自信に満ちた笑顔からは想像できなかった、先輩の言葉に俺は面食らう。
驚かせてしまって、ごめんなさいね
自信に満ちた笑顔からは想像できなかった、先輩の言葉に俺は面食らう。
いや、その……こっちも、言い過ぎたかもしれません
ううん。こちらも急(いそ)ぎすぎたわ
申し訳なさそうに片目をつぶり、手をたてて謝る先輩。
ころころと変わる先輩の表情や仕草を、ただ見つめてしまう。
ねえ。仲直りに、お名前を教えてもらっていいかしら?
先輩の言葉に、俺ははっとして気をとりなおす。
あ、はい。俺の名前は……
できればこの紙に書いてもらえると
さっとした手つきで、先輩は机の上に紙を出す。
……
机に近づいて、紙をよく見る。
『氏名欄』
『氏名欄』
紙は両端が折られていて、残った中央部には『氏名欄』と付けられた四角枠が一つある。
さささ、さっと一筆お願いするわ!
……
すすす、と俺は折られた両端部を持ち上げる。
『入部届』と『逆らいません、卒業まで』という文字がそこには踊っている。
『入部届』
『氏名欄』
『逆らいません、卒業まで』
わかってましたけどね、そういう古典的なパターン!
秘め事をすぐ開けるなんて、我慢が足りないわね
秘めちゃダメですよね、こういうのって!
怒りっぽい子ね。
やっぱり、眼鏡で世界を見ていないせいかしら
眼鏡をかけて怒りが収まるって、理屈がわかりませんよ!
先輩とやりとりをしていると、横から声が突っ込んでくる。
あんまり怒ってると毛が抜けて、帽子を被らざるをえないはめになるぜぇ?
まさに今の舞上君のことね~
俺ふさふさっすよ!? これはファッションっすからね!?
眉間のシワは眼鏡との相性にも影響するな。
精神的にも良くはない、改善を勧めておこう
そして、たいして意味のない話が大半だった。
……あの、ちゃんと説明してもらえます、か
むしろ、やはり帰ろうか。
意味のわからない会話劇ほど、不快なものはない。
そう想って、ため息混じりに言った言葉。
それに反応したのは、やっぱり先輩だった。
わかったわ、じゃあ説明するわね!
すちゃ、と眼鏡を直す先輩の表情は、前しか見ていない強気なもの。もしかすると、こちらのことなんか見ていないのかも、と想えるほどの。
でも、元気があってはきっとした仕草に、小気味よい気分にさせられてしまうのも事実だった。
(――はっ。なにを場のスペースに呑まれているんだ、俺は!)
だが、すでに遅かった。
先輩は部屋の三人の人達に混じって、こちらへとイタズラ気な視線を向けてきていた。
眼鏡の脇を右手で添えながら、先輩は俺に向かって言った。
わたし、眼橋 愛(がんきょう あい)っていうの。
ここの代表をしているわ。
あなたのお名前は?
――よせばいいのに、と想いながら、俺は口を開いていた。
天宮 純(あまみや じゅん)、です
天宮君、か……よろしくね
は、はい
にっこりと微笑む先輩の笑顔に、俺は少しドキッとしてしまった。
じゃあ、メンバーを紹介するわね
あの、なんのサークル……
最初に、あっちに座っているおっとりした子が丸渕 鏡子(まるぶち きょうこ)。
副代表を務めているわ
――俺の話は聞いてくれないようだ。
こんにちは~、丸渕です~
あ、ああ。どうもはじめまして。天宮といいます
きちんとお辞儀をして、挨拶。
ゆったりした口調の女性は、感心するような表情になる。
あら、礼儀正しい子だわ~。愛ちゃんが連れてきた子とは想えないわね~
失礼ね、鏡子ちゃん。
わたしはいつだって、眼鏡を優先するように行動しているだけなのに!
すべからくダメというか、理解できないですよねその考え
突っ込みも鋭いわね~、わたし好きよ~
うふふ、とゆったり笑う丸渕さん。
彼女も同じような眼鏡をかけているけれど、その印象は先輩と少し違うな。
鏡 映介(かがみ えいすけ)
え?
沈むように響いてきた声に、視線を向ける。
そこには、同じように眼鏡をかけた美形の男が座っている。
俺の名前だ。よろしく
よ、よろしくお願いします……
手短な言葉は、けれどとても低く落ち着いた声。
その美しい表情と併せて言われると、妙に印象に残る。
男の俺から見ても、すごく美形なのだ。奇妙な気分を起こさせるほどに。
さて、自己紹介も終わったところで……
いや、ちょ、先輩ひどくないっすか!?
あ、いたの舞上(まいうえ)
さっきからいましたよ!? ちゃんと俺も紹介したいっす
周囲と比べ、明らかに浮いている男の人に、俺は想わず聞いてしまった。
あの、顧問の先生ですか?
外見年齢から考えて、そう言ってしまったのだけど。
……
……あの?
……(ぶわっ)
え
泣いた
あらあら、脆いわね~
だから髭より眼鏡を濃くしろと言ったろう
ストップ・ザ・イジメ!
顔に負けない低い声で、彼は涙ながらに訴えた。
その低さは、暑苦しさを感じさせる男らしい声だった。
だが、その暑苦しい訴えを聞いてくれそうな人は、この場にいない。
俺ですら、ちょっとわかりかけてきていた。
――たぶん、階級があれば、口にするとかわいそうな位置なのかも。
あの、なにか俺まずいこと言いましたか?
そうは言っても、話題をふってしまったのは俺だ。
俺の言葉を先輩がくみ取ってくれる。
こいつは舞上 道明(まいうえ みちあき)って言うの。
こうやって虐められるのが大好きで、おまけに生き甲斐な後輩なのよ
嘘に嘘を見抜ける眼鏡を市販して欲しい!
嘘なの~?
いやまぁ、イジられてこそ本望って、ありですよね?
どっちなんだ。
眼鏡かけてるから、なぁ……
……ぁ♪
先輩の冷たい視線と言葉に、変な声を上げる男。
――いや、先輩の言葉の意味も、あまり問いかけたくはないけれど。
ちなみに先生じゃなくて、二年生よ~
えぇぇ、嘘でしょ!?
おっとりした先輩の言葉に、俺は驚く。
どう見ても三十代越えているよ!?
――あ、わかりました。社会に出てから大学に入学して……
こいつこう見えて、酒もタバコもダメな年齢だよ?
イメージって時に残酷ね~
二人の女性の言葉に、ふっと笑みを浮かべるターバン男。
……いいっすわ、この髭とターバンで若作りしているのに、そう見られるんじゃどうしようもないっすよ
いやどう考えてもその髭とターバンのせいですよ
だから言ったでしょう、舞上。
もっと派手で、自分の容姿を食う眼鏡をかけなさいって
いや、それはどうだろう
国に帰ろうかな
日本人じゃない!?
さて、では本題に戻りましょうか
ジャパン、日本、マイホーム!?
完全に無視された舞上先輩の表情は、逆に突っ込みが欲しいように見えたので。
本題って、このサークルのことですよね?
俺も無視することにした。
ハラキリ!? センパイ切り!?
とりあえず、答えだけは聞いてみようと想ったから。
――もう、なんとなく、わかってきたけれど。
我が会の目的……それは、眼鏡の探求!
眼橋先輩は、びしっと空へと人差し指を伸ばし、天に向かって吠える。
ここは、眼鏡探求会。
眼鏡の、眼鏡による、眼鏡のための眼鏡が集いし場所!
ぐっと拳を俺にかざしながら、先輩は力強く叫んだ。
そう。眼鏡に少しでも近づくための、楽園なのよ!
……!
(それ以上、眼から近づいたら、眼鏡ってぶつかるだけだよね!?)
俺はそう想ったが、言っても無駄そうなので、考えるのを止めた。
でも、やっぱりというべきか、先輩の瞳は輝いていて。
――ぶつかってもいいのかな? と、考えてしまったりもしたのだった。