怜一郎

あん、大丈夫か?

お風呂を済ませネグリジェに着替えて部屋に戻ると、パソコンの画面と向かい合っていた怜一郎さんがこちらを振り向き言ってきた。

あん

なにが?

歩きながらそう尋ねる。
なんの事だか一瞬わからなかったのだ。

怜一郎

結人のことだよ。…おまえが嫌ならすぐにでも追い出すぞ?

あん

別に、嫌ってことはないよ?

あたしは慌ててフォローした。

怜一郎さんならそうしかねない。
たとえ今が夜中であろうとも。

怜一郎

…じゃぁ、うれしいのか?

あん

…?別に、そんなこと…

突然切り替わった質問に、あたしは首を傾げながらも答える。
 
すると怜一郎さんは静かに手招きをしてきた。

あたしは戸惑いながらも、言葉に従い怜一郎さんの前に立った。

怜一郎

おまえと結人をふたりきりにすんの、すっげぇ心配…

あん

…怜一郎さん、心配しすぎだよ。

怜一郎さんがあたしの左手を取って、薬指にあるそれにくちづける。

ふたりのイニシャルが刻まれたそれは、あたしたちの契約の証し。

怜一郎

おまえは、俺のものだよな…?

じっとこちらを見つめてくる、縋りつくような瞳。
 
…これは、怜一郎さんの心からの言葉?

あたしは、怜一郎さんから目が離せなくなる。

あん

…ぅん…

小さな肯定は、はたして彼の耳に届いたのかどうか。
 
怜一郎さんはあたしをそっと抱き寄せると、静かに呟いた。

怜一郎

ずっと、俺のそばにいてくれ…

朝起きると、となりにはすでに怜一郎さんの姿はなく、お世話係の優子さんに訊いたところ、もう出勤したと言われた。
 
いつも送ってくれるのに、めずらしい。
 
最近の怜一郎さんは寝る間も惜しむほど忙しいから仕方がないと言えば仕方がない。

頭ではわかっている。
…でも、それでも寂しいことに変わりはなかった。
 
…だから、結人さんの存在には救われたかな?

結人

あんちゃん、おはよー

ダイニングルームへ行くと、明るい声があたしを迎えた。

結人さんだ。

今日は、深藍色の着物を着ていた。

着物のことはよくわからないけれど、高価なものなんだろうな、とは思った。

あん

おはようございます…

席に着き、用意された朝食を食べる。

相変わらず今日も、食べきれない量の料理が並んである。
あたしはサラダを少しつまみ、それからフルーツへと手を伸ばした。
 
小さく挨拶して、立ちあがる。

さりげなく結人さんの方を見ると、手帳を見ながらコーヒーを飲んでいた。

怜一郎さんと同じ、朝食は食べないタイプの人間のようだ。

あん

…ごちそうさまでした…

誰に言うわけでもなく挨拶して、立ちあがる。

結人さんの方を見るが、彼はこちらを見ようともしない。

手帳を見て、なんだか考え事のようだ。
あたしはその集中を邪魔してはいけないと思い、静かにその場を後にした。

あん

おはよー

ありす

あ、あんちゃん、おはよー

教室に行くと、ありすちゃんがなにやら机で問題と格闘中のようだった。

めずらしいなーと思い、しばらく考えてとある可能性に至った。

そういえば来週、学年末考査だ。

あん

…やば、勉強してない…

ありすちゃんはなにやら難しそうな問題を解いている。
どうやら生物のようだ。

…全然そんな風には見えないけれど、ありすちゃんも頭脳明晰な清黎学園理数科のメンバーだったというわけだ。

ありす

あんちゃん、大丈夫?…転入してきたのこの間だし、先生たちも考慮してくれるとは思うけど…

そう。確かにそうだ。
 
進度はあまり変わらなかったが、前の学校とは先生も違うし、どんな問題が出されるかわからない。

というか、明らかに前の学校よりもこっちの方が突っ込んだ勉強してるし…

ありす

…まぁ、点数悪くてもあんちゃんなら留年、なんてことにはならないと思うけど…

ぽつりと呟かれた言葉に、ふと疑問を感じる。

あん

ん?どういうこと?

ありす

え、あ、いや…。まだ転入してきたばかりだし、テストが悪くてもいきなり留年にはならないでしょ、っていうこと!

慌てたようにそう言う姿には疑念が残るものの、それ以上追及するのはやめた。

とにかく今は、余計なことは頭に入れないことだ。
 
あたしは席に着くと、急いで問題集とノートを取り出した。
 
あたしの成績が悪かったりでもしたら、怜一郎さんに恥をかかせてしまう。
 
そんなの絶対だめだ。
 
あたしは、早速問題に取り組みはじめた。

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