怜一郎

…よく、似合ってる

小さな声だったから、一瞬なんて言われたのかわからなかった。

意味を理解した時、あたしは一気に恥ずかしくなって、慌ててうしろをむいた。


鏡越しに、怜一郎さんの様子をうかがう。


鏡に映った怜一郎さんの横顔は、心なしか朱に染まっているような気がした。

あん

…れ、怜一郎さんこそ

なにか言わなきゃいけない。

そんな焦りの中口から出た言葉は本心からのもので、一層恥ずかしくなってしまった。
 

ぅ、うわぁ、なんだろうこれ、本当の結婚式前みたい。
恥ずかしいっ。
 

そうやってあたしが恥ずかしがっている間に、怜一郎さんはいつものペースを取り戻したようだ。

少しからかうような口調で、こう言ってきた。

怜一郎

どうした、顔真っ赤だぞ?

あん

…ぅ、うるさい…

かすかに笑う音がした。

怜一郎

まだ緊張しているのか?

あん

してるにきまってる

あたしは怜一郎さんの出現でなおさら早まった鼓動を抑えるように胸のあたりを押さえた。


深呼吸しようとするのに、また浅い息ばかりを繰り返す。
このままだと酸欠にでもなりそう。

怜一郎

…きついのか?

あん

うん、ちょっと

答えると、怜一郎さんの顔に心配そうな色が浮かぶ。

怜一郎

それは大変だ

そう言って鏡台に右手、椅子に左手をついて、身を乗り出す。


鏡越しにあった目はいたずらな光を宿していて、不覚にも一瞬どきっとしてしまった。

怜一郎

…俺が、おまえの緊張失くしてやろうか?

あん

え?

どういうことだろう。
そう思って怜一郎さんの方を向いた瞬間だった。

あん

…んっ…

唇が重なり、深く貪られる。

いつもより深いくちづけに、あたしの息はあっという間にあがってしまった。

それでも深く息をすることは許されず、あたしは頭がぼーっとしてきていた。


怜一郎さんとしては、体勢が悪かったのだろう。


あたしはいつの間にか横を向かされ、腰を抱き寄せられていた。


くちづけはいっそう深くなっていく。
あたしはもう力が入らなくなって、怜一郎さんの腕にすがりついた。

怜一郎

…きれいだ、あん

くちづけの合間に耳もとでそう囁かれる。


…こんなの、ずるい。
 

しばらくして、怜一郎さんの唇は離れた。
くちづけが途切れたのは、もうあたしが限界だったから。

怜一郎

どうだ、少しは落ち着いたか?

あん

…ばか

あたしは息を整えて、怜一郎さんをせいいっぱい睨みつけようとした。


でもできなかった。
怜一郎さんの、妖艶な笑みに見惚れてしまって。


濡れた唇が、ゆるやかな弧を描いている。
…心なしか、いつもより赤く染まって――

あん

…あれ?

その色があまりにも不自然なことに気付く。

あん

怜一郎さん、口紅――

おそらくあたしがぬっていたものがついたのだろう。

拭ってあげなきゃと思って伸ばした手を、怜一郎さんに取られてしまった。

怜一郎

…手袋

そう言われ、あたしは自分が手袋をしていることを思い出した。

…そっか。どうしよう。
ティッシュとかあったかな…
 
そう思ってあたしがあたりを見渡していると、怜一郎さんが

怜一郎

そうだ

と呟いた。


なんだろうと思って怜一郎さんの方を見ると、不敵な笑みを浮かべていた。

怜一郎

責任とっておまえがどうにかしてくれ。

そう言って怜一郎さんは目をつむり顔を近づけてくる。


あたしは怜一郎さんのさせようとしていることの意味がわかったとたんパニックに陥ってしまったのだが――、決心しておずおずと舌を出して彼の唇をなめた。

怜一郎

…上出来だ

そう微笑んで、2度めのくちづけが始まる。
 

…もう、また化粧しなおさなくちゃじゃない…
 

でも、嫌じゃないから。
式がはじまるまでは、しばらくはこのままで――…

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