◇一章 皇太子さま、公妾はいかがですか?(2)

















自室へ戻ってきたディーダーは身なりを整えられたリーゼロッテを見て思わずガッツポーズをとった。



ディーダー

素晴らしい! 僕の目に狂いなし! いやあ、これは百年……千年にひとりの逸材ですね




脇に控えていたゼルマもディーダーの言葉を聞きウンウンと頷く。


しかし肝心のリーゼロッテははにかみながらも不思議そうに小首を傾げるばかりだ。


ディーダー

リーゼロッテ、あなたは素晴らしい魅力を秘めた女性です。自信を持って胸を張りなさい。明日からはその外見に似つかわしい教養も備えさせてあげますからね




そう優しく告げてディーダーは絹のような手触りのプラチナブロンドをそっと撫でる。


リーゼロッテ

きょうよう……?




やはり彼の言葉はリーゼロッテにはいまいち理解出来なかったが、人に撫でてもらうのは初めての経験だったので、リーゼロッテは嬉しくてニコニコと微笑んだ。













しかし、長年幽閉されていた少女の教育はなかなかの難航を極めた。




覚えは悪くないのだが、なんせ人が当たり前に体験していることを何ひとつ知らないのだ。



誰かに会えば挨拶をすること、食事の前に祈りを捧げること、部屋に入るときノックをすること、そんな常識から教えなくてはならない。




そして彼女が全く知らなかったこの世界の仕組み、村があり町があり宮殿があり、人々は平民と貴族の階級に分かれていて、その全てを収めているのが皇帝だということも。






さらにディーダーが頭を悩ませたのはリーゼロッテの体質だった。




ずっと陽の当たらない生活をしていたせいで彼女の身体は日光に弱い。長時間外に出ていると皮膚が赤くなってしまうし、目も痛がる。



おかげで幽閉生活を抜け出したというのに、彼女の活動時間は相変わらず夜が中心となってしまった。






それでもディーダーは根気良くリーゼロッテをこの世界に順応させる手ほどきを続けた。






そうして三ヶ月が過ぎた頃、ようやく彼女は最低限の常識を有し自分の置かれている立場を理解するまでに至ったのだ。











ディーダー

そろそろお披露目時ですかねえ、あまり時間もないことですし





まともな栄養を摂取出来るようになり、以前より健康的で女性的な体型になったリーゼロッテを眺めながらディーダーは呟く。



リーゼロッテ

いよいよフォルカーさまにお会いするのですか?




繰り返し教えられた主の名をたどたどしく口にしてリーゼロッテは尋ねた。


ディーダーはそんな彼女にコクリと頷くと、ゼルマがハーフアップスタイルに結ってくれた髪を優しく撫でる。


ディーダー

さっそく今夜、殿下にご挨拶に参りましょう。とびっきり可愛らしく装ってね




本来なら舞踏会なりサロンなりでお披露目するのが筋なのだが、あえてディーダーはそれをしなかった。


リーゼロッテの類稀なる美貌は人前に出せばたちまち噂になってしまうからだ。


それに教育を施したといっても、彼女はまだまだあらゆることに関して無知である。



妬みや批判の的になるのを避けるためにも、リーゼロッテのことが大きく噂になるのは今はまだ避けたいとディーダーは考えていた。

















ディーダー

さあ、参りましょうか







夜になり公務を終えたフォルカーが部屋に戻る時間を見計らって、ディーダーはリーゼロッテを連れ出した。



リーゼロッテは緊張した面持ちでコクンと頷くと、この数ヶ月間で教えられたことを必死に反芻しながら、慣れないハイヒールの足でしずしずと廊下を歩いた。






一際警備が厳しく豪奢な宮廷の西翼の廊下の奥にはこれまた一際立派な扉がある。ここがこの国の皇太子殿下が休息を取る寝室だ。




扉をノックし名乗りをあげてからディーダーが入ると、ソファーに座っていたフォルカーが顔を上げた。



フォルカー

こんな時間にどうかしたのか?





フォルカーももうくつろいでいたようでシャツの上にガウンを羽織り、甘口のワインを嗜んでいる。


リラックスした表情を浮かべていたが、ディーダーの後ろに隠れるように小さな影が立っているのを見つけて、途端に眉根を寄せた。


フォルカー

また凝りもせず、しかもわざわざ俺の寝床まで女を連れてきたのか。お前だからと大目に見てきたが、あまり不躾が過ぎると俺も温厚ではいられないぞ





あきらかに不機嫌な声を出したフォルカーに、ディーダーの後ろに立っていたリーゼロッテがビクリと身体を震わせる。



それに気付いたディーダーは手を伸ばし彼女の頭を撫でると、改めて正面を向いた。



ディーダー

まあまあ、いきなりここへ連れて来たのにはワケがあるんですよ。あまり彼女を人目に曝したくないんでね

フォルカー

人目に曝したくないような不審な女を、よくこの皇太子の前へ連れてこれたものだな

ディーダー

手厳しいですねえ。まあ、見て頂ければ分かりますよ。リーゼロッテ、ご挨拶なさい




ディーダーに促されて、リーゼロッテはしずしずと前に歩み出る。



そして教わったとおりにドレスの裾を指でつまみ静かに頭を下げた。





リーゼロッテ

お、お初お目にかかります。リーゼロッテです



少女が面を上げて見せたとき、フォルカーはまるで奇跡に対峙したような衝撃を受け、目を瞠ったまま動かなくなった。





月光の糸を束ねたような白銀の髪。穢れのない淡雪のごとく白い肌。大きな瞳は虹色の光を宿す琥珀で、あどけなさを残す唇は咲き初めの薔薇のようだった。



シルクを重ねた繊細なレースのドレスは淡いレモン色で、彼女の肌の白さを引き立たせている。コルセットで絞ったウエストは折れそうなほど細く、芸術的なくびれを描いていた。厳選して飾られたアクセサリーはダイヤの首飾りで、虹色のきらめきがリーゼロッテ自身の輝きと相まって息を呑むほど美しい。





眩く、それでいてはかなく、神々しささえ感じるリーゼロッテの美しさにフォルカーはしばし呆然とした。もし神話の女神が地上に姿を現したなら、きっとこれがそうだろうと無意識に頭の中で思う。





フォルカーのそんなようすを眺め、ディーダーは満足そうにニコニコと微笑んだ。


ディーダー

ね、美しいでしょう? 気立てもとってもいいんですよ、素直で純粋で





思惑どおりといった部下の声を聞き、フォルカーはハッと我を取り戻す。



そして、眩過ぎるリーゼロッテから目を離すとディーダーを睨みつけながら言った。


フォルカー

お前は俺を馬鹿にしているのか。確かにこの娘は美しいが、まだ12、3歳といった子供じゃないか。社交界にも出てない子供を俺に宛がうなど、冗談にしても面白くない

ディーダー

あれ、そう見えます? こっちへ来てからけっこう成長したんだけどなあ。こう見えてリーゼロッテは間もなく18になる身ですよ。社交界デビューは事情があってまだしてませんが、その気になればいつだって出来ますから

フォルカー

18だと!?

ディーダー

ええ。ただ正真正銘の生娘なんで、床を共にするときには優しくしてやってください





驚くべき情報を並べられて、フォルカーはますます目を瞠る。



永遠の少女のような容姿を持った生娘でしかも社交界に出していないなど、ディーダーは本当に月の妖精でも捕まえてきたんじゃないかと疑いたくなる。



フォルカーがリーゼロッテに興味を示していることを確信し、ディーダーはますます気分を良くしながら話を進めた。


ディーダー

さあさあ、せっかくですからほら、ふたりでお喋りでもしてください。なんだったら僕は席を外しましょうか




おせっかいを満点に発揮しながら、ディーダーはリーゼロッテの背をグイグイと押す。


目の前までやってこられて、フォルカーは改めて彼女の美しさに息を呑んだ。


フォルカー

ば……馬鹿、いくら美しくったって、俺は公妾なんか……

ディーダー

リーゼロッテはねえ、髪も肌もとーっても綺麗なんですよ~。触れてみたいと思いませんか? ナデナデしてギューっと抱きしめてみたいと思いませんか~?




茶化すように煽るディーダーの言葉には腹が立ったが、その内容には心の奥で関心を示さずにはいられない。


美しい存在を愛でたいと思うのは、男のみならず人間の本能に近い欲求だろう。


触れ難いほどの神秘さと、けれどだからこそ触れてみたい好奇心。そしてこの美しい少女を独り占めしてみたい欲望と、無垢であどけない彼女を慈しんでやりたい庇護欲。



さまざまな想いが交錯して、フォルカーの頭を悩ませる。



フォルカー

少しだけなら……




リーゼロッテの魅力に胸を高鳴らせながら、フォルカーはそっと手を伸ばした。



フォルカー

別に抱く訳じゃない。あ、頭を撫でてやるだけだ





ゆっくりと自分に触れてくるフォルカーを、リーゼロッテは水晶のような瞳でじっと見つめていた。



長くしなやかな指がふわりと彼女の髪に触れ、そっと優しく梳いていく。



極上の絹にも負けない艶やかでなめらかなその手触りにフォルカーの胸が震えたときだった。



――いいですか、リーゼロッテ。殿方は非常にデリケートな生き物です。だから、身体を愛でてもらったときは必ず喜びを口にして伝えなさい。それが愛する男性をとても喜ばせる方法です――





この三ヶ月でガッチリと教わった寝室での作法が、リーゼロッテの記憶に甦った。



リーゼロッテ

そうだった、男性に触れられたら黙っていてはいけないんだわ。何か言わなくちゃ。ええと、なんだっけ。こういうときに口にするのは――









リーゼロッテ

あ……。ああん。気持ちいい。私、フォルカーさまに抱かれてとても幸せですわ





フォルカー

…………へ?

ディーダー

……あちゃー……





とつぜん繰り人形のような様相で素っ頓狂なことを口走ったリーゼロッテに、フォルカーは当然ポカンとする。



教わったとおりにやったのだが、目の前のフォルカーが目をパチパチしばたいてるのを見て、リーゼロッテは不安になった。


リーゼロッテ

こ、これでいいのよね? 間違ってませんよね? ディーダーさま




助けを求めるようにディーダーの方を向けば、彼は額を片手で押さえ眉間に皺を寄せ苦悩の表情を浮かべている。



フォルカー

あっはっはっは!




とつぜん弾けたように笑いだしたフォルカーに、リーゼロッテは驚いて身を竦めた。


笑っているということは喜んでくれたのだから、間違っていなかったのだろうかとも思ったけれど――。



フォルカー

ディーダー、お前は自国の皇太子に木偶人形を公妾として差し出すのか。大したものだ。お前の考えた台詞を吐き出すだけの人形など、抱いて何が楽しい。しかも無知の出来損ないだ

フォルカー

これ以上俺を馬鹿にするのならこの女もろとも牢屋にぶちこむぞ。分かったらとっとと出て行け!





――大失敗である。






彼女の無垢さとディーダーの教育熱心さが、まったく裏目に出てしまった結果だった。




完全に主を怒らせてしまったディーダーは仕方ないとばかりにリーゼロッテを連れて部屋から出ていく。




リーゼロッテはどうしてフォルカーが怒ってしまったかも分からず、不安げに何度も振り返りながら廊下に出た。




けれどフォルカーは顔を背け、彼女が出ていくまでそちらを向くことはしなかった。





こうして、皇太子フォルカーと公妾候補リーゼロッテの初顔合わせは大失敗に終わったのである。







【つづく】

◇一章 皇太子さま、公妾はいかがですか?(2)

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