翌日、撫子はフェインリーヴが手綱を握る馬に乗り、フェルディアの町へとやって来た。
 クリーム色の石畳、花に彩られたレンガ造りの家。
 二人が歩いている大通りには、人々の賑わいが溢れている。

撫子

魔物が目撃された、というわりには……、皆さん普通に生活してますね。

フェインリーヴ

目撃情報は深夜の事だったらしいが、この光景から考えると……、それ以降の動きも、姿も、完全に消え失せたと思っていいだろうな。

 街中に出ている店や人に視線を巡らせながら、撫子はどう反応して良いものかと迷う。
 一緒に飛ばされてきたはずの妖……。
 これからこの町の中にある警備隊の詰め所に向かうが、本当に何もなければ、また手がかりが途絶えてしまうのだ。人々に何もなかったという安心と、妖を捜しあてられない悔しさ……。
 俯き加減になった撫子の手を、フェインリーヴの右手が包み込む。

撫子

お師匠様?

フェインリーヴ

前に行った町よりも、ここは人が多い。迷子防止の対策だ。別に構わんだろう? 俺の尻まで見たんだからな。

撫子

まぁ……、はい。でも、さりげにまだお尻を見られた事気にしてるんですね?

フェインリーヴ

お前は全然気にしてなさそうだがな!!

 だから、あれは治療の為だと言ったのに……。
 このお師匠様は変なところで繊細というか、乙女的というか、反応がいちいち可愛い御人だ。
 繋がれた温もりを見下ろしながら、撫子はくすりと微笑んだ。
 迷子防止の為とは言ったが、本当は……。

撫子

落ち込みかけた私を励まそうとしてくれたの、かな。

 撫子の事を下僕だという事もあるが、やはりフェインリーヴの心根は優しい事を再確認する。
 口では色々と文句も多いが、見上げた先でさっと逸らされたお師匠様の顔には、ほんのりと薄桃色の気配があった。
 撫子がこの世界に飛ばされて、初めて出会った異世界の住人……。自分を励まし、傍で癒し続けてくれた人。フェインリーヴには返しきれない恩が山積みだ。
 

撫子

お師匠様、ありがとうございます。

フェインリーヴ

手くらいならいつでも繋いでやる。……勝手にいなくなるなよ?

撫子

はい。

 隣を歩くフェインリーヴのその音が、迷子になるなという他に、別の意味を含んでいるような気もしたが、撫子は微笑と共に頷くだけで探ろうとは思わなかった。時折、市場の者達から陽気が声がかかり、二人で警備隊の詰め所を目指す傍らで立ち寄り、それらについて言葉を交わす。
 

おや!! これは可愛いお嬢さんだね~!! ちょっとウチの店に寄ってかないかい!? お嬢さんに似合いの髪飾りを売ってるんだが。

 警備隊の詰め所に着くまであと少し、の所で呼び止められた撫子が、その店へと目を向けた。
 様々な花を模して造られたそれらと、髪に着ける髪飾りが一緒になった売り物が、年頃の少女である撫子の心をぐいっと引っ張り込んでいく。
 フェインリーヴも、手を繋いでいる以上引き寄せられていくのは致し方がない。
 

撫子

とっても可愛いですね~。あ、それぞれの髪飾りに花の意味が書いてある。お師匠様、見てください。

フェインリーヴ

あぁ、本当だな……。じゃじゃ馬なお前にも、こういう物を愛でる女らしさがあったのか。

フェインリーヴ

ぐっ!!

 余計な事を言ったお師匠様の足下では、グリグリと弟子の怒りが炸裂しているようだ。
 撫子とて、花も恥じらう年若き女性。
 元いた世界では、あまりそういう方面に嬉々とする顔を表す事は出来なかったが、ここでは違う。
 誰も撫子が癒義の巫女とは知らない。
 女の子らしく、可愛い物や綺麗な物に興味を向けて、それを表に出しても……、咎める者はいないのだ。だから、少しだけ、撫子は髪飾りを手に取ってみた。
 

撫子

ふふ……。良い人に買って貰えますように。

フェインリーヴ

なんだそれは? お前にも見習いとしての給料はやっているだろう。好きな物を買えばいいじゃないか。

撫子

見ているだけでいいんです。あ、お師匠様にも似合いそうですよ、こっちのなんかどうです?
着けて歩いたら、ナンパされちゃうもしれませんよ!

フェインリーヴ

野郎にナンパされても嬉しくないわ!!

 本当にお師匠様は扱いやすい御人だ。
 撫子は髪飾りを元あった場所に戻しながら、素直なツッコミを入れてくるフェインリーヴの手を引き、その場を離れた。
 今はまだ……、自分には必要のない物。
 いつか、自分の務めを果たし、それが許される日が来た時に、もしかしたら……、一人の娘に戻れるのかもしれない。
 しわくちゃのお婆さんになった時かなぁ……、と考えながら、撫子は少しだけ、泣きそうに表情を歪めた。その顔を、後ろで怒鳴っているフェインリーヴには見えないように……。

薬学術師のフェインリーヴ様と、そのお弟子様ですね? お待ちしておりました。どうぞ、中へ。

 警備隊の詰め所に着くと、出入り口を守っていた隊員がフェインリーヴの身分証明書を確認し、中に通してくれた。流石はこの町の治安を守る警備隊の詰め所だ。何も騒動が起こっていなくとも、所内には独特の緊迫感が漂っているように感じられる。
 前を歩くフェインリーヴは何も気にしていないようだが、撫子は見知らぬ場所にキョロキョロと視線を走らせてしまう。どこからか、鍛練に励む野太い声も聞こえてくる。

フェインリーヴ

はぁ……。何故騎士団や警備隊といった場所は、こうも汗臭い空気に満ちているんだろうなぁ。

撫子

汗を掻かないと、身体を鍛えられないじゃないですか。お師匠様とは無縁の場所なんでしょうけど、男性というのは本来自分を鍛えてなんぼですよ?

フェインリーヴ

誰が決めた! そんな横暴な事!!

 廊下の真ん中で立ち止まったフェインリーヴが、ぐるっと怖い顔を撫子へと向けて異議ありと訴えてくる。

撫子

女性だったら、ひょろっこい人よりも、筋肉のある逞しい人の方が好ましく感じられると思うんですけど! ちなみにお師匠様はひょろっこ代表のぐーたら昼行燈です!!

フェインリーヴ

全世界のひょろっこ男子に謝れ!! 大体な、騎士団や剣士系には確かに肉付きの多いのが見受けられるが、魔術師系を見てみろ!! 全員細身だろうが!! マッチョばかりが良いと思うなよ!!

撫子

魔術師団の方々は、お師匠様よりはちゃんと運動していらっしゃると思うんですけど? この前見学に行ったら、皆さん声を揃えて言ってましたよ。お師匠様みたいに運動し過ぎないタイプはひょろっこと呼ばれても仕方がない、って。

 それに、魔術師団の者達はきちんと適度な運動メニューが鍛練の中に組み込まれている。
 日々、薬草の事にばかり熱中しているフェインリーヴとは格が違うのだ。
 そう正論を盾に反抗してくる弟子に対し、師匠である男の言い分は音になる前に消え去った。

フェインリーヴ

うぐぐっ……。お、俺だって、昔は色々とやっていたんだぞ。最近は……、その、研究が忙しくて、怠けていたかもしれないが。

撫子

じゃあ、頑張って毎日の運動メニューこなしましょうね~。レオトさんとポチも手伝ってくれますし。

フェインリーヴ

普通の運動メニューにしろ!! 普通の!!

 騒いでいる訪問者の姿に集まる警備隊の面々の視線。それにも気づかず、撫子とフェインリーヴは言い合いを続け、……勇気ある隊員の一人が声をかけたところでようやく我に返ったのだった。

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