石神井凪

……ッ!?

黒桂伊吹

凪、冷静になってよ。君らしくもない……。
たしかに『嗜好症』を使ったことは問題だ。
でも、今それを咎めてる場合じゃない。

石神井凪

それは、そうだが……

黒桂伊吹

同じ立場の僕らが、仲間内で争っちゃだめだ……。
それに、『嗜好症』を持つ凪なら、朔夜がどんな気持ちかわかるだろう?

石神井凪

……ああ

黒桂伊吹

朔夜だって使いたくてつかったんじゃない。
感情が高ぶっただけだ。……わかるでしょ?
これは、咎めるに値しない

バツが悪そうに目を伏せた凪は、
どうやら落ち着いてくれたみたいで、
ややあってから凪へと目線をやった。

石神井凪

……すまない、言いすぎた

潤野朔夜

いや、俺も……使ったことは事実だし……。
本当悪い、二人共……

気まずい沈黙が二人の間に広がる。
その時、

黒桂伊吹

!!

微かに聞こえた物音。

石神井凪

……おい、今……?

潤野朔夜

ああ、足音……か?

どうやら凪と朔夜にも聞こえていたようだ。
残念なことに僕の空耳ではなかったらしい。
なぜ残念かって、そりゃあ僕ら以外の人間は
ほぼ全員敵なこの状況。
ああもう、また走るのか……。

黒桂伊吹

ど、どうしよう……!

ぐるぐる思考が巡る。
心臓が早鐘を打ち始める。
解決策が一向に思い浮かばない。
それでもどんどん足音は近づいてくる。

潤野朔夜

……やるしか、ない、か?

石神井凪

……いや、早まることはない

潤野朔夜

で、でもよ……!

石神井凪

しっ!
落ち着け、足音を聞く限りじゃ人数はそう多くない。
大丈夫、隠れるだけでやり過ごせるはずだ。

凪が、いつもの冷静さを取り戻したらしい。
やりあうことはどうしても避けたい僕らは、
凪の提案通り廃工場内に隠れることにした。

石神井凪

いいか、もし見つかったら、逃げるんだ。
他の奴に知らせるようなことはしなくていい。
自分の安全を最優先に考えるんだ

黒桂伊吹

わ、わかった……!

石神井凪

おそらく奴らも、そんなに長居はしないだろう……。
30分……、いや、1時間後にまたここで落ち合おう

潤野朔夜

OK。
……二人共、気をつけろよ

黒桂伊吹

朔夜もね!

潤野朔夜

わかってるよ

石神井凪

よし、散開するぞ!

凪の言葉を合図に、僕らは一度目を合わせ頷き合う。
そして同時に駆け出した。
なるべく音を立てないように、
細心の注意を払いながら。

迷路のような通路を右へ左へ駆け抜ける。
2分ほど走り続け、そろそろ息が苦しくなってきた。
その時、広い通路へと出た。

黒桂伊吹

突き当たりか……!
あ、でも部屋が……?

大きな、頑丈そうな扉。
扉が開けば隠れるのにちょうどいいかもしれない。

息を整えながら、扉に近づく。
間近で見る扉は予想以上に大きく、重厚感があった。
おそらくこの工場がまだ使われていた時は、
全自動だったのだろうけど。
動かす電気が止まり、更に錆び付いた扉は
ただの鉄の壁と化していた。

黒桂伊吹

だいぶ錆びてる……
僕の力で開けられるかな……

黒桂伊吹

とりあえず、やるだけやってみるか……

扉に手をかけ、力いっぱい引く。
見た目通りの重たい扉。
しかし自動ドアは片側が開けばもう片方も開く仕組み。
少しずつ、本当に少しずつではあるが扉が開いていく。

黒桂伊吹

よし、このまま……!

1人ぎりぎり入れる程度の隙間が開いた。
その隙間に無理矢理体をねじ込む。

扉の中は、広めの機械室といった印象だった。
ぐるりと室内を見渡しても、特にどこかに通じる扉があるわけでもない。本当の制御室なのだろうな。

所狭しと大な機械が壁沿いに並べられ、その隙間を塞ぐようにして通っている大小様々なパイプ。
部屋に入ってさらに機械の隙間にでも潜れればよかったのだけど、それも無理そうだ。

黒桂伊吹

!?

扉を開いたまま、悠長に室内を観察していたら、
聞き覚えのある足音が、
近づいてきているのがわかった。

急いで扉に駆け寄り、閉めようと奮闘する。
一度動いたせいか、
開くときよりも力を込めなくて済んだ。

やばい、足音が近づいてきてる……!
ああもう、頼むから早く閉まれ!

黒桂伊吹

やば……!

錆びた扉を急いで閉めれば、相応の音は出る。
そんな簡単なことを失念するくらい、僕は焦っていた。
そして、

これだけ大きな音がなれば、
静かな工場中に響きわたる。
そしてそれは、近くを歩いていた人間にも、
もちろん聞こえる。

その証拠に、足音が早まった。

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