撫子

お師匠様~!! その調子ですよ~!!

 レディアヴェール王国で暮らすフェインリーヴに助けられ、早半年……。
 表向きには、遥か東方の国から訪れた民として振る舞い、彼の弟子として暮らす事になった撫子。
 彼女は、フェインリーヴの許で薬学の勉強をしながら元の世界に戻る方法と、――この世界に一緒に飛ばされてきただろう解き放たれた妖の行方を捜し続けている。
 癒義の巫女としての勘、のようなものなのだが、あれが復活する前も、その予兆を感じ取る事が出来た。
 だから、撫子は傷が癒えた後、フェインリーヴの勧めを受けて、見習いという立場に収まった。
 その生活は……、焦りと不安ばかりで情緒不安定になっていた撫子の心を癒し、今ではこの日常を楽しむ余裕にも恵まれるようになっている。

フェインリーヴ

な、撫子ぉおおおおおおおおお!! こ、こんな鬼畜メニューにするとは聞いてないぞおおおおおおおおお!! 

ワォオオオオオオオオン!!

 王宮の裏庭に響く絶叫と獣の彷徨。
 騎士団長レオトの飼い犬……、にしてはあまりに大きな狼が、嬉々としてフェインリーヴを追い回しているこの光景は……。

撫子

ふふ、お師匠様の運動にもなるし、視覚的にも楽しいのよね。

フェインリーヴ

ぎゃあああああああ!! し、尻に噛み付いてくるなあああああああ!!

 運動不足のお師匠様の身体を鍛える為ではあるのだが、周囲の者達が見れば、ただの拷問メニューでしかない。楽しそうに眺めている撫子の隣では、レオトが両腕を胸の前で組み、満足そうな笑みを浮かべている。大丈夫だ、あの飼い狼はちゃんと躾けてあるから人を殺しはしない。と、そう自信満々に。
 確かに命の危険はないのだろうが、逃げ惑うように走り続けるフェインリーヴの尻は、すでに丸見え状態である。残念で楽しい光景だ。

騎士団長・レオト

撫子君が来てくれてから、フェインも健康的な生活が少しずつだけど出来るようになったもんだ。本当に感謝感謝だよ。

撫子

いえいえ。助けてくれた恩人へのせめてもの恩返しです。というか、あのぐーたらお師匠様をそのままにしておくのは、正直言って私の精神的ダメージが半端ないので、必要に迫られて、なんですけどね。

騎士団長・レオト

薬学の研究研究ばかりの毎日で、食事こそ忘れないが、あとは駄目駄目だからな~。いくら太らない体質だとはいっても、いずれ丸豚状態の未来は目に見えているとしか言えない。

撫子

ですよね~。あ、お師匠様~!! あと三周ですよ~!! 頑張ってくださ~い!!

 目の前の大惨事は完全スルーでほのぼのとした会話に花を咲かせている撫子とレオトに、被害者となっているフェインリーヴの怒声が響く。
 薬草採取で拾った迷い子が、まさか自分を強制改造しようとするスパルタ弟子になるとは……、あの時の彼は想像もしていなかった事だろう。
 フェインリーヴの前で目を覚ました時の撫子は、酷い怪我の状態で、錯乱状態でもあった。
 早く元の場所に、姉や皆のいる戦場に戻らねば、と。そんな彼女の心を時間をかけて落ち着かせ、救ったのが、フェインリーヴだ。
 薬学の研究を日課としているあの男が、それさえも全て押しのけて、撫子の為にその時間を使い続けた。
 そして、彼女に道を示してくれた。
 感謝している……。フェインリーヴがいなければ、自分はあの森の中で冷たくなっていたに違いないのだから。

フェインリーヴ

あんぎゃああああああああ!! こらっ、いい加減にしろ!! この犬っころがああああああああああああ!!

ガウゥゥウウウウウッ!!

フェインリーヴ

ルドスの骨付き肉を買ってやる!! だからもう俺を追いかけるなぁあああああ!!

ガルルルルルルル!! バウッ!! バウッ!!

 傷が癒え、この世界が自分のいた世界とは違うという結論に至ったのは、あの森の中に残留していた不思議な力を、レディアヴェールの魔術師団長が読み解き、そう結論付けたからだ。
 世界を、時空や空間を渡る術……。
 あの時、妖と対峙していた撫子は、そんな術を行使した覚えもなければ、その知識さえも知らない。
 何らかの要因により、術式が暴走し、別の効果、つまり、世界を移動する力を発揮したのかもしれない。
 そう考えるしかなかった。
 そして、今のところ……、彼女が元の世界に戻る術(すべ)は見つかっていない。
 ただ、この世界のどこかに、あの妖が身を潜めているという確信だけ。
 

撫子

とりあえず、あの妖がこちらにいるのなら、姉様や皆に害はないはず……。

フェインリーヴ

はぁ、はぁ……。や、やっと、終わった。

騎士団長・レオト

フェイン、お疲れさん! ほら、飲み物を用意してやったぞ。

フェインリーヴ

あぁ……、すまんな。

フェインリーヴ

なんだこれは!!

撫子

ん? あれ、お師匠様どうしたんですか? 口からどばっと……。

 飲料ボトルを手渡され、それを一気に飲み干したフェインリーヴだったが、残念な男がまた残念な事をやらかしたようだ。
 撫子の目には、緑色の液体を大量に噴き出す師匠の姿が見えた。
 栄養たっぷりのドリンクを用意したのに、それはあまりにも酷い反応だろう。
 中身を知っていた撫子が、レオトと一緒に咎めるような視線を注ぐ。

騎士団長・レオト

フェイン……、お前なぁ。薬草の類はどんなに苦くても味見するだろう? なのになんで人が用意した栄養満点野菜ドリンクは吐き出すんだ?失礼だよな? 失礼すぎるよな?

撫子

そうですよ!! レオトさんが愛情込めて作ってくれた……。

フェインリーヴ

野郎の愛情などいらんわ!!!!!!!!!

 わざとらしく悲しんだ様子を見せるレオトの前で、フェインリーヴはボトルを地面に叩き付け吠える。
 あぁ、栄養満点のドリンクが……。
 飲料系とはいえ、野菜から出来ているのだ。ついでに水も使われている。
 撫子が両手を腰に当て、食べ物を無駄にするんじゃありません!! と叱りつけた。

騎士団長・レオト

野郎の、って……。酷い、友人の為を思って朝三時起きで念入りに野菜を選別して作ったのにっ!! このドS!! 外道!!

フェインリーヴ

それは貴様の方だろうが!!!!! というか、朝の三時起きってなんだ!? 早すぎるにもほどがあるだろう!! この脳筋が!!!!

撫子

素敵な筋肉に失礼ですよ!! お師匠様のひょろっこ~!!

フェインリーヴ

撫子!! それはレオトの擁護じゃない!! 筋肉の擁護だ!! この馬鹿者め!! あと、ひょろっこ言うな!! ほどほどの肉はある!!

 確かに。レオトではなく、筋肉の擁護をしてしまったかもしれない。なにせ騎士団長レオトの身体は騎士と呼ぶに相応しい素晴らしさを誇っているのだ。
 特に、上着から覗く腹筋がまた男らしさを強調している為、思わずドキドキしてしまう撫子である。
 別にマッチョが好きなわけではないのだが、自分のいた世界の男達とは違う逞しさが、撫子の中の何かを目覚めさせてしまったらしい。
 それに引き換え、フェインリーヴは脱いでも凄くない。ただの細身のイケメンだ。……物足りない。
 と口にした瞬間、物凄く残念な目で見られてしまい、手に預かっていた上着もフェインリーヴに奪い去られていく。

フェインリーヴ

部屋に戻る。撫子、基本的な薬草や花の名と効能の復習をしておけ。ではな。

撫子

あ、はいはい。

クゥゥゥウウン……。

騎士団長・レオト

フェイン、こいつがまだ遊んでほしそうだぞ~?

フェインリーヴ

また今度な!! まったく……、何が遊んでほしいだ、獲物を追いかけ回したいの間違いだろうっ。

 プンプンと怒って去っていく師匠の背中を見送りながら、ぽつんと残されてしまった撫子はレオトと顔を見合わせ、くすりと微笑み合った。
 不満や文句を言うものの、ちゃんと付き合ってくれるあたり、フェインリーヴは人が好い。
 実際のところ、彼は薬師の立場であっても、魔術の類を扱う事も出来るし、逃げようと思えば朝飯前なのだ。

騎士団長・レオト

ところで撫子君……。

撫子

はい?

騎士団長・レオト

実はさ、王都から少し離れた町で……。

 レオトが声を低めて撫子の耳に囁いた言葉。
 それが何を意味するのか、寄ってきた飼い狼の頭を撫でながら彼女はコクリと静かに頷いた。
 自分の事情を把握しているレオトからその町の名前と道を教えて貰い、その足はすぐに師匠の許へと向く。確かめなければならない。
 前回と同じように、違うかもしれないが……。

撫子

行かなくちゃ……。

 行って、この目で、見極めるのが、自分の務め。

4・お師匠様、頑張ってください!!

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