ミセス・レベッカ・アレンはニューヨークにある、とある通りの一角に住んでいる。手先は器用で包容力のある、今時よくあるお母さんだ。

レベッカの好きなことは、節約に成功した月の家計簿を丁寧にまとめることである。

レベッカの嫌いなことは、節約に失敗した月の家計簿を丁寧にまとめることである。



さて、レベッカの娘、ジェニファー・アレンの事だ。彼女は、アレン一家の中で最も喧しく、最も尖っている。

歳こそ未だ十四歳だが、弟であるクリストファー・アレンの面倒をよく見ていて、歳の割にしっかりしているために、ご近所から『ジェニー』という愛称で呼ばれている。

そして、実は面倒見が良いフリをしているだけなのと、単に見栄っ張りなだけで内側はスカスカな事から、レベッカや他の家族からは『ジェニー』という愛称で呼ばれている。

そんなレベッカとジェニファーにも、週に一回は必ず言い合いをする日がある。



それは、月曜日の朝だ。

レベッカ

ジェニー、今日も学校に行かないの? 月曜日はこれでもう、三週連続で休みじゃない

レベッカが腰に手を当てて叱り付けると、ジェニファーは憂鬱そうに寝返りを打って、ベッドに寝転がったままでレベッカの方を見た。

如何にも、調子が悪そうな雰囲気だった。

ジェニファー

頭が痛いの。今日は学校には行けないわ

だが、それは演技である事を、レベッカはよく知っていた。



ジェニファーは見掛けに寄らず、名優なのだ。



ただし、自分に都合の良い演技限定で。

レベッカ

先週もそう言って休んだでしょ? 薬を飲まないなら学校に行きなさい

ジェニファー

アスピリンはライ症候群になるからイヤ

レベッカ

うちのは入って無いわよ

ジェニファー

レベッカがそう言うと、一瞬の間が訪れた。

ジェニファー

実は、喉が痛いの

ジェニファーは僅かな驚きと共に、レベッカの言葉を聞かなかった事にした。

大袈裟に、ジェニファーは咳をしてみせた。しかし、レベッカは石の銅像のように、その場を動く事はなかった。

ジェニファーの演技がレベッカにはまるで通じないのだと分かると、ジェニファーは大袈裟に溜息をついた。

ジェニファー

お母さんは私の言う事を信じてくれないの?

もはや信じられる要素など欠片も無かったが、ジェニファーはその事に気付いていなかった。

知らぬはいつも、本人ばかりである。

レベッカ

じゃあ、薬を飲みなさい

ジェニファー

実はお腹が痛いの。私、本当はひどい病気なのかもしれないわ

腹を押さえて、ジェニファーはそう言った。白々しいにも程があったが、ジェニファーはその事に気付いていなかった。

知らぬはいつも、本人ばかりである。

レベッカ

どうせ次は腕が痛むんでしょう

ジェニファー

人の病気を先読みしないでよ

レベッカ

だってあなた、いつもそうじゃない。クリスはとうに学校に行ったわよ

ジェニファー

はいはい、クリスはすごいですねー

ジェニファーは拗ねた態度でベッドに潜り込んだ。レベッカは呆れ果てて、ジェニファーの毛布を布団から剥がした。

ジェニファー

あァッ!! 足がっ……!! 足がぁー!!

別に布団を剥がしても、足は痛くならないだろう。レベッカは密かにそう思ったが、無視する事に決めた。

レベッカ

ジェニー、どうして学校に行きたくないの? 月曜日に何か嫌なことがあるの?

ジェニファー

あるわ。学校がある

レベッカ

クリスはちゃんと学校に言ってるわよ

ジェニファー

仕方ないわ。あいつは例えて言うなら映画館にあるポップコーンみたいなものだから

レベッカ

そう。それは仕方ないわね

もしもこの会話をしていたのがジェニファーとレベッカでなかったのなら、それは一体どういう意味だろうと疑問に思う事だろう。



だが、二人の間にその疑問は起こらなかった。



それはまるで、宇宙の神秘だったのだ。

レベッカ

いい? ジェニファー。どんなに辛くても、学校にだけはちゃんと行かなければならないわ

ジェニファー

どうして?

レベッカ

あなたは誰のために生きているの?

ジェニファー

私のために決まってるじゃない

もはや、ジェニファーはすこぶる元気だった。

レベッカ

だったら、きちんと学校に行かなくちゃ。月曜日だからって休んでばかりだと、立派な大人にはなれないわよ

その言葉を聞いて、渋々といった様子で、ジェニファーはベッドから起き上がった。残念そうに苦笑すると、レベッカと共に微笑み合う。

ジェニファー

お母さん、私学校に行くわ

レベッカ

ええ。気を付けて行ってらっしゃい。朝御飯を食べたらね

レベッカが部屋から出ると、ジェニファーはそっと、部屋のドアノブに手を掛けた。

ジェニファー

明日から

そして、扉を勢い良く閉めた。……いや、正確には閉めようとしたが、閉まらなかった。

レベッカの手が、ジェニファーの邪魔をしたのである。

レベッカ

今すぐ行きなさい!

ジェニファーは舌打ちをした。

その日の夜のことだ。



部屋でクリストファーが宿題をやっていると、ジェニファーが鬼のような形相で部屋に入ってきた。一体どうしたものかと、クリストファーはまた、面倒そうな顔をした。

ジェニファーがすこぶる元気だったからである。

ジェニファー

私、あなたに言わないといけない事があったわ

クリストファー

何? お姉ちゃん

ジェニファー

いい? クリス。どんなに辛くても、学校にだけはきちんと行かないといけないわ

クリストファーには、全く縁のない話だった。

クリストファー

僕、学校行ってるよ

ジェニファー

でも、あなたは映画館のポップコーンみたいなものだから、次からは私が休む時は学校を休んでよね

ジェニファーの物言いに、クリストファーは不思議そうに首を傾げた。

クリストファー

僕、学校に行きたいよ

ジェニファー

あのね、あなた、誰のために生きてるの?

クリストファー

ええ? ……誰の為に生きてるの?

ジェニファー

私のために決まってるじゃない。あのね、人は誰かのために生きるのよ。自分の事ばかり考えてはダメ

珍しく殊勝な事を言うジェニファーだった、前半が無ければの話だったが。

クリストファー

……まあ、どうしてもって言うなら、たまには休んでもいいけど

ジェニファー

よろしく

それだけ言って去ろうとするジェニファーに、クリストファーは聞いた。

クリストファー

じゃあ、僕が学校行きたい時は、お姉ちゃんも学校に行ってね

ジェニファー

はあ? 嫌だけど

クリストファー

……お姉ちゃんは、誰のために生きてるの?

ジェニファーは少しばかりの笑みを浮かべて、自信満々に言った。

ジェニファー

私のために決まってるじゃない

それきり、クリストファーはジェニファーと会話をするのを止めた。

これ以上、何を話しても無駄だと悟ったからだ。



つまるところミセス・レベッカ・アレンの食卓は、今日も平和だったということである。

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