればいいって思ってる。きっとね」

 俺と夕月さんは、計画を見直さなければいけないのかもしれない。

ね? だから言ったでしょ?

 事件現場を見届けて帰った俺に対する、女子高生の第一声がそれだった。
 だから言ったでしょ。ダカライッタデショ。
 親が昔、よく口にした。その言葉が俺は大嫌いだ。それは過去の選択を後悔しろと言わんばかりの傲慢さで、人を萎縮させる。そのあとに続くのは「わたしの言うとおりにしないから」だとか「次からは素直に助言を聞きなさいね」だとか、そんな上から目線のくだらない説教なのだ。しかもそういった言い方をする輩というのは大抵、自分が押しつけがましいことに気付いていない。自分こそが正しいと信じて疑わず、本人曰くの善意で他人を支配しようとする。
 俺はメイの鼻先に、ずいと顔を近づけた。

一星

おい、こまっしゃくれた不幸自慢のくそガキ。その言葉は二度と使うんじゃねー

 我ながらおとなげないとは思うが、腹が立つものは腹が立つのである。女子高生の首のあたりから、こう胸の奥がきゅんとしてしまうようないい匂いが漂ってくるのも今はただただ腹が立つ。
 花の女子高生。馬鹿でも生意気でも若くて可愛けりゃ許してもらえるだなんて、そんな甘っちょろいこと思ってんじゃねえぞ――と、人生の先達として多少脅しつけてでも教えてやらなければならない。

夕月

“コール”、あまり調子に乗るな

 夕月さんは制止するが、俺はイーッと口を歪めた。

一星

乗ってませんよォ。つうか、調子に乗ってんのはこのくそガキで――

 言いながら、指の先で女子高生の鼻を押しつぶす。
 ぐりぐりぐりぐりぐりぐり。ついでに耳元で嫌がらせのように囁いてやる。

一星

メイちゃんの鼻が低くなりますようにー。メイちゃんの鼻が低くなりますようにー。メイちゃんの鼻が低くなりますようにー

 倉庫の格子窓から流れ星の一つでも見えれば雰囲気も出たんだろうが、残念。今夜は曇り空だ。分厚い雲の向こうのお月様に、このしょうもない願いが届くよう祈るしかない。
 なんて、くだらないことをしていたからだろう。少女が顔を引いたことに気付かなかったのは。鼻を押そうとした指先が、すかっと空を切る。おややっとメイに視線を戻した瞬間――ガツンッ、だ。ガツンッ。顔面に痛打を食らって、俺は仰け反った。

一星

ぐえっ

 この女子高生、思いっきり頭突きしやがった!

一星

いってえ! ゆ――“ゲオルグ”、こいつ俺に頭突きしたぞ! 頭突き!

 痛みのあまり思わず本名で呼びそうになってしまって、夕月さんに睨まれる。くそ、いいとこなしだ。ずきずき痛む鼻の頭を押さえながら俺はメイに向き直り、その胸ぐらを掴み上げた。

一星

お前なー、頼むからもっと女子高生っぽくしろよ!

夕月

お、おい、“コール”!

一星

まじで。なんで次々と俺の幻想をぶち壊すわけェ? 小動物のように震えたり、しくしく泣いたり、か細い声で“助けて……”とか言えよォ。なあ、おい――

 女子高生の体を、乱暴に揺さぶる。前に、後ろに。ちっちゃい頭ががくんがくん揺れているが、知ったこっちゃない。怒りに任せてというよりは逆ギレした子供のようにまくし立てる俺の肩を、夕月さんが後ろから掴んだ。

夕月

“コール”、やめろと言っている! あまり乱暴にすると……

 怒声は続かなかった。
 相棒は美貌を大きく引きつらせている。薄い鳶色の瞳が見つめる先に、俺の姿はない。訝りつつも視線を追って――俺も、気付いてしまった。やや幼さを残した、一方で相反する冷ややかさをもたたえた栗色の瞳とかち合う。アイマスクはどこへいったのか、慌てて探すと床に落ちているのが見えた。これを狙ってやったんだとしたら、こいつは女子高生なんかではない。別の生きものだ。悪魔だ。
 悪魔、もといメイが嗤う。

見ぃちゃった

一星

ああああああ……

 やっちまった。やって、しまった。夕月さんの鋭い視線が刃物のように俺をえぐる。痛い。そんな、今すぐ死ねと言わんばかりの顔で睨まないでほしい。
 目が合うと、夕月さんは顔色一つ変えずに言った。

夕月

死んでくれないか、“コール”

 俺はこのとき、あらためて己の短慮さを悔いたのだった。

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