どうして俺は、水の中にいるんだろう……。


 ぼんやりとしながら上を見ると、
水面から差し込む光がキラキラと輝いていて、
とても綺麗だった。


 ……そうか、これは夢なんだ。


 辛い事があると、
いつも決まってこの夢を見る。


 眼前に広がる美しい光景とは不釣合いに、
水の中で苦しんでいる夢だ。


 苦しくて、苦しくて、
必死にもがいている俺を、
明るく照らし続けている光が憎かった。


 水の中にいるから、苦しいわけじゃない。
探している物が見つからないから、苦しいんだ。


 水中に差し込む光は、
ただ綺麗なだけで何もしてはくれない。
それが憎くて、仕方が無かった。


 いつもは目覚めてから夢だったと気づくのに、
今日は夢の中にいるという意識がはっきりとある。


 夢の中だと気づいているなら……。
思い通りに出来るんじゃないのか?


 今すぐに、この水の中から抜け出すんだ。
陸にさえ上がれば、待っているんだ。


 あの、温かい手が……。





 水中をさ迷っている内に、
少女がたった一人で岸に立っているのが見えた。


 俺が岸まで泳いで行くと……。
少女が、こちらに向かって手を差し伸べた。


 その手を掴んで、俺は……。


……ごめん。
起こしちゃった?


 窓から差す日の光で、俺は目を覚ました。


 なんだここ、見覚えがある……。
誰かの、部屋?


 そうして部屋を見渡していると、
窓を開けようとしている少女と目が合った。


 だが窓から差す逆光のせいで、
少女の顔がよく見えない。


 目をよくこらしてみると、
そこで微笑んでいたのは……。

滝岡めぐり(たきおか)

ふふっ



…………めぐり!?


 その思った瞬間、俺はベッドから転げ落ちた。


 ついさっき……。
いや、どれくらい経ったのかはわからないが、

めぐりに刺された脇腹が、


急激に……

ズキン……ズキン……

ズキン……ズキン……



と、痛み始める。

 俺はその痛みをこらえ、
体を引きずって逃げようとした。

滝岡めぐり(たきおか)

待ってよ平和くん。
まだ傷がふさがってないんだし、
動かないほうが……

瀬海 平和(せかい ひらかず)

ふざけんなよ!?
俺を刺したのはお前のくせに!



 やばい。



 声が、手が、足が……震えている。



 逃げようとしても体は動かないのに、


 全身から冷たい汗がふき出して、


 体温ばかりが逃げて行く。



滝岡めぐり(たきおか)

平和くん、落ち着いて。
何か怖い夢を見たんだよね?
大丈夫、大丈夫だから……


 凍りついたように動けない俺の身体を、
めぐりがそっと抱きしめた。


 そうだ、この顔……。


 いつものめぐりに、戻った。
またいつもの、優しい顔をしているめぐりに。






 ……よく考えてみれば、
俺は後ろから刺されたんだ。


 めぐりが俺を刺しているところを、
はっきり見たわけじゃないだろう?


 もしかすると通り魔に刺された俺を
介抱しようとして、
めぐりがナイフを抜いただけなのかもしれない。

瀬海 平和(せかい ひらかず)

めぐり……。
俺、どれくらい寝てた?

滝岡めぐり(たきおか)

えっ……。
んーと、2~3日は眠ってたかな?

瀬海 平和(せかい ひらかず)

そっ、そんなに?


 素っ頓狂な声をあげる俺を見て、
めぐりが小さな声で笑った。

滝岡めぐり(たきおか)

だって、
平和くんはナイフで刺されたんだよ?
回復するには、
それくらいかかって当然だよ

瀬海 平和(せかい ひらかず)

あっ、ああ……


 俺は生返事をしながらも、
今の状況に少し違和感を覚えていた。


 そんなに大怪我なら、
どうして病院に運ばれていないんだ?


 確かに脇腹周辺には、包帯が巻かれている。
だけど、まるで素人が処置したような
拙(つたな)い巻き方で……。


 俺が脇腹を凝視していると、
めぐりが血のにじんだ包帯に手をかけた。

滝岡めぐり(たきおか)

待ってね。
今、包帯を取り替えるから……

瀬海 平和(せかい ひらかず)

ああ、ありがとう……


 めぐりが包帯をはずすと、
生々しい傷口が顔を出した。


 傷口は、きちんと糸で縫合されているが……。
この縫い目は、本当に手術の跡なのか?


 今までに手術なんか受けた事はないし、
他人の手術後の傷口を見た事は無いから、
はっきりとした事はわからない。


 だけど、
この縫い目は、
まるで……
まるで……。


 まるで、なんだ?
以前にも見た気がするが、
それがなんなのかを思い出せない……。


 何気なく机の上に視線をやると、
そこには携帯電話が置かれていた。

瀬海 平和(せかい ひらかず)

あ、俺の携帯……

滝岡めぐり(たきおか)

ああ、それね。
あの時ポケットから落ちたから、
拾っておいたの


 少しだけ手を伸ばして、携帯を取ろうとしたが……。
背筋に寒気が走り、反射的に手を引いた。


 携帯電話、
そしてストラップの所々に、
血の跡が付いていたからだ。

瀬海 平和(せかい ひらかず)

これ……俺の血か?


 めぐりが包帯を巻く手を止めて、
携帯電話に視線を移す。

滝岡めぐり(たきおか)

うん。
上着のポケットに入ってたせいで、
脇腹の血が付いたみたい


 淡々と説明すると、
めぐりはまた包帯を巻き始めた。


 俺は血に染まってしまった携帯を、
もう一度眺めた。











 一番ダメージを受けているのは、
めぐりにもらったクマのストラップだ。


 めぐりがピンクのチェック柄と主張していたそれは、
全身が真っ赤に染まっていた。


 なんだか、かなりグロイ光景だな……。
血に染まった縫い目なんか、
まるで俺の傷口みたいだ。


 縫い目……?


 そうだ。
俺の傷口の縫い目と、
クマの縫い目がソックリなんだ。


 めぐりが甲斐甲斐しく包帯を巻いている姿を、
俺は愕然として見ていた。

滝岡めぐり(たきおか)

どうしたの?

瀬海 平和(せかい ひらかず)

お、俺が刺された後って……。
病院で手当てされたんだよな?


 俺の問い掛けに、めぐりが笑顔で答えた。

滝岡めぐり(たきおか)

ううん、私が手当てしたの



 脳内に、一気に色んな疑問が湧き起こる。



 何を聞く?



 何から聞けばいい?



 何と聞けば、
この言い知れない不安は解消されるんだ?


瀬海 平和(せかい ひらかず)

なあ、めぐり。
俺を刺したのって……

滝岡めぐり(たきおか)

うん、私だよ




 …………………………。



 無音。


 めぐりのピンク色の唇から
発せられた言葉の意味が、
理解できなかった。


 聞き間違いかもしれないと思い、
めぐりにこう返す。

瀬海 平和(せかい ひらかず)

……えっ?

滝岡めぐり(たきおか)

平和くんのお腹に埋まっている
スイッチを探して、
再起動しようとしたの。
だって平和くん、
私の話を全然聞いてくれないんだもん

瀬海 平和(せかい ひらかず)

なっ……!
スイッチって、何言ってんだ?
俺にそんな物、有るわけ……

滝岡めぐり(たきおか)

でも……スイッチ、見つからなかった。
あんまりかき回すと
平和くんが死んじゃうから、
途中でやめたんだ。
だからごめんね、
もう一回だけ探させて?

 そう言いながらめぐりが、
近くにあった果物ナイフを手に取った。


 その姿を見て、急に激痛が走る。



 そうだ、思い出した……。


 気を失いかけた俺の腹をえぐる、
ナイフの感触を……!

瀬海 平和(せかい ひらかず)

うわああぁぁっ!!
ばっ、馬鹿!
やめろ!!


 走るとか、体を引きずるとか、
そんなもんじゃない。


 転がったのか滑ったのか
自分でもよく覚えていないが、
俺はとにかく外に飛び出した。

 後ろから、めぐりがゆっくりと追いかけてくる。

滝岡めぐり(たきおか)

平和くん……。
駄目だよ、そんなに走ったら

瀬海 平和(せかい ひらかず)

来るな!


 この期に及んで、
俺を気遣うような言葉を発する
めぐりが怖い。


 俺は力の限り、叫んだ。

瀬海 平和(せかい ひらかず)

誰か、助けてくれえ──!!


 ……こんなに明るい時間帯なのに、
どこの家からも反応がない。


 叫び声が小さかったのか?

瀬海 平和(せかい ひらかず)

誰か! 誰か!
誰か出て来てくれ!


 どうしてだ?


 こんなに叫んでいるのに、
誰も助けに来ない。


 いや、それ以前に……。


 辺り一帯がゴーストタウンのように、
人の気配がまったく無い!



 駄目だ……もう、目がかすんできた。


 めぐりから逃げよう。


 ただその一心で、
すでに底を尽きたはずの体力を振り絞り、
痛みで途切れそうになった意識を繋ぎ止めていた。


 でも、それももう……限界だ。


 力尽きた俺は、
その場に倒れこんでしまった。

滝岡めぐり(たきおか)

ほら、こんなに血を流して……。
手当てしてあげるから、
早く帰ろう?


 菩薩か天使と見まごう笑みを浮かべて、
めぐりが手を差し出す。


 菩薩……? 天使……?


 馬鹿をいうな。
こんなのは、死神が愉悦しているだけだ!

瀬海 平和(せかい ひらかず)

いや……だ……

滝岡めぐり(たきおか)

どうしたの?

瀬海 平和(せかい ひらかず)

嫌だ、死にたくない!!
近寄るな!

滝岡めぐり(たきおか)

えっ……


 めぐりが、ひどく悲しそうな顔をした。


 ほんの一瞬だけ胸が痛んだが、
今はそんな事を考えている場合じゃない。


 逃げよう……逃げるんだ。


 力を振り絞って体を起こそうとすると、
めぐりがこちらに歩み寄ってきた。

滝岡めぐり(たきおか)

キライになんかならないで、嫌だ!

瀬海 平和(せかい ひらかず)

来るな!
死にたくない、嫌だ!

滝岡めぐり(たきおか)

嫌だ!

瀬海 平和(せかい ひらかず)

嫌だ!

滝岡めぐり(たきおか)

嫌だ!


 どうしてこんなにも、
めぐりは俺に執着するんだ。


 今はもう、俺にとってのめぐりは、
必要な人間なんかじゃない。


 ただの恐怖の対象でしか、なくなっていた。

嫌だ! 嫌だ! 嫌だ!


 嫌だという声が、辺り一面に響き渡る。


 その声は俺の物なのか、
めぐりの物なのか、
どちらが発する物なのか、
わからなくなってきた。


 段々と頭がぼやけて来る。


 ああ、嫌だ。


 嫌だ


 嫌だ


 嫌だ


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