撫子

また前と同じ……。たった一度の目撃情報だけで、それからは何も起きてない……。

フェインリーヴ

撫子、食事が冷めるぞ。

撫子

目撃場所は、町の路地裏……。赤い目と、普通の魔物とはあきらかに違う異形。目撃者の見ている前で消えたという話だけど……、前回と今回の件はよく似ている。けれど、姿だけを見せて、それからは何もしてこないって……。どういう意図があるのかしら。

フェインリーヴ

全然聞いてないな、こいつ……。

 警備隊の詰め所で聞けたのは、レオトからもたらされた情報に、詳しい目撃場所が追加されただけの話だった。町の見回りも強化され、正体不明の魔物の捜索も行われたのだが……、結果は異常なし。
 目撃者は当時酒を飲んでいたわけでもなく、その証言が酔っぱらいの見間違いという風にはとられなかったが、警備隊の見解は至極簡単なものだった。
 この世界には、無害な魔物もいて、そういう類の者達が極稀に町中へと迷い込んで来る事がある。
 だから、数日かけて見回りを行っても異常なしという事は、その例に当てはまるのだろう、と。
 しかし、そう説明されても、撫子の胸の奥で微かに騒ぐ予感が告げている。

撫子

私の捜している妖と……、絶対に何か関係がある。そんな気がしてならない。

 すぐ目の前で自分の分のハンバーグが師匠につまみ食いされている事にも気づかずに、撫子は両腕を組んで考え続ける。
 前回はフェインリーヴに言い含められ、情報を聞いただけで王都へと戻る羽目になってしまったが……。

撫子

お師匠様、私、目撃情報のあった路地裏を張ってみようと思うんですが、……あ。

撫子

ハンバーグがない!? え? 私の特大ハンバーグどこ!?

フェインリーヴ

ふぅ……。なかなかの味だったな。ご馳走様。

 ご馳走様、じゃない!!
 人が楽しみにしていた夕食を、特大ハンバーグ(チーズ入り)をこっそり奪っていくとは何事か!!
 撫子は顔を真っ赤にして向かいの席に座っているフェインリーヴの長髪を引っ掴むと、鬼の如き形相で怒鳴り始めた。
 宿屋の一階にある食堂に集まっている住人達が、面白そうに二人へと視線を注いでいる事にも気づかずに。

撫子

お師匠様の馬鹿ぁああああああああっ!! ぐーたら昼行燈のくせに、盗人的所業までやらかすなんて、鬼畜ですよ!! 外道ですよ!!このひょろっこ薬師!!

フェインリーヴ

はははははははっ!! もう腹の中におさまったものは回収不能だからな!! 俺が何度も声をかけてやっただろう? それなのに無視したお前が悪い。あぁ、美味かった~♪

撫子

うぅっ、私のハンバーグっ。この世界に来て出会った美味しい美味しいハンバーグっ。酷い、酷い!! ポチに言いつけてやりますよ!!

フェインリーヴ

ふっ。生憎とこの町にあの犬っころはいない。残念だったな。

 席を立ちあがりポカポカと拳を叩き付けてくる弟子の抗議など何のその。
 フェインリーヴは余裕顔でテーブルに肩肘を着き、さてデザートでも食べるか、とメニュー表を引き寄せた、その瞬間。

ポチ

ワンッ!!

フェインリーヴ

……。

 ずっしりと、弟子のものではない重量がフェインリーヴの背中にのしかかってきた。
 背後から聞こえるのは、聞き覚えのある犬のような……。

フェインリーヴ

ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!

ポチ

ワンッ!! ワフッ!!

 恐る恐る振り向いた瞬間、フェインリーヴの唇と、王都にいるはずの飼い狼、ポチの口がぶちゅっと触れ合った。撫子は床に蹲って腹を抱えながら大笑いをし、ポチの横では飼い主が両手を打って「ナイス! ポチ!!」の称賛を送っている。
 食堂内の客達も、宿屋の女将や料理人も、同じく。

騎士団長・レオト

噂をすれば何とやら、ってな♪ いやぁ、まさか振り返り様にポチとキッスとは、フェインリーヴ、お前もなかなかやるなぁ。ぷっ、はははははははははっ!

フェインリーヴ

レ~オ~トォオオオオオオオオオオ!! 何故貴様がここにいる!? そして何故、犬っころまで連れてきた!? ……うぅっ、俺の、俺の大切な唇がっ、ぁあああぁっ。

撫子

ふふ……。お師匠様、もしかして初めてだったりしたんですか?

 弟子からの茶化しにも、フェインリーヴは全力で「誰が教えるか!!」と怒鳴り返し、自分の顔をぺろぺろと舐めてくるポチの顎を必死に押し返す。
 確かポチはオスのはずだが……、フェインリーヴに対するこの溢れんばかりの懐き様は、ある意味でメスのようだ。
 撫子はポチとフェインリーヴが婚礼を上げるシーンを想像し、思わずまた噴き出してしまう。

撫子

ところで、レオトさんとポチは何故この町に?

騎士団長・レオト

フェインというよりは、撫子君の助けになれればと思ってね。騎士団の方は副団長に任せてきたから大丈夫だよ。

フェインリーヴ

ならせめてこの犬はおいて来い!! あぁ……、顔がベトベトするぅ……。

 再会の抱擁に満足し自分の傍に腰を下ろしたポチをギロリと睨み、フェインリーヴはテーブルにあったおしぼりで顔を拭いた。
 その間にレオトと撫子は席に着き、新たな客の訪れに喜んで寄ってきた女将が、注文を受けまた戻っていく。

撫子

お師匠様のおごりですからね? 特大ハンバーグとデザートのパフェを頼みましたから、今度は盗っちゃ駄目ですよ!

フェインリーヴ

好きにしろ……。

騎士団長・レオト

フェインのおごりでじゃんじゃん頼もう! ポチ、お前の餌も頼んでおいたからな!!

ポチ

ワンッ!

フェインリーヴ

騎士団長が人の財布をあてにするな!!

 なんだか王都での光景と変わらなくなってきたが、レオトとポチがいてくれた方が、撫子としては気がまぎれる。というか、お師匠様の残念な姿がいっぱい見られるので和む。
 それに、これから先程提案した正体不明の魔物の待ち伏せに関し、レオトが味方になってくれるとありがたいのだ。
 運ばれてきた出来立ての料理を前に、撫子はそれを頬張りながらある程度腹の具合が満たされると、本題に入りなおした。

撫子

夜は、魔の領域と言いますし、とりあえず夜通し見張ってみます。

フェインリーヴ

却下。何度も言うが、お前ひとりで相手にしきれない対象なんだ。もし出くわしたらこの町がいらん犠牲を払う事になる。

撫子

ご安心を。あくまで陰から見張ります。そして、姿を捉え次第、後を追って住処を突き止めます。それなら、町の人達にも迷惑がかかりませんし、お師匠様もぐーすか寝ていられますよ。

騎士団長・レオト

いやいや、撫子君。そういう問題じゃ……。

 撫子の決意と今後の動向を見守っていたレオトが、グラスに入っている酒を一口含むと、残念そうな顔で彼女の肩をつついてきた。
 ポチも何かを知っているような訳知り顔でうんうんと床の方で大きな頭を縦に振っている。
 フェインリーヴに至っては、キレる三秒前の顔だ。

フェインリーヴ

ふざけるなよ、この脳筋娘が……!

撫子

の、脳筋!?

フェインリーヴ

レオト、食事が終わったらこれを部屋に放り込むぞ。縄でぐるぐる巻きにして、魔力の鎖も足先から首まで着けてやる。それなら朝まで動けんだろうからな。

騎士団長・レオト

フェイン、フェイ~ン……。目が据わってるから、完全に物騒な発想に行き過ぎてるから。それ、師匠の目と発言じゃないから。

 脳筋と評され固まってしまった撫子は、ブンブンと首を振って師匠のあんまりな発言に騒ぎ出す。
 別に妖と戦う、とは言っていない。
 まず最初に、奴の住処を突き止め、然るべき対策と奇襲の計画を立て……。
 そう考えているというのに、フェインリーヴは駄目だの一点張り。それではこの町に来た意味がない。
 睨み合う師弟の図を見ながら、レオトがまぁまぁと宥めに入る。

騎士団長・レオト

フェインは、夜の見張りにも自分を同行させろって言ってるんだと思うよ。女の子一人じゃ、魔物や妖だけでなく、生身の人間も害になる時があるからね。

フェインリーヴ

酔っぱらいに絡まれたり、素面でも女を連れ込もうとする輩はいるだろうからな。一応脳筋でも自分が女だという自覚を持て。馬鹿弟子が。

撫子

別に大丈夫ですよ! 元いた世界でも、普通にひとりで夜の都を走り回っていましたし、武術だって嗜んでいますから!!

フェインリーヴ

年頃の娘にあるまじき日常過ぎる、と言っているんだ。夜の見張りとやらは、俺がやってやる。だからお前は部屋で寝ていろ。

 憤慨している撫子の額を指先で小突き、フェインリーヴは溜息と共に席を立った。
 保護者を自称している彼が心配してくれているのはわかっている。撫子を拾ったあの日、このお師匠様にどれほどの心痛を抱かせ、迷惑をかけてしまったのかも……。だからこそ、撫子はひとりで行きたいのだ。
 フェインリーヴの世話にはなっているが、あの妖と因縁があるのはこの世界で自分だけ。
 誰かに甘やかされて、誰かを代わりに犠牲としてしまうような事態は避けなければならない。
 昔から言われ続けてきた……。
 癒義の巫女は、皆(みな)を守る柱。
 いざとなれば、その命を差し出してでも事態を収めよ、と。
 自分のせいでフェインリーヴやレオトに迷惑がかかってはいけない。傷を負わせてはいけない。
 ……必要以上の優しさを、受け入れてはならない。

撫子

お断りします……。

フェインリーヴ

なんだと……?

撫子

お世話になっている事に関しては、心より感謝しています。けど……、あの妖は、私だけの問題です。無関係なお師匠様は口を挟まないでください。

フェインリーヴ

あ?

 撫子からの完全な拒絶の言葉に、フェインリーヴが彼女に背を向けた状態で顔だけを振り向かせると、彼女が今までに聞いた事もないようなドスの効いた一音が漏れた。珍しくポチが怯えた様子を見せ、レオトの方は、あちゃ~……という顔で頭を抱えている。

騎士団長・レオト

撫子君、謝ろう。今ならまだ引き返せるから、ね? フェインの奴は怒ると本当に手段選ばなくなるから、……あ。

撫子

きゃああああっ!! お、お師匠様っ、何するんですか!! や、やめてくださいよ~!!

 駄々を捏ねている馬鹿弟子と判断されたのだろう。
 撫子は青筋を浮かべたフェインリーヴに片腕で抱き上げられ、その肩に担がれてしまった。
 何故!? こんなひょろっこのどこにそんな力が!! 武術を嗜んでいる撫子の抵抗が全然効いていない!! 一体どういう事!?
 パニック状態になってしまった撫子は、そのまま宿屋の二階へと続く階段を上るフェインリーヴに連行され、……本当に部屋の中に閉じ込められる羽目になってしまった。

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