気がつくと、
いつか映画で見たような……。
どこかの研究室らしき場所にいた。


 なんだろう……。
この、水の中を漂っているような感覚。
すごく気持ちが良い。


 夢を見ている時って、
こんな感じだったよな。


 そんな事を漠然と考えていると、
ドアが開く音がした。
誰かが部屋に入って来たみたいだ。


 その人物を確認しようと意識を向けると、
白衣を着たやけに無表情な女がいた。

研究員

アンインストール、完了です


 白衣の女性が、俺から機械をはずす。


 俺はまだ覚醒しきらない頭で、
その女性に尋ねてみた。

あの……ここはどこですか?

研究員

まだ脳波が正常値ではありませんね。
少し時間が経てば、
すぐに思い出しますよ

脳波……?


 ここは病院なのだろうか。
そんな風には見えないが……。

研究員

あなたは今まで、
本来のストーリーとは違う世界に
迷い込んでいました。
今回ダウンロードして頂いた
アリス・テラスのソフトに、
エラーが発生したのです

はあ……

研究員

具体的に説明しますと、
ノンプレイヤーキャラクターが、
あなたが望む展開と
反する行動を取ってしまいます


 何を言っているかはわからなかったが、
ただ漠然と、
めぐりや恒久と
似たような話をする人だなあと思った。


 めぐり達の知り合いなのか……?

……めぐりや恒久、
それに他のみんなは、
今どこにいますか?

研究員

そのような人間は実在しません


 白衣の女性は無数の数字が書かれた紙を、
いらだった風に何枚も何枚も乱暴にめくっている。


……幾らかしてから女性は、
溜息混じりにこう言った。

研究員

先ほどのエラーが影響していますね。
仮想現実との、
記憶の混濁があるようです。
最適化しますので、目を閉じて……。
いえ、目を閉じる自分を想像して下さい


 それ以上は質問するのが面倒になり、
俺は言われるまま目を閉じた。




 そうすると、段々と記憶が蘇ってくる。


 そうか、確かにめぐりが言うように、
恒久が言っていた事は本当だったな。


 アリス・テラスは確かに実在する。


 ……だけどふたりの話には、
一つだけ嘘がまぎれていた。


 プログラムだったのは俺じゃなく、
あいつらの方だったんだ。


 何よりの証拠として、
あの世界が消えても俺はここにいる。


 それと同時に、
俺はある違和感に気づいた。


 ……瀬海平和って誰だ?


 それに、俺は高校生だったか?
子供か、老人か?


 そもそも、肉体を持っていたか……?







 不意に、恒久の言葉を思い出した。


『人間は肉体を失っても、
脳と意識だけで永遠に生き続けられると
学説を唱える科学者達が、人体実験をしているんだ』


 そうだった。
永遠の命と言う響きに感銘を受けた、俺は……。


 ここから先は、
思い出してはいけないような気がした。
俺が俺であった時の記憶だから。


 俺は『自分』という存在を
主観的に見る事しか出来なくて、
無責任な多くの人間が、
俺を客観視して哀れむ事を憎らしく思った。


 同情という言葉は便利なもので、
蓋を開けてみれば
自分よりも立場が弱い人間を見つけて、
優越感に浸る大義名分に過ぎないのだから。


 俺は、俺を哀れみたかったんだ。
不完全な“自分”という存在が、
“他者”に成る事を……繰り返し願ってきた。


 アリス・テラスのおかげで、
それは叶ったんだ。






 もうこれ以上思い出す気は無いし、
その必要も無かった。


 どうせ今の自分は本当の自分では無いし、
嫌な世界は消してしまえば良いのだから。



 なぜだか急に、
時計を持った白ウサギを
追いかけるアリスが可哀想になった。


 創られた物よりも、
現実で生きている証を得る事の方が、
価値があるのに……。



──現在では、
人体実験組織アリス・テラスの存在は、
内部告発によって周知されている。


 その研究内容は非人道的として、
国により直ちに実験中止命令が下された。


 それは、世界中を震撼させる大事件となった。


 会員と称した被験者達の肉体は、
未だに発見されていない。


 唯一肉体の保管場所を知る研究チームが、
一人残らず自害をしてしまった為だ。


 他の研究員に尋問したところ、
保管場所は愚か、
その研究目的さえ末端の研究員には
一切知らされていなかったと言う。


 今となっては、
肉体が何の研究に使用されていたのかは、
謎のままである。






 さて、残された脳の問題である。


 肉体を失った被験者の脳は、
アリス・テラスの開発による
高度な培養液と機器により、
半永久的に状態を維持できる事が判明した。


 しかし国民の中には、
段階的な機器の停止……。
つまり、消極的安楽死を主張する声が高まった。


 その声は運動となり、
全世界にまで広がって一つの組織団体にまで発展した。


 その反面、被験者の親族側からは、
状態の維持を望む声が少なくない。

被験者の親族 

脳を生かす技術があるのなら、
肉体……
もしくはそれに値する器に
戻す事も可能ではないか


と、いう見解だ。


 その意見を擁護する団体が作られるまでに、
そう時間はかからなかった。


 世論が反発し合う中、
時の総理が下した結論はこうだった。

総理大臣

維持を認めるという事は、
同時に研究を推進する事になり、
人道的見地に立てば人類の生態系に
危険を及ぼす可能性と、
同時に生命に対する倫理観が
損なわれる可能性は否めない


 安楽死を主張する側が、
勝利した瞬間かと思われた。


 だが、この言葉には続きがあった。

総理大臣

しかしながら、
ご親族を含めたご関係者の方の
感情を無視し、
多くの若者の尊い命を無駄にする事が、
果たして人道的見地と言えるのだろうか。
よって、現状における被験者の
生命の維持を認める


──事実上、研究の継続を認めたのと同じである。


 諸外国はこの件に関して、
一応バッシングのポーズだけ取った。


 だが、長い年月をかけた討議を経て、
最終的には全世界が合意する事となったのだ。


 理由は推して知るべし。
この研究を言い換えれば、
不老長寿の秘薬の種である。


 現状では、脳の老化という問題が残されているが、
これから先、科学はもっと進歩するだろう。
物語の中だけであった
『永遠の命』を手に入れる日も、
そう遠くはないのだ。

政治家

人類の夢だ!


と口を滑らせ、
世界中から批判を浴びた政治家もいたが、
それもすぐに風化してしまった。

 以上の経緯で、
被験者の彼らは今も尚、
幸せな夢を見続けている。


 彼らの事を、
ジャーナリズムをきどる人間達が
『悪魔に魂を売った者たち』と口々に皮肉ったが、
そんな事は当の彼らには関係無い。


 生きながらにして天上に棲む彼らには、
下界の声など届いていないのだから。


 彼らの状態を指して
『生きているとは言えない』と思うのも自由だ。
それは飽くまでも、
個人の価値観に過ぎないのだから。


 果たして彼らは創られた物よりも、
現実で生きている証を得る事の方が、
価値が有ると感じるのだろうか。

──Alice Terrace──
 (アリス・テラス)


『Alice(アリス)』は、不思議の国のアリス。
つまり異世界の象徴。


『Terrace(テラス)』は、高台という意味。


 異世界に憧れ、
現実世界を見下ろすアリス達が集う場所には、
救いはあるのだろうか。

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