フェインリーヴ

そうか……。自身にとって不利な地に足を踏み入れるとは考え難かったが、そうまでして行かねばならない程に、何か目的があるという事か……。

側近

恐らく……。ただ、先ほども申し上げました通り、ゲートを通ったという痕跡があっただけで、それ以降……、こちら側に着いてからの行方は知れません。……姿を見られれば命の保証もないというのに。

 気だるげに息を吐くフェインリーヴの視線の先では、研究室のテーブルに佇む丸い鏡が淡い光に縁どられながら一人の男性の姿を映し出している。
 淡々と報告される『あちら側』に関する情報と、続きには『こちら側』に関するものも見受けられた。
 行方を追っている『対象』が、自分を頼ってくる事がないのはわかりきっている。
 他の誰に頼ろうとも、フェインリーヴにだけは、絶対に頼らない。いや、頼れないと思っているだろうから……。

フェインリーヴ

それに、どちらの顔でいるかもわからない以上、その目的や行動を読む事は難しい……。

 撫子が探している、異世界の大妖……。
 凶獄の九尾……、数多の妖を喰らった災厄の権化。
 元々その存在は、フェインリーヴと故郷を同じくする魔界の者。
 あの小さな妖から聞き出した情報と、記憶を読んだ結果、自分が知ったのは……、予想外の事実。
 こちらの世界から向こうに飛ばされた凶獄の九尾は、同郷というだけでなく……。

側近

見つけ次第、身柄を拘束。……と、指示を出してありますが、そう上手くいくとは思えません。貴方様の話では、その凶獄の九尾は以前とは違う……。大量の異形を喰らい、その力を全て糧にしているのであれば……。

 間違いなく、魔界側もただではすまない。
 フェインリーヴの命令にある、『生きたまま拘束』という条件は、あまりにも無謀。
 殺す気で挑んだとしても、まず間違いなく死人が出る。それも、……かなりの数が。
 その姿を捉えた時に、フェインリーヴの知る『彼』のままでいれば、素直に従う可能性もあるが……。
 鏡の中の男も、ソファーに背を預けているフェインリーヴも、無言になり溜息を零す。

フェインリーヴ

必要があれば息の根を止めても構わない……。だが、お前達には荷が重いだろうな。

側近

当たり前です。……『前回』の事をお忘れになっていないようで安心いたしましたが、やはり一度お戻りになって頂かなくては。

フェインリーヴ

わかっている。お前達だけにこの件を押し付ける気はない……。二、三日中には、そちらに戻る。それまでに、出来れば『アイツ』の行方を掴んでおいてくれ。足止めもな……。

側近

仰せのままに……。

 鏡面がぐらりと歪み、男の姿をかき消していく。
 フェインリーヴのいる研究室が、一切の明かりを失い、闇に包まれる。

フェインリーヴ

……今、お前はどちらの自分でいるのだろうな。俺の知っているお前なのか、それとも……、数多の化け物の怨念に支配された、ただの破壊者か。

 撫子には自分が魔族である事を知られたフェインリーヴだが、まだ、『真実』は伏せたままだ。
 遠出をしたあの夜の会話から、自分と凶獄の九尾に面識がある事くらいはわかったかもしれないが、その先はまだ……。
 撫子の世界に起きた災厄、それを封じた初代の巫女。そして、……何代にも続いた癒義の責務。
 それを背負わせた『元凶』が、どこにいるのか。

フェインリーヴ

撫子……。それを知れば、お前は。

 ――俺を、『師匠』として、この先も見てくれるのだろうか?
 闇夜の中、フェインリーヴはその蒼い髪を掻き上げながら表情を歪めた。
 異世界から迷い込んだ少女……、彼女を助けた事は、自分が見つけた事自体……、偶然だと言えるのか。まるで、フェインリーヴがその胸の奥に抱えた傷を、再びえぐり付けるかのように、撫子は『過去』を連れてきた。

フェインリーヴ

あの時の責任を取れと、そういう事か……。

 自分を師匠と慕う、素直な心根の娘……。
 癒義の巫女という立場や重圧から、解放してやりたい、と……、そう思って行動してきたはずなのに。
 フェインリーヴは夜目の利くその双眸で天井が見えるように体勢を変えると、そこに向かって手を伸ばした。

 俺の迷いが……、多くの命を奪い、呪いのような枷を与え続けている。

 あの子が心から笑えないのも、囚われているのも、全部、全部……。

フェインリーヴ

撫子……。俺は……、師匠、失格、だな。

騎士団長・レオト

フェイン、起きてるんだろう? 入るぞ。

フェインリーヴ

……zzz。

騎士団長・レオト

はいはい、寝たフリは却下な。早く起きて、お茶の一杯でも淹れてくれないと、ポチをけしかけるぞ~。

ポチ

ワンッ!! ワンッ!!

 暗闇が一瞬にして晴れたかと思うと、いつものように平然と踏み込んできたのは、昔からの友。
 騎士団長レオトとポチが、フェインリーヴの向かいの席へと腰を下ろしてくる。

騎士団長・レオト

あれからさ、撫子君の様子はどうだ? ロルスには俺から注意をしておいたが、まだ諦めてないみたいだから、師匠のお前が注意しといてやれよ。

フェインリーヴ

ちっ、まだ脅しが足りなかったか……。あんな奴を騎士団に居させ続けるお前の神経はどうなっているんだろうな?

騎士団長・レオト

次に女の子を強引に口説いたり連れだしたりしたら、俺からのきつ~いお仕置き第二弾&騎士団からの追放を言い渡してあるから、この前みたいな件は起こらないはずだ。

フェインリーヴ

はっ、どうだかな!! 人の弟子に手を出そうとした挙句に、トラウマを植え付けてくれたんだぞ? あのド阿呆はっ!!

 騎士団員のロルスが撫子に誘いをかけてから五日……。
 誤魔化してはいるものの、撫子の笑顔には曇りがある。原因は唯ひとつだ。
 あのロルスが起こした強引な誘いの件が尾を引いており、弟子の心に男への恐怖を植え付けたから。
 それを思うと、フェインリーヴはロルスを問答無用で抹殺したい気に駆られてしまう。
 あの日、陰から様子を見ていた自分が出て行かなければ、撫子はもっと酷い心の傷を負っていたかもしれない。

フェインリーヴ

撫子はそういう方面に関しては絶望的に免疫がないんだ!! それを、大して関わりもない男から迫られて嬉しいわけがあるか!! いいか? 万が一撫子が再起不能になって引きこもったら、俺はロルスを八つ裂きにするぞ!!

騎士団長・レオト

あ~……、うん、お前が怒るのは当然だと思うし、俺も相当痛めつけておいたから、とりあえず落ち着こうな? お前がやると、本気でロルスの奴死ぬから。冗談抜きで……。

ポチ

クゥゥゥン……。

フェインリーヴ

撫子の落ち込み様を見ただろうが!! ロルスが千回死んでも贖えない罪だぞ!!

 流石にそれは言いすぎじゃ……。
 ヒートアップしていくフェインリーヴの怒りに、レオトとポチはぽたぽたと冷や汗を流しながら、弟子想いの薬学術師を宥め続ける。
 

騎士団長・レオト

ほ、ほらっ!! お土産のこれでも食べて、気分を落ち着けよう!! な?

ポチ

(コクコク)

フェインリーヴ

こんな物で……っ。くっ、撫子はな、ロルスからの誘いが原因で、悪夢に魘されている事もあるんだぞ。

騎士団長・レオト

恋愛方面に疎いからっていうよりは、ロルスの強引さが裏目に出たって事だよな……。はぁ、アイツ本当馬鹿だなぁ。

フェインリーヴ

撫子も、男から誘いを受けたのは初めてだと言っていたが、その程度で悪夢など見るわけがないからな……。あぁ……、本気で恋愛恐怖症にでもなったらどうしてくれるんだっ。

 いずれは撫子も、その心に唯一人の男を迎える時が来るだろう……。
 しかし、ロルスの横暴な迫り方は、あの無垢な少女の心に男への恐怖を植え付けた。
 あんな至近距離で、動きを封じられ……、目に涙を浮かべながら怖がっていた撫子。
 あの時、フェインリーヴは無意識に動いていた。
 弟子を守りたいという師匠の立場からだったのかもしれないが、撫子の泣き顔を目にした、あの瞬間。

フェインリーヴ

自分でもわからない感情がこみ上げた。

 自分が大切に守っている少女を傷つけたあの男を、この手で引き裂いてやりたいと、本気で思ったのだ。
 撫子に触れている自分以外のその手を許せないと、強引に間に割って入った。

騎士団長・レオト

まぁ、暫くすれば落ち着くとは思うが……。ひとつ聞いていいか?

フェインリーヴ

なんだ……。

騎士団長・レオト

フェイン……、お前、撫子君とは何でもないよな? 手なんか、出したりしちゃってないよな?

フェインリーヴ

は?

 意味がわからん……。
 フェインリーヴはその流し足を組みかえて、首を傾げた。レオトが……、まるで犯罪者を見るような気まずい目で見つめてくるが、なんなんだ、いったい?
 心なしか、ポチの視線もグサグサと刺さってくる。

騎士団長・レオト

え~と、あの、な……。ロルスの奴が、こう言ってたんだよ。『あの薬学術師は、撫子ちゃんに気があるから、あんな目をするんだ』って……。

フェインリーヴ

はぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?!?

騎士団長・レオト

ちょっ、う、うるさっ!! ……つ、ついでに、『早く撫子ちゃんを助け出さないと、あの変態少女趣味な男に穢される~!!』って。

フェインリーヴ

あのクソ軟派騎士ぃいいいい!! 穢そうとしたのは貴様の方だろうが!! よくも、よくも、俺をそんな風に評したな!! 明日、朝一番で八つ裂きにしてやるぅううう!!

ポチ

クゥゥゥゥンっ、キャウゥゥンッ!!

 美味しそうなクレープの皿が乗っていたテーブルに、フェインリーヴの手がかかる。
 激しい怒気に包まれた薬学術師は血走った目でテーブルを持ち上げ、

 なんの罪もないテーブルが、頭を下げたレオト達の頭上を物凄い速さで通り過ぎ、壁にぶち当たった。
 窓は粉々に砕け、ギッ……と、犠牲となったテーブルの小さな悲鳴が聞こえてくる。

フェインリーヴ

はぁ、はぁ……っ。

騎士団長・レオト

おいおい、隣の部屋で寝てる撫子ちゃんの事も考えろよ……。

フェインリーヴ

ふんっ!!

騎士団長・レオト

で? 実際、どうなんだ~? 最近のお前と撫子君は、俺の目から見ても仲睦まじく見えるが。

フェインリーヴ

師匠と弟子!! それ以外の事は何もない!! まったく……、俺と撫子が一体幾つ年齢が離れていると思ってるんだっ。

騎士団長・レオト

まぁ、な……。それは、俺も同じようなものなんだが……、その気がないんなら、一定の距離はとる努力をしろよ。でないと、お師匠様依存で他の男が見えなくなる事もあるからな。

 依存……。
 レオトからのその指摘に、フェインリーヴはソファーに座りなおしながら僅かに怯んだ。
 この異世界に撫子が放り出されてから半年以上、その生活の面倒を見てきた自分は、確かに彼女にとって一番近い存在となっている。
 フェインリーヴ自身も、撫子が傍にいると心が和む。隣にいる事が当然のように感じられて……、姿が見えないと、つい、心配してその姿を探してしまう。
 五日前のロルスの件の時も同じだった。
 撫子の気配を追って探しに出ると、騎士団の男がデートの誘いをかけていて……。
 つい、曲がり角の陰に隠れて様子を窺ってしまった。
 最初は、ついに自分の弟子にも春が来たかという思いと、……同時に、胸の奥でヒリッと不快な熱を押し付けられたような心地に陥った事を、フェインリーヴはどう捉えればいいのか、ずっと見ないふりを続けている。

フェインリーヴ

あれは……、師匠としての、保護者として、当然の……。

 救出後も、研究室で怯えた様子を見せていた撫子に、フェインリーヴは何とも言えない気持ちになった。男という存在を押し付けられてしまった弟子の涙に鼓動は揺らぎ、彼のその手は……。 
 ――気が付けば華奢で柔らかな身体を抱き締めていた。
 ロルスに対する恐怖心はあれど、自分に対しては少しも怯えなかった少女。
 何度も口にされた『お師匠様』という縋るような言葉に、喜びと……、ほんの少しの罪悪感が彼の胸を締め付けた。

フェインリーヴ

この世界唯一人……、俺は、撫子の味方でいてやれる存在だからな。だが、それとこれとは別だろう?

騎士団長・レオト

今はまだ、な……。けど、人間の成長は早い。今は未開花の蕾でも、いずれは花開く時がくる。その時に……、お前しか見えなくなっていたら、どうする気だ?

フェインリーヴ

その頃には……、もう元の世界に帰っているだろうさ。俺やお前達の事は、ただの思い出になる。

騎士団長・レオト

そうであればいいんだがな……。けど、もしもだぞ? この世界で一生を過ごす事になったら、……お前の存在は彼女にとっての邪魔になる可能性もあるぞ?

 レオトが言っているのは、もしもの可能性だ。
 別にその通りの未来が待っているわけではない。
 フェインリーヴと撫子が一緒に居続けたとしても、良き師匠と弟子でいられる道だってある。
 自分以外の異性に心を向け、幸せな家庭を築く未来だって、ある……。
 けれど、レオトの言う通り……、撫子の自分に対する依存は、日に日に強まっているようにも感じている。それは、子犬が飼い主に捨てられないようにと必死になる姿にも似ており……。

騎士団長・レオト

誤解する奴だっているんだ……。徐々にでいいから、考えといた方がいいぞ。手遅れになる前にな。

フェインリーヴ

手遅れ、か……。

 レオトが言いたいのは、もしも、万が一……、遠い未来で撫子がフェインリーヴへの依存を『恋』にすり替えてしまうような事態になった時の事だ。
 その時、師匠であるフェインリーヴに彼女を受け入れる気がなければ、――罪と傷が、生まれる。
 確実ではないが、その危惧すべき未来を受け入れる気がないのなら、近づきすぎるなと、レオトは言葉を重ねてくる。
 ……彼女の幸せを、彼女の生きるべき時間を、壊したくないのなら。

フェインリーヴ

少し……、簡単に考えすぎていたのかもしれないな。俺達と、あれの違いを……。

ポチ

ワフッ……。

 こちらに近づいてきたポチにぺろりと頬を舐められ、フェインリーヴはその温かな毛並みに寄り添われながら、静かに瞼を閉じた。

17・行く末を案じて……。

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