フェインリーヴ

はぁ……。

 撫子がフェルディアの町の件を運んできたその日の夜……。自室にて眠りへと落ちた彼女の姿を確認し、フェインリーヴは自分の研究部屋へと戻ってきた。
 世話焼きで騒がしい弟子のいない、自分の空間。
 それが在るべき姿だというのに、物足りないと感じてしまうのは何故なのか……。
 フェインリーヴは寝酒用のワインとグラスを手に取り、ソファーへと腰を下ろした。

フェインリーヴ

あれを拾ってから……、半年、か。

 ただの薬草採取の為の外出だったというのに、思わぬ拾い物をしたものだ。
 撫子を見つけた時は、その酷すぎる怪我の具合に焦ったものだが、どうにか命を取り留めた。
 そして、目が覚めたと同時に彼女は見知らぬ場所に混乱状態となり、フェインリーヴが戸惑う程に錯乱した様子を見せ始めたのだ。
 その際に落ち着かせようと頑張ってはみたが……。 女の力も侮れないものだと、彼の顔や首筋、手には手痛い傷の痕が残った。
 その上、こちらの世界の言語さえ理解出来なかった彼女に術を使って『言語共有』の力を流し込み、それから時間をかけて宥め続け……。
 ようやく、見知らぬ世界に放り出されてしまった撫子を大人しくさせる事が出来たのだ。
 そして……、保護した彼女の傷が癒える過程で、フェインリーヴはその身に抱える事情を知る事になった。

フェインリーヴ

癒義の巫女……、か。一人の娘に多くの民の命運を懸けるなど、愚かとしか言い様がない。アイツの世界は、環境は、俺には……、理解出来ないものだ。

 一人、ワインをグラスに注ぎながらフェインリーヴはその胸の内を零す。
 お伽噺の世界なら、遥か昔の世界でなら……、生贄と称して巫女的な立場の者もいるにはいたと思うが、彼が生きる今の時代には、そんな古い風習はない。
 降りかかった火の粉は、自分達の力で打ち払う。
 その為の騎士団、その為の魔術師団だ。
 だから、フェインリーヴには理解する事も、撫子の事情も責務も、認める事は出来ないのだ。
 まだ十七の歳月しか生きていない娘……。
 あれは頑張り屋で努力を忘れない好意的な対象だが、自身が負っている責務に対して頑固でもある。

フェインリーヴ

誰があんな重たいものを背負わせた……? 誰が、あの娘にそれを強要した?

 撫子と過ごすようになってから半年……。
 最初は辛そうな、焦燥と不安の表情ばかりがフェインリーヴの目には映っていた。
 傷を負っているというのに、部屋を抜け出そうとしたり、夜中に悪夢を抱えて魘されている姿も、頻繁に。その身に余る重責、フェインリーヴは撫子の世話をしていく内に、それを内心で憎むようになっていた。

フェインリーヴ

忘れてしまえばいいじゃないか……。ここでなら、俺の傍でなら、ただの師匠と弟子で……、危ない目に遭う必要もない。

 フェインリーヴからすれば、撫子は拾い上げた捨て犬のような存在だった。
 頼る者もなく、傷を負った……、可哀想な獣。
 世話をする内に芽生えたのは、親のような、兄のような、親愛の情。
 ようやく笑えるようになったのだ。自分の事をお師匠様と呼び、元気な顔で説教をしながら世話を焼いてくる娘……。撫子を、彼女が抱く宿命の中に戻したくはない。それがフェインリーヴの本音だった。
 どうすれば、どうすれば……、撫子の心の中から、癒義の巫女という忌々しい枷を外す事が出来るのだろうか。
 辛く歪んだ表情を纏いながらフェインリーヴが悩んでいると、部屋の扉が来訪者の存在を知らせてきた。

騎士団長・レオト

よっ! 邪魔するぞ~。

フェインリーヴ

まだ許可してないだろうが! 勝手に鍵をピッキングするな!!

グルルル……。ワンッ!!

フェインリーヴ

貴様もか!!

 フェインリーヴの許可も待たず、酒瓶とツマミの類を持って入ってきた騎士団長レオトが、まるで自分の部屋にでも戻ってきたかのような足取りでソファーまでやってくると、どかりとそこに腰を下ろした。
 普通の狼よりも遥かに大きな狼の方は、何故かフェインリーヴの隣へと、もふん。
 ふさふさの尻尾が上機嫌に揺れている事から、噛まれる心配は……、多分、ない、と思われる。

騎士団長・レオト

撫子君はどうだ? ちゃんと夢の中に入るのも見届けたんだろうな?

フェインリーヴ

あぁ……。一応は、な。結界を張ってきたから問題はない。何か動きがあれば、すぐに俺が感知できる。

騎士団長・レオト

そうか……。で? 今回もお前が同行してやるのか?

フェインリーヴ

他に誰がいる。撫子の保護者は俺だ。明日の朝出て、さっさと確認を済ませてくる。

 出来れば、前回のように何事もなく終わってほしい。撫子が追い求める存在が、本当はどこか別の世界に飛んでいて……、もう、追って行けない場所にいる事を、フェインリーヴは切に願う。
 そうすれば……、撫子はずっと自分の傍にいて、ドタバタとした日常に幸せを感じられる、師匠と弟子の関係でいられるのだから。
 口には出さないフェインリーヴの本心を見透かしているかのように、向かいの席でレオトが微かに笑みを零す。

騎士団長・レオト

何も見つからないように、何も掴めないように……、お前の友人としては願っておくべきだろうな。けど、それだと撫子君の目的は果たせない。俺としては女の子の悲しい顔は見たくないんだが……、さて、どうしたものか。

フェインリーヴ

俺も……、アイツの悲しい顔は、見たく、ない。

騎士団長・レオト

説得出来るのが一番の方法だが、それも難しいんだろ?

フェインリーヴ

言うと、滅茶苦茶睨まれる……。涙目で。

 女の涙は武器だとよく言うが、撫子のそれはフェインリーヴにとって威力絶大というか、それ以上と言うべきか。一度だけ癒義の巫女の立場を捨てればどうだと提案した事がある。
 その時の撫子が見せた表情は……。
 ようやく受け入れて貰え始めたフェインリーヴの存在を、一瞬で突き放すかのような気配があった。
 何を言っても聞かない、止められない。
 それならば、フェインリーヴに出来る事は唯ひとつ。

フェインリーヴ

もし、妖とやらと対峙する事があれば、俺が先に討つ。

 撫子が聞けば、お師匠様はただの薬師でしょう? と笑われるか呆れられるかのどちらかだろう。
 だが、レオトはそのどちらでもなかった。
 ツマミのチーズを口に銜えたまま、ニヤリと笑う。
 嘲笑ではない、フェインリーヴに対する絶対的な自信の気配。

騎士団長・レオト

お師匠様が手柄を横取りしたー!! ……って、泣かれて悔しがられるかもな?

フェインリーヴ

ふっ……。そういう涙なら、見ても心は痛まないだろうな。ついでに、師匠としての威厳も天を衝く勢いで跳ね上がる。

ワフッ!! 

フェインリーヴ

ぐふっ!! こ、こら、顔を舐めるな!! 前足を人の膝の上に乗せるな!! この犬っころが!!

 フェインリーヴがいる限り、撫子は死なない、怪我も負わせない。
 その決意が伝わっているのだろう。
 レオトの飼い狼である獣は、フェインリーヴの身体にのりかかり、尻尾を振りながら彼を誉めてやっているつもりのようだ。
 

騎士団長・レオト

ポチ~、その辺にしとかないと、フェインがぶっ倒れるぞ~?

ポチ

(ゴロゴロゴロ……)

フェインリーヴ

この巨体にポチとつけたお前の神経はどうなってるんだ!! ってこら!! どこを噛んでいる!? 痛っ、あ痛たたたたたた!!

 訪ねてきた友人のせいで、その夜はとても賑やかな寝酒の席となってしまったのは、言うまでもない。

6・出発前日の夜・お師匠様視点

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