期末テストが終わったためか、教室内にはどこか弛緩した空気が蔓延していた。
 王星学院は三学期制だ。二学期の期末テストが終わったので後は冬季休暇を待つばかりである。休暇中は海外に行く家が多いのか、そこかしこで会話が交わされている。

 僕はスマフォを片手にキーボードを叩いていた。

神城 鋭

容赦するなよ。
金はいくら使っても良い、迅速に掌握しろ。他家に勘付かれる前に事を終わらせるんだ。
失敗したら君の首、飛ばすから

し、しかし、優秀なメンバーには既にミッションが……

 スマフォの向こうで焦りの滲んだ声がした。
 僕の電話番号を知る者は多くない。電話の向こうの男も、神城の傍流の中でも特に優秀な男だ。東雲とは別の意味で優秀なその男の名を七篠 明雲と言う。
 
 経験も知識も他の者と比類なく、生まれが生まれならば一国一城の主になりうる器量がある。
 反面、優秀な男ではあるのだが、何か命令するたびに、まるでそれが出来ないかのように言い訳してくるのが玉に瑕で、僕はその度に念押ししなくてはならない。

 スマフォの背を人差し指でとんとんと叩きながら問いかける。

神城 鋭

そのミッションとやらは僕の命令よりも優先すべき事案なのか?

 当主は僕だ。その命令は如何なる他の命令の優先度をも凌駕する。勿論、部下の言葉を蔑ろにするつもりもないので強く言われれば話し合うつもりではあるが……

 数秒の沈黙後、答えが返ってくる。

七篠 明雲

……いえ。
承知しました。御心のままに

神城 鋭

ああ、任せたよ。結果はまた別途知らせてくれ

 何だかんだ、任務達成率は高い男だ。
 電話を切ってポケットに入れる。心配はしていない。

 ため息をつくと、僕の隣で待機していた雪柳の方に向き直った。

神城 鋭

待たせたね

雪柳 空

いえ……お仕事中にすいません。

 いつも通り上下共にぴしっと決めた雪柳はどこか居心地が悪そうに答えた。

 雪柳が僕に声をかけてくるなんて珍しい。

 朝の登校さえ一緒にしているが、神城と雪柳では仕事の内容も違えば、僕には他に優秀な部下がいる。神城本家の仕事で彼女を使う事はありえない。
 別に本家の仕事を頼んでもいいし、むしろ父には経験のためできるだけ仕事を振って欲しいと言われているのだが、評価は高いとは言え彼女は所詮高校生、何十年も経験しているプロ達がいるのに彼女に頼む理由がないのである。

 そんなわけで、雪柳に頼むのは現状、学校内の行事で手が必要な時くらいになっていたりする。

神城 鋭

で、何か用?
僕に用事なんて珍しいじゃん

雪柳 空

……はい

 何故か頬を染める雪柳。
 竹を割ったような性格をしている雪柳がそんな態度を取るのもまた珍しい。

 雪柳空の事は幼少の頃から知っている。彼女がこういう表情をするのは、何か言いづらい事を言おうとしている時だ。

 雪柳家に何かあったのか?
 彼女の家は二年一組に配属される程度に家格が高く、そこの家で何かアクシデントがあったのならば日本経済に影響を与える大きなニュースになっているだろう。もとより、うちの傍流である以上その情報は雪柳の直系である空よりも神城当主である僕の方に先に来るはずだ。

神城 鋭

何か用事があるならさっさと言いなよ。
時は金なりって言葉もあるし、雪柳がわざわざ僕に声をかける程なんだから重要な事案なんだろ?

雪柳 空

そ、それほどでもないので、神城様がお忙しいのであれば後日でも問題ないのですが……

神城 鋭

面倒な前置きは不要だ。
言うなら言え、言う必要がないのならば黙って去れよ

雪柳 空

は、はい! すいません……先日お話した漫画の件で……

神城 鋭

漫画?

神城 鋭

何の話だっけ……

 雪柳と漫画の共通点が思い浮かばない。大体こいつ、漫画読んだ事あるのか?

 雪柳の家は通信インフラの大手である。Snow Network社という会社を経営しており、日本でその名を知らない者はいないだろう、プロバイダとしても携帯キャリアとしても有名で、多分一般人にとっては神城よりも馴染みのある名前だ。

 神城グループはエンターテイメントを支配しているが、雪柳家に限って言えば余りその分野に踏み込んではいない。
 彼女は彼女でその会社を経営するための術を学ばされているので、漫画を読んでいる暇もないはずだ。

 首を傾げていると、雪柳がもじもじと続けた。

雪柳 空

四コマ漫画……書いてみました……

神城 鋭

……

神城 鋭

あーあーあー

 その言葉でようやく思い出した。
 割りとどうでもよかったので忘れていたが、そういえばそんな賭けもしたね。

 どっちにしろ雪柳の負けは確定しているというのに、よくやるもんだ。普通にそんな暇ないと思うんだが、まさか雪柳って暇なのか?

 しげしげと雪柳を眺める。

神城 鋭

お前って暇なんだな……

雪柳 ミジンコ

……神城さんの方から言い出した事かと思いますが

神城 鋭

ミジンコの事なんてどうでもいいからな……

 大体、どう考えたって雪柳が笹宮さんに勝てる可能性はない。
 笹宮さんのカオス・ファンタジアが現二十四巻で一億部を超えるという事は単純計算で一巻につき四百万部以上発行しているという計算になるのだ。漫画も読んだことのない雪柳がどうしてその記録を破れようか。

 右肩上がりで順調に発行部数を伸ばしている現在、笹宮さんに勝てる漫画家なんて存在しない。

 まぁ、雪柳も何だかんだ頑張ってるみたいだし、一応うちのグループに入ってるし、当主として慰めるくらいの事はしてやろうか。

神城 鋭

大丈夫、雪柳ミジンコもけっこう良い名前だと思うよ

雪柳 ミジンコ

!?

雪柳 ミジンコ

ま、まだ結果はわからないじゃないですか!

神城 鋭

……

 どこまで引っ張るか迷ったが、もう色々面倒臭いのでぶちまける事にした。

神城 鋭

いや、わかってるよ。
小学生だって勝ち目がないことはわかるよ。ていうか、小学生だって乗らないような馬鹿げた賭けだよ。倍率は大穴なんてレベルじゃないよ。笹宮さんのオッズは1.0だよ。売り言葉に買い言葉でとんでもない賭けに乗ってしまうなんて、お前、ビジネスに向いてないよ

 僕だったら出版社を潰すことで不戦勝できるが、雪柳にそんな手を使わせるつもりはない。ミジンコと笹宮さんだったら僕は躊躇わず笹宮さんを取る。

 ミジンコがその剣幕に目尻を下げる。

雪柳 ミジンコ

……そ、そこまで言わなくても……

神城 鋭

本当はまだまだ言い足りないけど、雪柳も一応うちのグループの一画を担ってるし、宗介に配慮して手加減してやった

 雪柳宗介。

 雪柳空の父親にして雪柳家の現当主である。容貌は柔和な印象が強いがその実確かな手腕を持つ僕の父親の親友だ。
 だが、あくまで親友なのは僕の父親であって、僕と宗介の間には一切何の関係性もないので必要以上の配慮をするつもりはない。

 長くなりそうだったので座ったまま何も乗っていないシステムデスクの上に両足を上げ、腕を組んで冷ややかな視線を向ける。

神城 鋭

で、そのミジンコが僕の貴重な時間を消費するに足る用事って何だよ?

 まだ残っているクラスメイトの視線がこちらに集中している。その中にはいつもミジンコが仲良くしている相手もいるが、誰一人として僕につっかかってくる者はいない。

 神城家というのは感情で手を出すには余りにも大きすぎる相手なのだ。まだまだ現役じゃなくても、それぞれ高度な教育を受けているクラスメイトがそれを理解できる程に。
 ましてや雪柳家が神城グループの一部である事は既に周知の事実。身内同士の会話に誰が口を挟もうか。

神城 鋭

クラスメイトの方が分別はできてるな……

 勿論、たかがガキの戯言で家の力を使うつもりはない。神城の権力は切れすぎる刃、迂闊に抜いていいものではないのだ。僕がそれを無条件に抜くのは笹宮さん関連くらいである。

 ミジンコは若干瞳が潤んでいたが、気丈に返してくる。さすが微生物でも雪柳の遺伝子を継いでいるだけの事はある。

雪柳 ミジンコ

……まだ出版はしていないのですが、漫画を描いたので神城さんに確認させて頂けないかと

神城 鋭

へー、何だ、一応描いたのか。
話に出たのって一週間くらい前だったよな

 何ページ描いたのか知らないが、僅か一週間でずぶのド素人が学校に通いながら一冊分の漫画を描く事が並大抵の事ではないのはわかる。

 ミジンコもゾウリムシくらいには評価してあげたほうがいいのかもしれない。

雪柳 ゾウリムシ

は、はい……一応、絵とかも始めて描いたのですが、プロの方に習ったのでそれなりの物はできたかと

 随分と自信満々の様子のゾウリムシ。
 金は腐る程あるだろうし、講師を用意するのは難しくはないだろう。

 しかし、それなりの物ができた所で笹宮さんを超える事はできない。

神城 鋭

初めて漫画を知った癖に随分と自信満々だな。
絵が上手く描けても漫画はセンスだ。面白くなくちゃ意味がないんだよ?

 逆に言うのならば面白ければネームの段階で掲載しようが下書きで掲載しようが許せる。

雪柳 ゾウリムシ

はい……実際に描いてみて漫画を描く事の大変さがわかりました。
……漫画を侮辱してごめんなさい

神城 鋭

ようやくわかったか……まぁ、お前の名前がゾウリムシになるのは確定だけど、人生経験としてはいい経験になったと思うよ。
今後の健闘を期待します

 ようやく話は終わったかと、鞄を持って立ち上がる僕をゾウリムシが縋るような目つきで止めてきた。

雪柳 ゾウリムシ

ま、待ってください! まだ見てもらってません!

神城 鋭

面倒臭え……

神城 鋭

別に勝負の結果は発行部数次第であって、僕が面白いと思うかどうかじゃないからね

 大体、何で僕が雪柳の素人同然の漫画を読まねばならないのか。
 僕が読むのは笹宮さんクラスの漫画だけだ。雪柳がいくら態度を改めようが僕には何ら関係ない。ビジネス上の契約とはシビアなものなのである。

雪柳 ゾウリムシ

時間は取らせません。せめて一ページ見るくらいは……

 このゾウリムシはその一ページを見ることによる僕への影響を考慮していっているのだろうか?
 つまらない漫画を見ることで僕の脳細胞が破壊されたらどうする!

 勿論、馬鹿正直にそのまま思っている事を言ったりはしない。
 やんわりとお断りな旨を伝える事にする。

神城 鋭

とは言っても、僕は忙しいからなぁ……

 人の寿命は短い。
 こうしている間も、僕が笹宮さんと過ごせる限り有る時間が刻々と消費されているのだ。

 どう断ろうか考えている僕に、ゾウリムシが食い下がってくる。

雪柳 ゾウリムシ

な、ならせめて、題材くらいは聞いてください! 神城さんのために描いたんですよ?

神城 鋭

あー、そりゃだめだわ。
漫画ってのは読者のために描かなきゃいけないんだよ。僕のために描いてどうする? お前の読者は僕か? 違うだろ。
お前のように不純な動機で描いた漫画が面白いわけがない。顔を洗って出なおせ

雪柳 ゾウリムシ

!?

 これだから見よう見まねで漫画を描く奴は……漫画の心というものがわかってないから困る。
 僕はこれでも神城の支配者だ。その僕に魂の篭ってない漫画が通じるわけがない。

神城 鋭

どうせ見なくてもわかるよ。
僕の眼は肥えているからね。お前は本当にエンターテイメントの元締め、神城当主の眼に適うような漫画を描けた自信があるのか?

雪柳 ゾウリムシ

そ、それは……

神城 鋭

ほら見ろ。
こんな僕の一言で揺らぐような自信しかないんだろ? 僕にそんな未熟な漫画を見せようとは大した度胸だな、お前は。
まぁ、本来ならばお取り潰しにする所だが、今回はゾウリムシも成長したようだし、お取り潰しは勘弁しておいてやるよ。その代わり、自分の名前の改名手続きは自分でやっておけよ

雪柳 ゾウリムシ

……

 臥薪嘗胆。いつかこの経験を撥条にゾウリムシが成長してくれる事を願う。
 まぁ、してもしなくても本質的に僕には無関係なんだが……。

 話を終え、視線を外す僕をゾウリムシは止めなかった。ようやく自分がどれだけ不遜なことをしでかしたのか理解したのだろう。

 すっかり無駄な時間を過ごしてしまった。
 鞄を持って、笹宮さんの教室に向かおうとしたその時、ふと呟かれたゾウリムシの一言が時空を止めた。

雪柳 ゾウリムシ

……せっかく、一生懸命頑張って、徹夜までして『冷蔵庫くん』描いたのに……

神城 鋭

!?

 冷蔵庫……くん?

 その未だかつて聞いたことのない奇妙な単語が鼓膜から入り電気信号となって脳裏を駆け巡る。
 僕はその時確かに、この世界の時空が一瞬停止するのを感じ取った。

神城 鋭

冷蔵庫くん……だと?

 馬鹿な……何という破壊力のある単語だ。それが雪柳の描いた漫画のタイトルなのか!?
 笹宮さんの神漫画に慣れ親しんだ僕の琴線にビンビンふれている。

 その単語から、物語が全く予想できない。ファンタジーなのか、日常系なのか、バトル物なのか!?

 まさか雪柳空に漫画家の才能があるというのか!?

神城 鋭

駄目だ……僕の漫画界の隅から隅まで知り尽くした審美眼を持ってしてもまったく検討が付かない……くそっ、雪柳め。最後の最後で何という切り札を切ってきたんだ

 そんな僕の内心を知ってか知らずか、雪柳がどこか悲しげな独り言を続ける。

雪柳 ゾウリムシ

ぐすっ……せっかく色々リサーチして徹夜して描いたのに……冷蔵庫系アイドル達が異世界でバトルするヒロイックサーガ……

神城 鋭

!?

 その言葉を聞いたその瞬間、僕は自分が、本来この世界に出てきてはならなかったとんでもない才能を発掘した事を悟った。

神城 鋭

……くそっ、雪柳空!
この勝負……僕の負けだ。

雪柳 空

せっかく、神城様が楽しんでくれるだろうと描いたのに……ああ、私は雪柳失格です……って

雪柳 空

……へ?

 センスがあり過ぎて何も言えないが、一個だけ。

 ……それ、四コマ漫画だよな?

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