――力の足りない小娘だと、初代、歴代の癒義の巫女には到底及ばぬと、誰もが口にした言葉。
 多くの人の命運を託すには、あまりに小さな存在。
 それでも、彼らは一人の小娘の存在に執着し、いざという時の為の『生贄』として、縋り続けた……。

 全ては、数多の戦力を犠牲としても打ち倒せなかった『凶極の九尾』を……。
 戦とは無縁のたおやかなる娘がその身ひとつで鎮め、塗り潰された絶望の深淵に奇跡の光を投じた。
 癒義の巫女は自分達を救ってくれる……。
 最初は純粋な期待だったのかもしれない。
 けれど、時の流れと共に願いは『欲』へとすり替わり、癒義の巫女は人々の安寧の為に生きる者だと、いざとなれば、『贄』となってその身を捧げて当然だと、そう……、義務と称して押し付けられるようになった。 

姫様、姫様っ。また行かれるのですか? ここ数日ほど、仕事を詰め込みすぎでは……。

撫子

ありがとう。でも、大丈夫だから心配しないで。

ですが……。あぁ、行かれてしまった。

当代の姫様は少々責任を感じすぎておられるのではないか? 今の月に入って何件目の仕事だ……。

休んで頂きたいものだが、仕方あるまいよ……。今の姫様の出自を突(つつ)く輩も多い。その上、癒義の巫女としての在り方に口を出す者達も……。姉上様の身代わりという事情もまた、姫様が気負いすぎる原因なのだろうが……。

 癒義の巫女が担う最も重要な責務は、凶極の九尾が再びこの地上に解き放たれた際の封じ役。
 けれど、その必要がない時代においては、都や周辺の村などで起こる怪異に目を向け、人々の憂いを晴らす為に動く。
 勿論、それを専門に商売をしている術師もいるが、人々は奇跡の存在たる癒義の巫女を望み、縋り続けていた。

 撫子が癒義の巫女の座を受け継いだのは、僅か七歳の時。本来、その座を継ぐべきは彼女の姉だったというのに、身体の弱い撫子の姉では役目を果たせまいと憂いた長老格の者達が、――幼子に目をつけた。
 癒義の一族が当主の兄、彼が外の娘との間に作った血筋の穢れし者。
 病弱な従姉の為……、撫子は、幼くして重責を課せられ本家の者となった。
 本来ならば、本家か、分家の血筋より立てる癒義の巫女。たとえ身体が弱くとも、それは従姉が果たすべきだった責務……。
 何故、一族を出て平穏に暮らしていた当主の兄夫婦の間に生まれた撫子に白羽の矢が立ったのか……。
 それは、至極簡単な答えだ。
 ――癒義の一族を裏切り、外の娘と通じた男に罰を。得られた幸福と等しい代価を、差し出せ、と。
 それが、一族の長老達にとって汚点でしかない撫子を利用し、使い捨てるというものだった。
 万が一が起きても、露と消えても構わぬ存在。
 撫子の存在価値は、一族と民の為に戦い、死ぬ事。

撫子

長老様達や一部の人達の事は苦手だったけど……、姉様や皆に会えた。ただ利用され傀儡のように生きる事だけを強いられた私に、優しい温もりを与えてくれた。だから、私は自分の立場を悲観する事はなかったし、皆の為に戦える事が嬉しかった……。

 それこそ、恐ろしい凶極の九尾と対峙し、その命を差し出す事になっても……。
 それなのに、……『あの人』は自分をただの娘に戻そうとする。癒義の巫女という枷を自分の意思で捨て去り、幸せを求める普通の存在になれ、と。

撫子

お師匠様、ごめんなさい……。ただの娘に戻るという事は、皆の思いを裏切るという事なんです。

 凶極の九尾を討ち果たすか、封じなおすか……。たとえそのどちらかを終えたとしても、撫子は癒義の巫女として生き続けなくてはならない。
 次代の巫女にその座と使命を託し、一族と人々の為にその生を全うする……。
 そう心に決めて、……強いられて、生きてきたのだから。
 

撫子

ごめんなさい……。ごめんなさい、お師匠様。

 撫子のその音は、応えられぬ悲哀に満ちながら……、闇の底へと溶けていく。

フェインリーヴ

撫子、昼食だ。

撫子

ありがとう……、ございます。

 フェルディアの町から強制送還されて、早三日。
 勝手に真似をした弟子を教育し直すと決めたフェインリーヴによって、撫子は彼の研究部屋に閉じ込められていた。
 教育のし直し、とはいっても……、自由が制限されているだけの環境になっただけの話だ。
 この部屋で薬学の本を読んだり、フェインリーヴの書いた論文に目を通したり、すぐに散らかる部屋を片付けたり……。
 外出の際は、お師匠様の監視付き……。
 まるで、向こうの世界で癒義の巫女として生活していた時のように、いつも誰かが自分を監視しているかのような心地だった。

撫子

……機会を窺って、まずはお師匠様に持って行かれたあの妖と話をしないと。

 凶極の九尾に繋がる大事な手がかり。
 あの妖を手に入れなければ、前に歩みを進める事は出来ない。けれど……。

撫子

私が対峙した凶極の九尾は、とても知性を持つような妖じゃなかった……。本能のままに暴れまわる獣。それなのに、どうして……。

 敵である自分に選ぶという譲歩をしてきたのか……。大体、この世界に一緒に飛ばされて来たはずなのに、近くにいなかったのもおかしい。
 それどころか、姿を隠し、何も行動を起こしていない。まるで、知性と自我を持つ存在のようではないか。テーブルに置かれた昼食を見下ろしながら、撫子は息を吐く。
 その憂い顔を、師である男がじっと観察している事にも気づかずに。

フェインリーヴ

それを食べたら栽培ハウスの掃除だ。しっかり食べて、俺の役に立て。

撫子

……一体、何故。

フェインリーヴ

腹が減っているくせに思案優先か……。撫子、いらないなら、俺が食うぞ。

 凶極の九尾の事しか頭にない弟子を残念な目で見やり、フェインリーヴは朝食のサンドイッチをひょいっと持ち上げ、それを自分の口へと運んでいく。
 対する撫子は、大人げない師匠の行動さえ目に入らず、まだブツブツと……。
 二つ目を手にとった所で、フェインリーヴの額に限界を知らせる青筋が浮き立つ。

フェインリーヴ

だああああああああ!! 毎日毎日、いい加減飽きろ!! 凶極の九尾の事ばかり考える自分を馬鹿じゃないかと自覚しろぉおおおお!!

撫子

お、お師匠、様っ!?

フェインリーヴ

気を使ってやるのも飽き飽きだ!! 撫子!!外に出るぞ!!

撫子

え?

 いきなり何を言い出すのだと首を傾げた撫子の目の前で昼食のサンドイッチを全て頬張ってみせると、まるで頬袋いっぱいのリス的顔でお師匠様は彼女の手首を掴んだ。異論は許さない。そんなギャグなんだかシリアスなんだかよくわからない顔で……。
 強制的に思考を打ち切られてしまった撫子は、ぽかんとしながらも、フェインリーヴに引き摺られて行くしかなかったのだった。

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