黒桂伊吹

どうして……こんなことになったんだ……?

石神井凪

……

潤野朔夜

……そんなの、俺が聞きてえよ……ッ!

重い沈黙のあと、朔夜が絞り出したような声で、
僕に応えるわけでもなく呟いた。
咄嗟に朔夜を見ると、
ひどく追い詰められたような表情で
額に手を押し当てていた。

黒桂伊吹

朔夜……大丈夫?

あまりにもひどい顔をしているものだから、
僕は立ち上がり朔夜の肩に手を置いた。
――人を心配できる余裕があったんだな、と
真っ白な頭で他人事のように思いながら。

黒桂伊吹

……え?

石神井凪

!!

石神井凪

馬鹿、離れろ!!

ぐんっ、と制服の襟首を引かれた。
その一瞬あと、僕の目の前の空間が、
ねじ切れた。

黒桂伊吹

ああ……、朔夜が『嗜好症』を使ったのか……

相変わらず真っ白な僕の頭は、
何故そうなったのか、は理解しないくせに
状況判断だけは早い。
そして、襟首を引かれた勢いそのままに、
僕は廃工場の床を盛大にスライディングした。
背中痛いとか、首が痛いとか、やっぱり背中痛いとかを
訴える前に、起き上がった僕の目に飛び込んできたのは、

潤野朔夜

……ッ!!

石神井凪

いい加減にしろ!!

凪が、朔夜をぶん殴る場面だった。

黒桂伊吹

な、凪やりすぎだよ……!!

石神井凪

どこがだ!!
朔夜の方がよっぽどやりすぎだろうが!!

黒桂伊吹

そ、それは確に『嗜好症』を使ったのはどうかと思うけど……
そんな思いっきり殴らなくても……!!

潤野朔夜

伊吹、やめろ

黒桂伊吹

朔夜……

潤野朔夜

俺が悪いんだ、自分の感情コントロールできなかったせいで、お前を危険な目に合わせた。……悪かった

目を伏せながら、朔夜は噛み締めるように言った。

――僕らは、特殊な教育を施されている。
それは僕らを国が飼いならすためだと、
亡くなる間際の祖母が教えてくれた。
特殊な教育、それは――。

石神井凪

悪かった、だ……?
お前たったそれだけで許されると思ってるのか?

石神井凪

お前は伊吹を殴ったうえ、『嗜好症』まで使ったんだぞ!?

潤野朔夜

っだから!!
悪いと思ってるよ、使う気はなかったんだ!! 本当だ!!

異常なまでの、『嗜好症』への畏怖。
お前たちの『嗜好症』はとても恐ろしいものだと、祖母は言った。
だが、学園の教育は度を越えていると。
休みの度、顔を見せに来るたび、
どれだけ押さえ込めるようになったかを誇らしげに話す僕を見て、何かが歪んでいると感じたと。
力とは、押さえ込めばいいわけでは、ないのだと――。

石神井凪

ふざけるな!!
もしそれで、伊吹が死んだら?
それでもお前は『そんな気はなかった』で通す気か!?

潤野朔夜

そ、それは……!!
でも、本当に……!!

石神井凪

使う気があった、なかったではない。
”実際に使ったこと”が問題なんだ!!

黒桂伊吹

もうやめてよ!!

石神井凪

い、伊吹……。
だが、こいつは……!!

黒桂伊吹

凪、落ち着いて。
昨夜に悪気がないことも十分わかった。
……もうそれでいいじゃないか

石神井凪

そ、そんな簡単な問題じゃ……!!

黒桂伊吹

簡単な問題だよ!!

どうして今更、祖母の言葉を思い出したのかは
わからない。
でも、『嗜好症』を使った、使わないで言い争う姿は
まるで、まるで――!!

黒桂伊吹

こんなの、『嗜好症』狩りと同じだ!!

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