お父さんとはじめて逢ったのは大学生の時だったのと、昔お母さんが言っていた。
 

あれは小学4年生の頃。


友達の中にちらほらと恋をする子たちが現れて、あたしも興味を持ち始めた時。

あん

お母さんとお父さんの出逢いはどんなだったの?

と訊くと、お母さんは恥ずかしそうにしながらも答えてくれた。
 

同じサークルに入っていて、ずっと気になっていたけど、お母さんにはお父さんに話しかける勇気すらなくて。


やっと女友達に協力してもらって、グループでつるむようになった。


そんなある日お父さんから告白された。


ずっと気になってて。
そう言われたらしい。
…お父さんも、お母さんと同じ気持ちだったのだ。
 

大学卒業と同時に、お父さんはお母さんにプロポーズした。
 


シャイなお父さんが、一生懸命頑張っておしゃれなレストランで、真っ赤になりながら

あんの父

結婚しよう

と言ってくれた。

それがとてもうれしかったって、お母さんはそれでこの人についていこうと思ったのって、穏やかな笑顔で言っていた。
 


――そう、プロポーズとはそうあるべきで、こんなのは絶対プロポーズじゃない。
 




あたしは目の前で不敵な笑みを浮かべる男に冷たい目を向けた。

あん

これって、プロポーズじゃないですよね

すると、九条さんは一瞬面食らったような顔をして、またくすくすと笑った。

怜一郎

…まぁ、たしかにプロポーズではないかな

 んー、と考えるそぶりをして、口を開く。

怜一郎

これは契約だ

あん

…契約?

突然出てきた言葉に、あたしの頭は一瞬固まってしまう。

怜一郎

そう、契約。
…報酬も弾むぞ?

1億でどうだ。

あん

い、1億っ!?

なじみのない単位に、思わずあたしの口からは間抜けな声が出てきた。

怜一郎

1億もあれば、借金も返せるし、学費や当分の生活費は困らないはずだ。
…なんなら、もっと弾んでもいいぞ。

あん

…なんで

なんで、九条さんがそのことを知ってるの?
 

あたしはある可能性に気がついて、はっと息を呑んだ。

あん

もしかして、おたしのこと調べたのっ?

怜一郎

当然だ。俺はおまえのことならなんでも知ってる

彼は、なにも悪いことはしていないという風に、平然とそう言ってのけた。

怜一郎

おまえが借金に困っていることも、奨学金を受ける高校生でありながら、それを偽って清掃員のアルバイトをしていたことも

あたしは、さーっと血の気がひいていくのを感じていた。

怜一郎

それから、母親が倒れて、その入院費のために夜の仕事をはじめたことも

この人はあたしの全部を知っている。この人には逆らえない。
その瞬間、あたしはそう悟った。
 

相変わらず、九条さんは楽しそうに口の端を持ち上げていた。


勝ち誇ったような王者の顔だ。
彼はそのまま、話を続けた。

怜一郎

借金、3000万だろ

あん

…そうよ

怜一郎

俺が、おまえを助けてやる

あん

…あなたに、いったいなんのメリットがあるというの?

あたしにそんな大金払って、結婚までして。彼の得になることなど、なにひとつないはずだ。


そう言うと、彼は声を上げて笑った。
その声があまりにも大きくて、あたしの体はびくっと震えた。


彼はひとしきり笑ったあと、笑いすぎたせいで浮かんだ涙を拭って言った。

怜一郎

おまえ、やっぱおもしれぇ女だな

その反応に腹が立ったけど、あたしはぐっと堪えた。


彼の機嫌を損ねることが得だとは思えない。

怜一郎

おまえには金が必要。…そして俺には、結婚する相手が必要なんだ

あたしは息を呑んだ。


九条さんの整った顔からは、もうあの楽しむような笑顔は消えている。
真剣な瞳で、あたしのことを見ていた。

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