いつもの如くいつもの保健室。慣れ親しんだそこで、私は今日も朝からくつろいでいた。
ふぅ、落ち着く
いつもの如くいつもの保健室。慣れ親しんだそこで、私は今日も朝からくつろいでいた。
まるで実家のような安心感
別荘というべきか、隠れ家というべきか。少なくとも秘密基地ではないけれど、やはりここは、私にとって落ち着ける場所だ。
実際は、ただの避難所だけどさ
心の中で、言い訳がましく呟く。
朝、思いがけず同学年の子との登校を経験してみたけれど、それ以上は無理だった。
自分が行くべき教室のある2階。そこへと続く階段に足を向ける事すら出来ず、保健室に直行。
そしていつものように自主勉強。
これは日課であると同時に私にとっての命綱。
授業に出ずとも成績を維持しているからこそ、周囲の態度が甘い部分があるのは分かっている。
……楽なんだよね
なんだかんだ言っても
ポツリと呟く。今日の私は饒舌だ。
それは保健室の先生が、何やら用があるという事で退室しているせいもあるけれど、朝の出来事も理由になっているのは自覚している。
みんなと関わりたいのかな、私
ぐるぐると、胸の中でわだかまり、形にならない想いを知りたくて、心の内を口にする。
今日の朝みたいに
誰かと登校したり
お喋りしたり
出来たら良いなって
やっぱり思ってるのかな、私
転校して、すぐにクラスメイトの名前を全部覚えたのは、教室に入れるかもと思っていたから。
他人なんてどうでもいいと、関わる気が無ければそんなこともしなかっただろう。
私なりに、努力はしているのだ。
どこにも誰にも何にも
繋がらない努力だけどさ
気のせいか、鼻の奥がツンとする。
考えれば考えるほど、後ろ向きになりそうな気持ちが湧いて出る。こういう時は――
寝よう
さらば現実。私は私の国に行くのだ。
……勉強のノルマが
終わってから寝る辺り
現実にどっぷり浸かってるけどさ
現実逃避も楽じゃないのだ。
そんな自己完結をしつつ、私はいつものようにベットに向かう。
仕切り用の白いカーテンで周囲を囲い、自分だけの居場所を確保。薄いカーテンの布切れが、今だけは城壁のように頼もしい。
ぽふり、というには硬すぎるベットに体をダイブして、さて夢を観よう――
――彼女達が入って来たのは、そんな時だった。
失礼します
……失礼、します
この声って、朝の子達の声だよね
どうかしたのかな
ハクちゃん、声に
元気がないみたいだけど
気になって、思わず耳をそばだてる。
でも気付かれないように息をひそめ、寝たふりをする為に横になったまま。
……なんだかいけないことをしている気がして、ドキドキしてくる。
保健室の先生、居ないみたいだね
うん、そうみたいだね……
……ハクちゃん
あそこのベット空いてるから
寝て休んでおこう
うあっ、こっちに来る
2人が近付いて来る気配に、思わず息を飲む。
どうやら私がここに居る事に、気付いていないようだけど、それが余計に居たたまれない。
気付かれたら気まず過ぎる……
これは最早、寝たふりをする以外に手段は無い。
物音ひとつ立てないように、息を殺して横たわる。
そんな私の緊張を他所に2人は話を続けていた。
だい、じょうぶだよ……
もう、気持ち悪いの治ったから
だめ。ふらついてるよ
顔色も悪いままだし
絶対休まなきゃ
そう言うと、強引に私の居るベットの横に連れて行き寝かせると、
よいしょっと
付添いの彼女は、保健室に置いてあったパイプ椅子の一つを手にし、傍に寄り添うように座る。
……彩希?
なに?
ひょっとして
傍に居るつもりなの?
うん。心配だもん
…………っ
……だめ
いいから教室に戻って
なんで?
なんでって……
私、子供じゃないし
一人でも大丈夫だもん
それに、彩希に迷惑
掛けたくないし……
……
なんだか、懐かしいね
……え?
ハクちゃんも、あの頃の私に
よくついて来てくれたもん
嬉しかったんだよ
あの時、傍に居てくれて
だからね、今度は私が
傍に居てあげたいの
だめ、かな?
……っ
……ありがとう
でも、もう中学生だし
ちゃんと授業に出ないとダメだよ
えっと、その……
ノート、ノート取っておいてくれる?
後で、写させて欲しいから
あっ、そっか、そうだよね
その事忘れてた
うん、なら後で写せるよう
ちゃんとノートに書いとくね
でも、本当に、傍に
居なくても大丈夫?
うん、少し寝たら治ると思うから
なら良いけど……
熱は、ないんだよね
んっと……
えっ、わわっ
うん、熱は無いみたいだね
でも、無理しちゃダメだよ
ちゃんと、寝て休んでね
うんっ
話は終わったのか、ハクちゃんを残して付添いの子は教室に戻ろうとする。そんな彼女の背に、
ねぇ、彩希。今度の日曜日
暇かな? あのね、新しい――
ぁ……
……用事、あるの?
うん……その、比呂と……
そっか……
あ、でもっ、最近ハクちゃんと
一緒に遊びに行けてないし
ハクちゃんが嫌じゃなきゃ
ハクちゃんと一緒に遊びに行くよ
ううん、いい
大丈夫だよ。暇だったら
付き合って欲しいなって
思ってただけだから
それよりも、仲良くしなきゃ
ダメだよ。私も仲良くなるの
協力してあげたんだし
2人が仲良くないと
気になっちゃうもん
だから、私の事は気にしないで
……本当に?
うん。信用して
……うん、分かった
だったら次は、私と遊んでくれるよね
え?
私も、ハクちゃんと遊びたいもん
今週は無理だけど
来週は一緒に遊びに行こう
……ハクちゃんが
嫌じゃなければ
なんだけど……
……だめ、かな
……
うん。絶対だよ
でも、私の事なら気にしなくても
大丈夫だから、私より比呂のこと
大事にしてあげないとダメだよ
友達より、彼氏の方を
大切にしてあげないと
いけないんだから
えっ、べ、別に、比呂とは
そういうんじゃないし……
その……うぅ……
……頑張ってね、彩希
応援してるから
……っ
うん、ありがとう
へへ、やっぱりハクちゃん
魔法使いみたいだよ
そう、かな……
うん。ハクちゃんのお蔭で
私、元気も出るし勇気も出るもん
……そっか。それなら良いの
それじゃ、私ここで休むから
ノート、お願いするね
うん、任せといて
後で分からない所があったら
教えてあげるね
うん。お願いね
更に何度か言葉を交わした後、付添いの子は保健室を出て行った。
……
そして苦しいぐらいの沈黙が。
2人の会話の温かさが僅かに余韻のように残っているせいで、余計に寂しい気持ちになる。
……ここで声を掛けたら
変だよね、私……
沈黙の重苦しさから逃れたくて、ついそんな事を思ってしまう。けれど、
コミュ障なめんな
そんな簡単に話が出来れば
苦労なんかいらない
自分で自分にノリツッコミ。
コミュ障に一人遊びのスキルは必須なのだ。
などと、自分を落ち着けるために心の中で呟いていると、
魔法使い、か……
別に、そんな良い者じゃないよ、私
ハクちゃんは、ぽつりと呟いた。
少しして布団の音が。どうやら寝て休むようだ。
寝息は、それからすぐに聞こえてくる。
疲れてたのかな……
ここに来るぐらいだし
体調崩してたみたいだけど……
つらつらと、ぼんやりと思う。
思いがけず同年代の話を傍で耳にして、その中に混ざっているような雰囲気に浸れたけれど、所詮は遠い他人事。
こんな物は、ただの擦れ違い。私が関わる余地なんて、どこにもないのだ。
じわじわと、そんな自覚が浮かび上がってくるにつれ、いま傍で寝ている誰かの事を気にする気力は消えていく。
関係ないのだ、私には。どこで誰が何をしようが。
それが、今の私だ。
そして私は眠りに落ちる。何もかも、どこの誰だろうと、どうでも良いと無気力に思いながら――
――苦しげな、その声を聞くまでは。
…………
私は静かにそっと、自分を守るカーテンの囲いを薄く開ける。その先に見えたのは、苦しげに声を上げるハクちゃんの姿。
ベットで眠りに就いた彼女は、言葉にならない声を小さく上げていた。
それはどうしてか、助けを求める声のように、私には聞こえた。
聞こえてしまったのだ。
悪夢を、見てるんだよね、きっと
……なら、私にも出来る事
あるよね……
言い訳するように口にしながら、私の中で、夢の住人と名乗った、チーシャの言葉が蘇る。
チーシャは言った。
悪夢を終らせた所で、それはただ、夢見が良くなるだけ。
その程度の、取るに足らないどうでも良い無意味な行為。
全く持ってその通り。意味もなければ価値もない。
だから後は、私がするかしないか
自分で決めるだけ
呪文のように私は想いを口にする。
それはきっと、必要なこと。
だって、魔法少女には変身するための魔法の言葉が必要なんだ。
私は夢に希望が欲しい
昔見た、キラキラ輝く夢のように
現実なんか知るもんか
寝覚めの良さには代えられない
私は私のしたい事をする
だって私は
くそねみまじかるなんだから
覚悟完了。
チーシャに勝手につけられた名前だけれど、向こうの私を表すのは、それぐらいしか思いつかない。
この辺りは、いつかチーシャと
じっくり話し合わなければ
余分な決意も胸にして、いざ夢の中へ落ちるとしよう。
隣で眠る彼女の意識にフォーカスして目を閉じる。
やる事は、それだけ。
クラスメートの男の子の時と同じ、けれどあの時とは違う自覚を持って、私は夢を観た。