撫子

うぅ……。

フェインリーヴ

泣くほどのシナリオだったか? 

撫子

ふぁいっ……。だ、だって、さ、最後、うぅっ。悲恋なんて悲しいですよ~っ。お師匠様も見たでしょう? 

フェインリーヴ

はぁ……。確かに生きて結ばれる事はなかったが、あれはあれで、幸せな終わりなんじゃないか?

 劇場を満たした女性達の悲痛な涙の気配。
 撫子はその場所を後にしても、いまだにポロポロと涙を零し続けていた。
 泣いていないお師匠様の方がおかしい!!
 撫子はジットリとフェインリーヴに残念さを含んだ眼差しを向け、もう一度。

撫子

あのラストを見ましたよね? 見ましたよね? お互いに想い合っているのがわかっているのに、聖女様は最後まで逃げる道を拒んで……。

 騎士である彼を愛していたからこそ、犠牲となる道を選んだ聖女……。
 そんな彼女を救う為に、騎士は悪魔の囁きに耳を貸してしまった。
 愛する女性、唯一人の存在を救う為に魔族の一人と取引をし、闇へと堕ちた騎士。
 聖女を攫い、女神降臨の儀式を阻んだ騎士だったが、最後には愛する人の手により、浄化の光を受けながら消えていった。
 聖女もまた、女神をその身に降ろした代償により、世界と愛しい男の為に命を……。
 
 

撫子

ら、ラストシーンのキスも見たでしょう? 闇に支配された騎士様に口づけをしながら一緒に死んでいった聖女様っ。うぅっ、あんな終わりなんて悲しいですよ~っ。

フェインリーヴ

よくもまぁ、そこまで感情移入出来るもんだな……。というか、お前がそれを言うか。

撫子

え?

 呆れまじりの溜息を吐き出すフェインリーヴに、撫子は間抜けな声を零してしまった。
 自分は何かおかしな事でも言っただろうか? 
 普通に劇の感想を伝え、悲恋で終わってしまった内容に胸を切なく締め付けられているだけだというのに……。

フェインリーヴ

何でもない。さて、観劇の次はアクセサリー店にでも行ってみるか。

撫子

え……。ま、まだどこかに行くんですか?

フェインリーヴ

せっかく着飾ったんだ。色々なところをまわって楽しんだ方がどちらにとっても得だろう?

撫子

わ、私はもう十分というか……。

フェインリーヴ

さぁ、時間を無駄にしないように急ぐぞ。

 十分に楽しませて貰ったので、そろそろ王宮に戻りたい。そうご遠慮しようとした撫子の先を読んだフェインリーヴが、すかさずその手を握って前を歩きだす。先手必勝、といったところだろうか。
 鼻歌まじりに前を行くフェインリーヴの背中に有無を言わせぬ迫力を感じてならない撫子は、自分を包み込んでいる温もりに視線を落とした。

撫子

普通の、女の子らしい、一日……、か。

 受け入れてはいけない現実のはずなのに、こうやって着飾らせて貰い、美味しい物を食べて、劇を楽しんで……。
 まるで、本当に普通の女の子になったかのような幸せな心地に、撫子は自然と表情を緩めてしまう。
 強引ではあるけれど、目の前のお師匠様はいつだって撫子を一人の女の子として扱ってくれていた。
 癒義の巫女という立場も役目も、その力強い眼差しと強い心で一蹴してしまう人……。
 傍にいると、自分の中に根付いている癒義の巫女としての立場が水面に生じた波紋のように揺らぐ。
 早く離れなくてはならない……、そう、わかっているのに。

撫子

……

 どうしてこんなにも……、胸の奥が温かいんだろう。撫子は少しだけ泣きそうあ心地になりながら、今日だけは、と自分に言い訳をして、フェインリーヴの背中を見つめながら従う事にした。

フェインリーヴ

あのな、撫子……。行きたい所はないかと聞いた俺もあれだが、なんでよりによって薬草店なんだ。

撫子

ふふ、お師匠様は薬草が大好きでしょう? 私も見習いとして色々知りたい事が多いので、ちょっと寄ってみたかったんです。

フェインリーヴ

見習いとしての立場も忘れろと言ったんだがな……。まぁいい。お前がここで楽しめるのなら、好きにしろ。

 アクセサリー店で時を楽しんだ後、撫子は目に入った薬草専門店へとフェインリーヴを誘った。
 まだ初心者レベルの撫子にわかる薬草などほんの僅かなものだが、お師匠様である彼が一緒にいるのなら楽しめそうだと感じたからだ。
 見知らぬ薬草の中から気になるものを指差し、その効能や煎じる時の組み合わせなどを尋ねていく。
 薬草とは言っても、中には花の類もある。
 それらも全て薬に調合する為に有効なものばかりだ。

撫子

お師匠様、この薬草は?

フェインリーヴ

あぁ、それはカルシュ草だな。それ大量にすり潰してメノルの滴と一緒に煎じると、正気を失っている薬中患者や精神的な錯乱状態にある者の目を覚まさせる事が出来る。まぁ、抑え込まれている正常な思考を取り戻させる効果がある薬草だな。ちなみに、煎じた薬名は、カルメディーと言う。

撫子

ふむふむ。じゃあ、こっちのお花は?

フェインリーヴ

シフォンの花か。これはこっちのヴィーア草と一緒に煎じて飲ませると、正気を失っている薬中患者や精神的な錯乱状態にある者の目を覚まさせる事が出来る。まぁ、抑え込まれている正常な思考を取り戻させる効果がある薬草だな。その時の薬名は、シルヴィノだ。

撫子

お師匠様って……、本当に薬草学の専門家なんですね~。どれを見てもすぐに名前や組み合わせ、薬名までわかっちゃうなんて……。その熱意をお片づけにも向けてくれないものでしょうか。

フェインリーヴ

危機感を感じたら片付けるようにはしている。というか、魔術師や研究職の奴らの部屋なぞ、大抵は俺の部屋と同じようなものだ。

 つまり、仕事が忙しいから片付ける暇をとっている時間が惜しい、と?
 初めから開き直っているお師匠様なのはわかっていた事だが、撫子としては納得がいかない。

撫子

でも、私のいた世界で術研究などをしている男性達は、綺麗に片付けてましたよ。

フェインリーヴ

そうかそうか。だが、他所は他所、ウチはウチだ。

撫子

むぅ……。

フェインリーヴ

お、珍しい薬草が入ってるじゃないか。あ、こっちにもレア系が。店主! 王宮への配達を頼む!!

 撫子からのお説教を回避する為なのか、というよりも、目に入った貴重な薬草に意識が奪われたと言った方が正しいだろう。
 フェインリーヴは目当ての薬草を両腕に抱え、カウンター奥にいる店主を呼びつけた。

おや、フェインリーヴ様、いらっしゃいませ。いつもご贔屓にしてくださって、本当に有難うございます。

フェインリーヴ

王都の中でも、お前の店は仕入れの仕事ぶりが随一だからな。これと、こっちのも、あ、それから、あっち側にある薬草も頼む。いつも通り、俺の研究室にな。

かしこまりました。ところで……、今日のお弟子さんはいつもと違って可愛らしく咲いていますね。デートですか?

フェインリーヴ

は?

 突拍子のない店主からの発言に、ピシリと固まる師匠と弟子。デート……? 自分とフェインリーヴが?
 確かデートというのは、撫子の世界における逢引きの事を指す。恋い慕う男女が共に歩き、一日を過ごすあれだ。
 撫子はポカンと口を開けているフェインリーヴの顔を見上げると、ほぼ同時に赤くなってしまった。

そうやって並んでいらっしゃると、お似合いのカップルにしか見えないんですが……、違うんですか? 私の見立てでは、ついに弟子の可愛さに耐え切れず、がぶっとやっちゃったのかと。

撫子

なっ!!

フェインリーヴ

ちょっと待てぇえええ!! お前は俺達をどういう目で見てるんだ!! 確かに着飾らせたのは俺だが、デートじゃない!! 普段年頃の娘らしい遊びをしない弟子に師匠としてその楽しさをっ!!

なるほど……。つまり、男女のそれではない、と。

フェインリーヴ

そうだ!!

 全面否定で声を張るフェインリーヴに、店主は顎に指先を添えて思案顔になると、薬草を受け取りながら尋ねてきた。

ふむ……。それならば私の失礼お許しをと申し上げたいところですが、フェインリーヴ様。ぶっちゃけ、可愛く着飾ったお弟子さんをどう思われますか?

フェインリーヴ

は? そりゃあ……、可愛い、と、思うが。

そんなお弟子さんが、貴方様のいない時にナンパでもされたらどう思います?

フェインリーヴ

問答無用でぶっ飛ばす。

どう思うかの質問に対して行動方法を答えてきましたか……。しかも、清々しい程に男らしい答えをどうも有難うございます。さて、お会計を済ませましょうか。あぁ、それと例のご依頼の品も手に入っておりますので少々お話を。

フェインリーヴ

なんなんだ、お前は……。まぁいい。撫子、先に出ていろ。

撫子

え? あ、はい……。

 店主が一体何をしたかったのか……。
 予期せぬ発言のせいで、撫子は火照る顔を両手に包み込みながら外に出る事になった。
 
 

撫子

はぁ……。吃驚した~。お師匠様と私がデートって……、ありえなさ過ぎる。

 自分が今の服装をしている事が原因なのだろうか?
 撫子は自分にとって保護者という立場でしかないフェインリーヴの姿を店の窓から眺めながら、うぅ、と小さく唸った。
 この薬草店の店主は物静かな人だが、時々よくわからない冗談めいた事を言う人なので、きっと今日もからかいついでにあの発言をしてみただけなのかもしれない。
 きっとそうに違いない。でなければ、自分と師匠である彼が恋人同士に見える、なんて……。

撫子

まぁ、保護者的な感情が強い人だから、色々とお世話はして貰ってるけど……。お師匠様から見たら私なんてお子様なわけで……。なんだろう、このよくわからない気恥ずかしさは。

 師匠と弟子、保護者と庇護される者。
 そうだ、それだけの関係だ。
 冗談とはいえ誤解を受けるなんて、撫子のせいではないけれど、フェインリーヴを不快な目に遭わせてしまった事に、ほんの少し申し訳なくなってしまう。
 彼が独身男性である事は知っているが、もしも密かに想う人や、自分に隠しているだけで、実は恋人の類がいたりしたら……。
 きっとあの誤解を受けた瞬間、フェインリーヴは困惑と不快さを感じたに違いない。

撫子

まったく……。店主さんの馬鹿。

 冗談にも限度があるというものだ。
 撫子は窓の向こうにいる店主をジットリと恨みがましく見つめながら、やれやれと溜息を落とす。
 視線の先では、まだ何かからかわれているのか、会計をしながら話をしているフェインリーヴが顔を真っ赤にして怒鳴っている姿が見える。
 もしかしなくても……、まださっきの誤解をネタにしているのだろうか。
 撫子が頬をむぅっと膨らませていると、不意にすぐ傍から女の子達の嬉々とした声が聞こえてきた。

ねぇねぇ!! あの人すっごく格好良くない?

本当本当!! 綺麗な長髪美形……。うっとりしちゃうくらいに横顔も整ってるし、ねぇ、出て来たら声をかけない? お茶に付き合って貰いましょうよ。

撫子

……お師匠様が、モテているっ!? 

 きゃっきゃと盛り上がっている女の子達が口にしているフェインリーヴへの賛辞を耳にしながら、撫子は自分のお師匠様がかなりの美形男子である事を今思い出した。
 いや、美形だという認識はあったのだが、普段の残念さが……、撫子の目にマイナス面のフィルターをかけていたとしか言えない。
 女の子達の視線は熱烈なもので、本当にフェインリーヴをどこかに誘ってしまいそうな勢いだ。

撫子

とっても綺麗な女の子達……。誘われたら、私を放って行っちゃうのかなぁ、お師匠様。

 フェインリーヴの女性関係に関しては、何も聞いた事がない。
 王宮の女官達と顔を合わせても、普通に挨拶を交わすだけ。余計な会話はない。
 薬草に関する事が中心に一日をまわっているお師匠様だ。きっと女性にもあまり興味がないのだろう。
 そう思ったものの……、傍にいる美人の二人から声をかけられれば、お茶ぐらいになら付き合うかもしれない。
 さっき店の中で外に出ていろと促したように……、撫子の事など放って、どこかに。

撫子

そうなったら一人で王宮に戻ればいいだけじゃない。子供じゃないんだから……、別に。

 この異世界で暮らし始めてから、フェインリーヴは撫子にとっての神様も同然だった。
 住む場所や服、食事、生きていく上で必要な全てを用意してくれた人。
 それだけでなく、親身になって面倒を見てくれている、お人好しなお師匠様。
 そんな彼の傍に居過ぎたせいなのか、撫子は飼い主を奪われそうになっている子犬のような気持ちで俯いてしまう。

フェインリーヴ

待たせたな、撫子。……ん? どうした。

 店のベルが鳴り響いた直後、撫子の傍に影が差した。自分よりも長身の、綺麗な長髪の男性の影。
 胸の奥にモヤモヤとした不快感を抱えていた撫子は、顔を上げた先でフェインリーヴの心配そうな表情と出会う。
 その右手が撫子の頬を包み、もう一度問う。

フェインリーヴ

具合でも悪くなったのか? 顔色が悪いぞ。

撫子

い、いえ……。

ねぇ、あれって彼女なのかなぁ? 

えぇ……、違うでしょ。妹か何かだって! 勇気出して声かけちゃおうよっ。

 背後で聞こえた女の子達の積極的な声。
 自分がいても、彼女達はフェインリーヴに誘いをかける気なのだ。
 しかし、噂の的になっているお師匠様は女の子達の事など何も気にしていない様子で撫子の手を掴んで休める場所に連れて行こうとしている。
 それを遮るように回り込んでくる女の子達。

すみませ~ん!! あの、今から時間ないですか? 私達、お茶を飲む相手を探してて~。

一緒に楽しい時間を過ごしませんか~? 三人で、ね?

 撫子からすれば、見も知らぬ相手を積極的に誘える彼女達の存在は未知の生物そのものだ。
 元の世界にいた女性達は、自分から誘ったりなどしないし、相手に興味があるとしても、まずは自己紹介を兼ねての文から始める。
 ある意味で凄い、そう内心で辛くなる思いと共に感心していると、傍に感じていた温もりが急激に冷えていくような心地を覚えた。

撫子

お、お師匠……、様?

フェインリーヴ

撫子、行くぞ。

え~!? ちょ、ちょっと、お兄さ~ん!!

なんで無視するんですか~!! あ、お茶代なら私達が出しますし、その後も、お兄さんと楽しい事したいな~って思ってるんですよ~!!

 追い縋ってくる綺麗な女の子達を、フェインリーヴは本気で鬱陶しそうに見下ろすと……。

フェインリーヴ

お前達のような軽い女を相手にしている時間はない。どけ。

ひっ!!

そ、そんな怖い顔で睨まなくてもぉっ!! も、もういいわよ!! この顔だけ男!! ロリコン!!

 凍り付きそうな程に温もりのない視線に晒された女の子二人は、捨て台詞を吐いてその場を逃げ去って行ってしまった……。
 傍にいた撫子も、フェインリーヴの蔑みと冷酷さの滲む双眸に怯え、微かに震えている。
 しかし、次に撫子の事を見下ろしてきたお師匠様の目には、もうその恐ろしい気配はなかった。

フェインリーヴ

まったく……。誰がロリコンだ、誰がっ。ああいうタイプは反省も学習もないだろな。

撫子

お師匠様……。良かったんですか? とっても綺麗な子達だったのに。

フェインリーヴ

は? あれのどこがだ? 撫子……、お前、視力に問題ありか?

 本気で言っている……。
 げんなりとした顔で、逃げて行った女の子達の事を呆れまじりに話しているフェインリーヴの目は、こっちの方こそどうなっているんだと質問を投げ返したいものだった。
 美形だからか? 美形の目から見れば、あのレベルは美人にも入らないと言うのか?
 だとしたら、自分の存在など芋レベル以下にしか見えていないに違いない。
 撫子は遠い目をしながら呟く。

撫子

お師匠様の贅沢者ぉ……。

フェインリーヴ

なんなんだ、一体……。はぁ、とにかく、休める場所に急ぐぞ。

撫子

うぅ……。

 撫子の内心など知りもしないフェインリーヴ。
 彼女達の誘いを平然と、いや、無慈悲に打ち捨てたこのお師匠様の姿は少しだけ怖かったが、……何故だろう。自分を捨てないでくれた事が、撫子の事だけを見ていてくれたフェインリーヴの対応が、どうしようもなく嬉しくて……。
 あぁ、本当に自分は飼い犬同然のようだと、手を引かれながら撫子は思うのだった。

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