ひんやりと冷たい空気に僅かに身を縮めながら、悟は水道水を頭から被った。全身が凍る思いをしたが、我慢する。
そうでもしないとやっていられない。
未だ彼の後ろには諸悪の根源が引っ付いている。
いっそ夢ならよかったが、頭が冴えてもこの状況は変わらなかった。

もう、ひどいじゃないですか。ベッドから投げ落とすなんて……

三宮悟

お前が勝手に侵入してきたのが悪い

私を抱き寄せたのは悟君ですよ

三宮悟

……嘘だ

嘘じゃないです

三宮悟

……寝ぼけていたんだ

寝ぼけていたで済むなら男女の過ちは全て許されてしまいますよ

三宮悟

お前、昨日まで自分は人形の魂だから気にしないとか言っていなかったか?

私を人間扱いするといったのは悟君ですよ

三宮悟

……完全にはめられたとしか思えない

 

悟は額を抑える。そもそも自分は何故この迷惑な人形の魂と同居をすることになってしまったのか……そう考えてやっと重要なことを思いだした。

三宮悟

俺は、お前に人形を作る上で大事なことを教えてもらう予定なんだ

はい、そうですね

三宮悟

それなのに、お前はとことん話を逸らし続ける

はい

三宮悟

……もしかして、本当はお前も分からないんじゃないか

いいえ、分かっていますよ

三宮悟

なら

怜奈さんって誰ですか

三宮悟

は?

怜奈さんです。昨日寝言で言っていたじゃないですか

三宮悟

……そんな奴知らない

知らない女の人の夢を見ていたのですね。不純です

三宮悟

どうしてそうなる……

まあ、いいですけど

悟君、人形を作るのに大事なことは……その人形のパートナーのことを考えることです

三宮悟

パートナー?

売れっ子作家は物語を読んでくれる読者のことを考えてシナリオを考えます。だってそういう創作物って読む人ありきじゃないですか

人形も一緒です。その人形を貰ってくれる人……すなわち人形のパートナーを思って作ることが大事なんです

三宮悟

そんなこと……

悟君が現在作る人形はテンプレートすぎるんです

三宮悟

テンプレート?

和風なら和風。洋風なら洋風。おしゃれに、質素に……テーマ性を持って作られている。でも、それだけなんです

全然心がこもっていない。それなら、普通の人形師にもできちゃいますよ

三宮悟

……

それとも、本当は天才でもなんでもなかったですか? 自称天才人形師の悟君

三宮悟

……

負けを認めるならば今の内です。私もおとなしくこの家を出ていきましょう

三宮悟

……

痛いところをつかれたって顔していますね

三宮悟

……

では、私はこれにて……

三宮悟

待て

はい

三宮悟

……俺は天才だ

自分で言いますか

三宮悟

それだけは……確かなんだ

随分な自信ですね

三宮悟

……俺は確かに天才だと言われた

世間の評判がそんなに大事ですか?

三宮悟

いや……

三宮悟

そうじゃない

悟君?

三宮悟

そうじゃないんだ……

悟は苦しそうに顔を歪めた。ただ、『そうじゃない』と繰り返す。

三宮悟

俺が天才たる所以は……たった一人の評価にあった……んだと思う

たった一人?

三宮悟

……いや、それは関係ないことだ

誰ですか? そのたった一人って

三宮悟

関係ない。とにかく、人形を送られる相手を思いながら作ればいいんだな

……はい

三宮悟

今回の依頼主はお前の元持ち主で高校生……それを踏まえれば……

作れますか?

三宮悟

……ああ

悟は早速机に向かって図面を書きだした。
たまこはそれを遠目に見て肩をすくめる。
彼がスランプから抜け出すのはまだ遠い……それがはっきりと分かったからだ。

悟君がスランプから抜け出すには……

おそらく彼に評価をくれた誰かの存在を知ることが必要になる。

んー、ただ依代を作ってもらいたいだけなのに、結構面倒くさいことになってしまいました

あてが外れたのならば別の場所へ行けばいいだけなのに。
何故か彼にこだわってしまう。
彼が本気でスランプを抜け出したい……その気持ちはよく見えているから。

こうなったら最後まで付き合わなければ、ですね

悟に聞こえないよう、たまこはそっと呟いた。

人形制作に大事なことは

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