あん

…えぇっと、銀鏡反応起こすってことは、これが…

怜一郎さんの朝は遅い。

理由はわかっている。
あたしが寝付いてから仕事をするからだ。

あたしが眠るまであたしの横で自分も横になって、あたしが寝付いたあとそっと動き出す。
 

そのことに気づいたのは、つい最近のことだ。
それまで、確かに不思議に思うことはあった。

あたしと結婚する前はずっと会社で働きづめだった怜一郎さんが、結婚の準備のための休みと称して一ヶ月以上家にいるのだ。

しかも一日の大半を、あたしと一緒に過ごしてくれている。
買い物したりおしゃべりしたりといったつまらないことにつきあってくれているのだ。

それは、もう、おかしい。
 

だから、それを知ってからは無理に早く起こすのをやめていた。


今日もいつものようにひとりで食事を済ませ、食後のコーヒーを楽しむ。


…はずだった。

怜一郎

なにしているんだ?おまえ

ふいにうしろから声をかけられ、危うく参考書をコーヒーの上に落とすところだった。

あん

れ、怜一郎さんっ?

振り返ると、グレーのズボンに、Yシャツ姿の怜一郎さんがいた。


今日は第3ボタンまで開いていてすごく目に毒!

あん

お、おはよう。どうしたの、すごく早いじゃない

怜一郎

あ?…あ、あぁ。なんかうまく寝付けなくてな。

お世話係の人に差し出されたコーヒーを飲みながら、怜一郎さんは答える。


…あぁ、今日も朝ご飯食べないんだ。

体に悪そうだなーと思いつつも、あたしはなにも言えずにいた。

怜一郎

おまえこそどうした?…参考書なんか開いて。…化学?

あん

…あ、あぁ、これね

あたしは自分の持っていた参考書の表紙を見せた。それから、手元にある問題集を示す。

あん

これ解いてたの。ここ、範囲でしょ?

怜一郎

…なんの?

寝ぼけてるのかな?とあたしは首をかしげる。

あん

編入試験だよ。怜一郎さんが清黎行けって言ったんでしょ

するとああ、といつもより緩慢な動きで頷いて見せる。

怜一郎

でも、あれ3教科だけでいいんだぞ?

たしかに3教科で十分だ。普通科は。

あたしが受けたいのは…

あん

あたし理数科行きたいから

そう、理数科は3教科の中数学が1.5倍計算になる上に、理科の中から2教科選んで受験しなくちゃいけないのだ。

あたしの場合、化学と物理になるんだけど…

あん

清黎の理数科って偏差値高いんでしょ?…だから、ちゃんと勉強しようと思って

前の学校でも理数科だった。

前の学校ではあまり活動に加われなかったから、今度は絶対いろんなことをしようと思っていたのだ。

そのためにも、ちゃんと編入しなければ。

怜一郎

ふーん

そんなあたしの熱とは反対に、怜一郎さんはさも興味なさげな返事をしてリビングを出て行った。


なによーと思いながら再び問題に集中しだしたあたしには、怜一郎さんの放った爆弾発言は聞こえなかった。

怜一郎

…別に、勉強しなくても落ちることなんてないのに

 そうこうしているうちに、編入試験ははじまった。
 問題が意外と簡単で、あたしは拍子抜けしちゃったんだけど。
 それでもちゃんと基礎を抑えることができたおかげか、無事理数科への編入が決まった。

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