あん

ここでジアゾカップリングが起こるから…

結人

誰と誰がカップルだって?

問題集を片手にぶつぶつ呟いていると、耳もとで急に低い声がした。

びっくりして振り返ると、結人さんが楽しそうに笑っていた。

あん

カップルじゃないです。アゾ化合物の生成反応です。

…びっくりした。
 
今日は土曜日。
来週のテストに向け勉強しようとしていたところ、結人さんにデザインに付き合ってくれと言われた。

ぶっちゃけそんな時間はないと断りたいところだったが、よくよく考えれば結人さんが来てからもう3日が過ぎている。

このままではここに来た意味がなくなってしまうだろうし、さすがにそれはかわいそうだ。
そう思い、勉強しながらでも良ければ、と言ったところ、あっさり受け入れてもらえた。

実際、あたしを見ながらデザインしたかっただけらしく、あたしには何もすることはなかった。

それで、集中し続けたところ、考えていたことが口に…
 …恥ずかしい!

結人

なんだかよくわかんないけど。…むずかしそ―。テスト?

ここは、いつもは使われていない部屋の一つだ。

なんのための部屋なのかはわからないが、ソファが5つと、テーブル、それとアンティークっぽそうな棚がある。

先程まであたしが座っているのと反対側のソファに座りデッサンしていた結人さんだが、いつの間にかあたしの目の前にまで来ていた。

あん

はい。期末テストがあるんです。

結人

うわ。なつかしー響きだね―

結人さんはまたしても笑った。

結人

あんちゃん本当に女子高生なんだね―。怜一郎ってば犯罪だなー。

確かに、あたし未成年だしなー。
条例とか大丈夫なのかな?

結人

俺もあんちゃんみたいなかわいい彼女欲しーなー。

そう言って、結人さんはあたしの隣りに腰をおろした。

なんだか、着物姿の結人さんがこんな洋館にいるのって、すごい違和感だ。

一度だけ、着物姿じゃないところを見たことがある。

それは結婚式の日だ。
あの日は他の人みたいにスーツ姿だった。

一瞬、誰かわからなかったけれど、すごい似合っていた。
 …ん?そう言えば。

あん

あれ?…結人さんって、彼女さんいないんですか?

結人

あー、うん。いないよー

あん

えー。なんか意外です。

結人さんならかっこいいし、優しいし、彼女いそうなのに。

結人

よく言われる―。
俺、特定のコはつくんない主義。

あん

え?

…それって…
そういう意味!?

結人

あ、でもあんちゃんなら本気になれそー。
…あ、でも怜一郎の奥さんだもんねー。
残念だなー

そういう姿には、全然誠意が感じられない。
たぶんきっと、誰にでも言ってるんだと思う。
あたしは適当に相槌を打って話を流した。

結人

でも、いつかは結婚だってするつもりなんだよ?
跡取りいるし。

いつもみたいに笑いながら言う結人さん。

でもあたしは笑えなかった。
…だって、今の言葉はなんだかさみしい。

家のために結婚するなんて、そんなの。
そう思い、はっとした。

だって、それは。
あたしだって、いっしょ…

結人

でもまさか、怜一郎に先越されるとは思ってなかったなー

あん

そうですか?

まあ、たしかにあの人が誰かと恋愛して結婚。
…なんて、姿は思い浮かばないけれど。

今の話を聞いている限り、結人さんだって…

結人

うん。だって、今まで怜一郎のまわりに女の影なんてなかったし

あん

え?

結人さんが放った言葉にあたしは驚いて訊き返す。

結人さんはそんなあたしの反応を待っていたのだろう。
にこにこしながら続けた。

結人

怜一郎真面目だからねー。
俺の知る限りあんちゃんがはじめてだよ?
…だから、すっごい不思議。
あんちゃん、どうやってあいつのこと落としたの?

あん

お、落とすだなんて…

生々しい言い方に戸惑うと、結人さんはくすくす笑った。

結人

いくら訊いても教えてくれないいんだよね。
――正直、嘘かなって思った

“嘘”
 
そのフレーズに、一瞬あたしは固まった。
 
結人さんの表情を伺う。
いつもの笑顔で話を続けている。

…大丈夫、冗談だったみたいだ。

結人

でも、怜一郎本気みたいだから。
…すっごい驚いてる。

そう笑って言う結人さんには、罪悪感なんてちっとも無いのだろう。

…でも、あたしはつらかった。

怜一郎さんとあたしは、所詮偽りの夫婦。
この結婚は、契約にすぎない。
 
怜一郎さんはあたしのこと、どう思っているんだろう?
 
たしかに、抱き締められたり、キスされたり。
あまい言葉だって、あの人はためらいもなく言う。

それは、まるで本物の愛し合ってる者どうしみたいで、あたしは時々わからなくなる。

これが演技なのか、本当のものなのか…

あん

あんちゃん?

心配そうな結人さんの顔が目に飛び込んでくる。

思ったより長く、考え込んでしまっていたらしい。

あん

…なんでもないです

あたしはごまかすように笑った。

でも、まだまだ子供のあたしに、結人さんの目を騙すことはできなかったらしい。

結人

あんちゃん、なにかあったら俺に言ってね。
…隠し事は、さみしいな。

優しい目で微笑む結人さんに、あたしは確かに救われていた。

pagetop