音だけの無人の学校の屋上には、一人の制服を着た少女が立っていた。柵に上半身を乗り出し、眼下の街を熱心に見ている。
 ……ゴーストタウンと化した街をどう想っているんだろう?
 

瑞穂!

 私は少女の名を呼ぶ。瑞穂と呼ばれた少女は、柵から上半身を起こし、ゆっくり私を振り返る。

ミズ、おはよ~! おっそいよ! またあたしが先じゃん!

 明るい声と笑顔。普通の高校生同士の朝の挨拶。私と瑞穂が数えきれないくらい交わした、変わらない平凡な挨拶……。
 でも……これで最後にしなきゃいけない!
 平和な日常の光景に揺らぎそうになる気持ちを押し込め、私は声に力を込める。

おはよう、瑞穂。もう……終わりにしよっか?

終わりって? どうしたの? 学校はこれからだよ。ほら、一時間目のチャイムが鳴ってるよ。一緒に教室に行こ

 始業チャイムが空虚に鳴り響き、瑞穂は私の傍に寄って来る。いつもの笑顔のまま、私の手を引っ張る。
 でも、私は動かない。教室に行ってしまえば、自動的に同じ一日を繰り返し、また後悔を抱えて自分のベッドで起きる事になる。
瑞穂は不思議そうに首を傾げる。

おかしなミズ。ホントにどうしちゃったの? あ! もしかして、今日はさぼろうとか思ってる?

瑞穂、もう気づいてるんでしょ? このセカイも自分の事も、そして、私の事も

……知らない。ミズがなに言ってるのかわかんない

 瑞穂の笑顔が凍りつき、声も固くなる。

この街の車の音や人々の声、それは全部あなたが作った音よ。このセカイには誰もいないわ。いるのは、瑞穂だけ

……ウソつき

嘘だと思うなら、下界に降りてみて下さいな、お姫様。私が喜んでエスコートしましょう。もちろん、学校の外まで

 私はおどけて言うが、瑞穂の顔に笑顔はもうない。

……違う。あたし一人じゃない。ミズがいるじゃない。あたしとミズの二人でしょ?

 縋りつくような目と私を掴む手に、覚悟を決めた私も思わず俯く。
 灰色のコンクリートの地面には、無数のひびがある。
 ああ、時間が無い。

瑞穂だけよ……残念だけど。私は……ダメだったって、知ってるでしょ? 瑞穂だけで元のセカイに戻らないといけないわ

 瑞穂が息を呑むのが分かる。

なんで? 約束したよね? ずっと一緒にいようって。大人になっても、白髪のおばあちゃんになっても、ずっと友達で……ずっと一緒だって!

 コンクリートのひびが増えていく。もう雀や生徒たちの声も聞こえない。

ごめんね。約束守れなくて……

 瑞穂の瞳の色が変わる。

いやっ! ミズと別れて一人で行くなんて嫌!

一人じゃないよ。瑞穂には待ってる家族がいるでしょ?

 瑞穂は鼻で笑う。

家族? 仕事ばかりで娘の誕生日さえ忘れた父親が? 自分の若作りに夢中で、娘が髪を染めた事さえ気づかない母親が? あんなセカイいらない! ミズのいないセカイなんて帰らない! ずっとこのセカイでミズと一緒にいる! いいでしょ?

 コンクリートの地面のひびは、亀裂へと変わっていく。
このままだと本当に瑞穂が……。

瑞穂、ずっと隠してた事があるの

え?

……

 瑞穂が動揺しているのが分かる。今まで瑞穂も私も触れてこなかった話。でも、もう隠せない。

登校に行く途中でトラックに轢かれたの……私と瑞穂は。私は死んで、瑞穂はまだ死んでない。生きてる

やめて……

 瑞穂は両手で耳を塞ぐ。私は構わず話を続ける。

いや……いや……ミズ、やめて

 ポタポタと血が地面に落ちていく。私の頭から口から、血が零れだしていく。

最初は平気だったのよ。同じ日常を繰り返していることも、自分が死んでいる事も気づかなかった。でも、ある時、自分が死んでる事に気づいてしまった。
 それからは、ごらんの有り様よ。ゾンビみたいでしょ? ……車に轢かれた時の痛みが続いてるの

 私は血に塗れた手で、瑞穂の両肩を掴む。瑞穂は驚き仰け反る。

お願い……私を楽にして。このセカイが続く限り、私の痛みと苦しみは消えないの

でも、でも……

学校を出れば、瑞穂はきっと元のセカイに戻れるわ。そして、私も行かなきゃいけない新しいセカイに行けると思うの。お願い! 私を助けて!

でも!

 悩み苦しみ出した瑞穂に、もうひと押しをしようとした時、
ガッシャン!
 私の背後で何かが倒れる音がした。
 瑞穂から手を離し、慌てて振りむくと、屋上の扉が……倒れていた。本来あるべき階段が無くなっている。

そんな……! 下に降りる階段がっ!

 私は悲鳴に近い声をあげ、階段があったであろう場所を確認するが、コンクリートの地面があるだけで、穴さえ開いてない。

ど、どうしよう……

 呆然と立ち尽くす私の体を抱きしめる暖かい身体。
 瑞穂は私は抱きしめ、耳元で囁く。

これで、悩まなくてすむね。大丈夫。もうすぐこのセカイも終わるから。そうすれば……やっと……ミズと一緒にあたしも新しいセカイにいけるね

……瑞穂

 ああ……瑞穂はずっと……待っていたんだ。自分が死ぬ時を。
  

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