なんたって自称、平成のヴェア・コールだ。かの先達はケンブリッジ大学に在籍していた頃、学友たちとエチオピア皇帝一行に扮してイギリス海軍を騙したことがある。エジプト半島南端の遥か遠い国、エチオピア。イギリス海軍にはエチオピア語はおろか、文化宗教に通じている者さえいなかった。
コールはまず友人に頼み、外務省高官ハーディングの名で艦隊司令部宛てに電報を打たせたのだ。本日、エチオピア皇帝ならびに皇太子一行到着。ロンドン発ポーランド着特別列車にて艦隊見学予定。歓迎応対は国賓待遇にて行うべし――特別列車到着までの時間は、三時間半。その報せだけでもう、提督は大慌てだっただろう。
悪戯好きな学生たちがなりすましたのは皇帝、皇女、側近二人、通訳、そしてイギリス外務省派遣員。彼らが身につけていた衣装はすべて特注。ヘアメイクは劇場美容師に依頼したというのだから、手も込んでいるし金も掛かっている。彼らの悪戯は大成功。海軍に一晩歓待させ、しまいには式典の写真を新聞社にまで送りつけ笑いものにしたのだ。
馬鹿な悪戯。意味のない悪ふざけと言ってしまえばそれまでだが、ここまで規模のでかいごっこ遊びができる馬鹿ってのもそういない。馬鹿と天才は紙一重。そう、ヴェア・コールは天才なのだ。悪戯の天才。この贋エチオピア皇帝事件を思い返すたび、感動とともに言いようのない悔しさが胸に込み上げてくる――コールは多くの悪ふざけで世間を引っかき回したろくでなしだが、愛すべき悪党であることも間違いない。だからこそ、ちんけな小悪党である俺はコールに羨望と嫉妬を抱かずにはいられないのだった。