少し苛立ったような声に、あたしは思わず顔を上げた。

あたしの目の前で、九条さんの目がすっと細められるのがわかった。

怜一郎

あれね、九重(ここのえ)のデザイナーに頼んで作ってもらったんだ。
世界にたったひとつ、零川さんのためだけに。

あん

えっ…

Jewellery Kokonoeのものだろうということは、なんとなく察しがついていた。

だけど、まさかあたしのためだけに作られたなんて思ってもなかったため、あたしは本当に驚いてしまった。


…さすが金持ちは、やることが違う。

怜一郎

…喜んでくれた?

あん

あ、はい…

怜一郎

じゃあ、つけてきてよ

優しいけれど、どこか逆らい難い九条さんの言い方に、思わず頷きかけて、あたしはすんでのところではっと我に返った。

あん

でも、あたしピアスホール開けてないんです、ほら

恥ずかしいと思いながらも、髪をどけて耳たぶを見せる。事実、ピアスホールを開けたことなんてなかった。…あたしは、絶対にピアスホールなんて開けられないから…

怜一郎

ん?…知ってたよ、そんなこと

あん

 思いがけない返答に、あたしは戸惑って九条さんを見つめた。

あん

じゃあ、どうしてピアスなんか…

怜一郎

えっとね

あ、と思った時には、彼の唇が耳元にあった。
熱い吐息が耳にかかって、あたしは動けなくなってしまう。

いくら人が少なくなったとはいえ、大森さんと下川さん、それから受付のお姉さんや、警備員のおじさんはまだいるのに、こんなの、絶対にだめだ…
 
そうは思っても、体が動かない。
耳もとで、小さな囁き声がする。

怜一郎

一生消えない俺の痕を、あなたに刻めたらいいなって、そう思ったから

あん

…ッ!!

 耳たぶになにか柔らかいものが触れて、あたしは息をのんだ。くちづけられたのだと気づいたのは、しばらく経ってから。体が離れて、目が合うと、九条さんはおもしろそうに微笑んだ。

怜一郎

そうしたらあなたは、鏡を見るたびに俺のことを思い出すでしょう?

あん

九条さんっ…

 あたしは慌てて耳を髪で隠した。…こんなの、恥ずかしすぎる。

あん

で、でもあたし、とにかくピアスホールは開けられないんですっ…本当にごめんなさい…っ

 あたしは耐えきれなくなって、掃除用具をもったまま九条さんに背を向け走り出した。
 だから、あたしは知らない。あたしがいなくなった後に放たれた、九条さんのひとりごとを。九条さんは、誰にも聞こえないような小さな声で、こう呟いていた。

怜一郎

――マジおもしれぇ女

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