幽霊よりも甘味が食べたい
第8話
「第2会議室の呪い(2)」
昼休みに第2会議室の呪いを
試してしまったわたしは、
すぐに教室に逃げ込んだ。
何人かに怪訝そうな目で見られたけど、
それどころじゃなかった。
ピヨ助くんが1階の廊下の様子を
見に行ってくれたけど、
廊下は濡れておらず、
特に騒ぎも起きていなかったという。
つまり……。
お前にしか見えてなかったってことだな
うぅ、やっぱり……そういうこと?
放課後、わたしは学校に残り、
誰もいなくなった教室で
ピヨ助くんと話していた。
やったな、見事に呪われているぞ
そんな軽く言わないでよ……
なに言ってんだ、呪われるために行ったんだぞ?
上手くいったんだから喜べ
それはそうだけど喜ぶのは無理だよ
当たり前だけど、
呪われるなんて気持ちの良いものではない。
今のところ廊下が水浸しになっているのを
見ただけだけど、それでもぞわっとした。
だいたい、ここからが本番だぞ?
なんとかこの怪談に出てくる幽霊と接触しなければいけないんだからな。
今日中にケリをつけるぞ
え~、今日中?!
無理だよ~……
無理でもやるんだよ。
……だいたい、この怪談は学校外でも影響があるんだぞ?
え? ……そっか、最後も車道に飛び出してるし、外でも幽霊を見たりするってことだよね
そうだ。この間説明したと思うが、俺は基本的に学校から離れることはできない
ピヨ助くんは、
あくまでこの学校の怪談の幽霊。
学校を離れることはできないらしいのだ。
もっとも、
一つだけ手があるんだけど……
できれば、
ううん、絶対にその方法は使いたくない。
学校外で接触されると、俺が会うことができない。
それは困るからな
それはそうだね……。
というか、それじゃ意味ないもんね
そういうことだ。
……佑美奈。さっきも言ったが、必ず今日中に呪いを終わらせてやる
え? う、うん……
わかったらほら、行くぞ
……あれ?
もしかして今、心配してくれた?
わたしが怖がってるから、
早く解決しようとしてくれてる?
なんてね、そんなわけないか。
ピヨ助くんだもん
さっきも言った通り、
学校外で幽霊に会ってしまったら、
ピヨ助くんは会うことができない。
だから学校で会ってしまった方が効率がいい。
ただそれだけだと思う。
……でも、ちょっとだけ頼りにさせてもらうよ。ピヨ助くん
今回の怪談、場所は特に指定は無いが、やはり第2会議室のある1階がいいだろう
というわけで、わたしたちは再び、
1階の廊下を歩いていた。
雨のせいで運動部も休みらしく、
学校は静かだ。
そういえばピヨ助くん、今回はなにを調べようとしているの?
この怪談って結構具体的なことまで語られているよね?
わたしがそう聞くと、
ピヨ助くんは呆れた顔をする。
お前もいい加減学べよ。
……いくら具体的だからって、それが本当かどうかなんてわからないだろ?
怪談は時間と共に変わっていく場合があるんでしょ?
それはわかってるけど……
内容が改変される。
それは前回の怪談調査でよくわかった。
でも今回のこの怪談、
改変される要素なんてあるだろうか?
せいぜい、呪いにかかった生徒の
体験談の部分くらいだと思うんだけど。
噂の元は、本当に起きたこととは限らない
……どういうこと?
この怪談が、実際にあった話なのかわからないということだ
でも、染みがあったのは本当なんでしょ?
そっちじゃない。
怪談の大前提になっている、作業員の事故の方だ
え……えぇぇ?
事故は無かったってこと?
わからん。そこまで調べきれなかった。
この学校も結構古いからな
ピヨ助くんの言う通り、
確か創立70年だか80年くらいのはず。
そこまで昔のことだと、
なかなか調べるのは難しいのかもしれない。
事故の有無。
俺が言いたいのはそこではない
いいか、佑美奈。
怪談の生まれるパターンとして、もう一つ、語る人間が想像を膨らませた結果、怪談になる、というのがある
想像……?
この怪談の中で、唯一確かなのは、天井の染みだ。それも人の形に見えなくもない、不気味な染みだ。
……これを見た好奇心旺盛な高校生たちは、どういう想像をするだろうな?
あっ……!
じゃ、じゃあ、この怪談は作り話なの?
その可能性が高いってだけだ。
それと、作り話は大元の事故の部分だけだろう
どうしてそう思うの?
呪われた生徒が死んだって話も……
そうだな、それも作り話という可能性はゼロじゃない。
いつの話かもわからないから、それこそ調べようがなかった。
……だが、佑美奈。
お前は実際に呪われている
う……そうだけど
まとめるぞ。
校舎建設時の事故は無かったが、不気味な染みを見た生徒たちが想像を膨らませ、怪談が生まれた。これが俺が考えている説だ。
そうして生まれた怪談はいつしか本物の怪談となり、実際に生徒が呪われるようになった
…………
否定はできなかった。
ピヨ助くんの推理は筋が通っている。
怪談話って、そういうもんなんだと思うから。
じゃあ……この呪いは一体なんなの?
事故で死んだ作業員の怨念じゃないんだよね?
今言っただろ? 想像、噂から生まれた怪談が、時間をかけて語られることで本物の呪いになった。
誰の怨念だとか、呪いだとかは関係ない
それってすごく理不尽なんだけど……。
誰のでもない呪いって
そうだろう?
俺が知りたいのはそこだ
……え?
この怪談にもやはり、幽霊が存在している。濡れた女の人や、佇む作業員風の男だな。
怪談が想像から生まれたのだとしたら、彼らはいったい、何者なのだ?
俺が知りたいのはそういうことだ
わかるような気もするけど……ちょっと混乱してきたよ
なんかややこしい……。
でも確かに、
前回みたいに話のできる幽霊がいるのなら、
それが何者なのかは……ちょっと気になる。
もしかしたら、語られていない部分に、怪談の真実が隠されているかもしれないからな
……うん、そうだね
隠された真実……。
…………
ちょっとだけ、
前回のことを思い出しつつ……。
わたしはゆっくりと、歩き始めた。
……きゃっ?
しかし歩き出してすぐに、
なにかに躓いてよろめく。
幸先が悪い……。
違う……! 今の感触!
わたしはしゃがんで、自分の足首を触ってみた。
うっ……濡れてる
右の足首、靴下が濡れていた。
なんだ? どうかしたか?
いま……わたし、足掴まれたよ
ほほう。
……どうやら、おでましのようだぞ?
気が付くと、
廊下は妙な湿気に包まれていた。
窓は開いていないのに、
緩く撫でるような風が吹いている。
正直、不快だった。
とりあえず第2会議室前まで行くぞ
う、うん
わたしは立ち上がり、
ピヨ助くんと並んで歩く。
第2会議室はいつものように
ドアが閉まっている。
そういえばさっき、鍵かけた?
様子を見に戻った時に閉めたぞ。
ってそんなこと気にしている場合か?
それもそうだ、と思っていると……。
な、なに?!
突然後ろから激しい足音が聞こえ、
驚いて振り返る。
しかし……。
あ、あれ?
誰もいないのに……!
廊下は無人だった。
しかし足音は止まらない。
すぐ側まで迫ってきている。
それも明らかに1人じゃない。
何人もの足音が……。
佑美奈! 端に寄れ!
え?
あ……きゃっ
ピヨ助くんに突き飛ばされて、
廊下の壁に手を付いた。
すぐ後ろをぞわっとする冷気が通り抜け、
足音が遠ざかっていく……。
おい! 大丈夫か?
う、うん……ありがとうピヨ助くん。
今のって……
霊が駆け抜けていっただけだ。
あんまり気にするな
気にするなって、そんなの無理だよ……
…………
怪談的にはまだ始まったばっかりだぞ?
いちいち気にしてたら身が持たないぞ
さらりと怖ろしいこと言わないで
事実だからな
…………。あれ?
今……誰かいたような?
もういないけど、
ちょうどピヨ助くんの後ろに、
女の人が……。
もしかして、今のって……!
どうかしたか?
な、なんでもない。
……はぁ。怪談で出てきた生徒がノイローゼになっちゃったのもわかる気がするよ
こんなのが四六時中起こっていたら、
頭がおかしくなってしまう。
なにかあったらすぐ言えよ?
ほら、中に入るぞ
ピヨ助くんは手というか羽だけ
ドアをすり抜けさせて、
器用に鍵を開けた。
霊がいるとしたら、おそらくこの中だ
第2会議室……。
そういえば怪談だと、呪われたあとはこの中のことが語られてないよね
まぁわざわざ呪われた場所に戻ってくるヤツはいないからな
それもそうだ。
なにが起きるかわかったもんじゃない。
……そんな場所に入ろうとしてるんだけどね
どうした? 早く開けろ
わかったよ。もう覚悟を決めた。
ピヨ助くん、終わったらとびっきり甘くて美味しいドーナツをお願いね
すべてはドーナツのために。
わたしは会議室のドアを開いた。
昼休みに入った時に比べて、
だいぶ薄暗くなった第2会議室。
もちろん中の様子は変わっていない。
…………
わたしはそうっと天井を見たけど、
そこに染みは無かった。
だけど空気はやはりじめじめしていて、
窓が閉まっているのに
温く気持ちの悪い風が漂っている。
油断するなよ。
おそらく、なにかいるぞ
う、うん……なんとなく、わかる
今のわたしは、
ピヨ助くんが生み出したドーナツを食べたせいで、
霊が見えるようになっている。
でもそうじゃなくても、
この異様な空気は……
なにかがいると、
わたしに感じさせる。
気配、っていうのかな……。
すぐ近くに、誰かがいる感じ……
わたしは思わずぶるっと震える。
ね、ねえ、それでどうするの?
なにかが出てくるまで待つの?
そうだな……。
中に入ればなにかしらアクションを起こすと思ったんだが
ピヨ助くんがそんなことを言った直後、
水が滴る音がどこからか聞こえた。
むっ……見ろ、そこに水が垂れたあとがあるぞ
ピヨ助くんはそう言って部屋の中央を指す。
もう一滴、同じ場所に水が落ちる。
これって……
わたしは顔を上げて、天井を見る。
すると……さっきはなにもなかったのに、
天井がじんわりと濡れていて、
小さな染みが生まれていた。
それはやがて、じわじわと広がり……。
わ、わわ、ピヨ助くん!
なんかきたんじゃない?
わたしは慌てて目を逸らし、
ピヨ助くんに話しかける。
そのようだな。……あ
天井のあれ、どんどん大きくなってるよね?
やっぱり人の形に……
そうだな……人、だな
ピヨ助くん?
ちゃんと天井見てる?
なんでわたしの方見てるの?
そりゃあ……だって、なぁ
だってなに?
異変が起きてるのは天井だよ?
そっちはもういい。
それよりもだ、佑美奈
そっちはいいって……え?
後ろ見てみろ
後ろ……
咄嗟に振り返ってしまったことを、
わたしは後悔した。
そこには……。
…………
き、きゃあああああああ!
真後ろ、すぐ側に、
水に濡れた女の人がいた。
わたしは思いっきり、悲鳴をあげてしまう。
お、落ち着け佑美奈
無理だよ! ピヨ助くん!
わたしは素早くピヨ助くんの肩を掴んで、
後ろに回る。
…………
ほ、ほら!
幽霊でたよ、ピヨ助くんの出番……
そう言った瞬間。
突然、わたしの意識が、
ふっと遠のいた。
そして……誰かの声が……。
これが噂の染みね。張り替え前に見ることができてよかった。
……確かに人の形に見えなくもないわね
勝手に入っていいんですか?
鍵、どうやって……
いいのいいの。
ちょっと借りただけなんだから。
それにしても、もっと早くに見に来るべきだったわね。
梅雨も明けちゃったし
俺としては明けててよかったですよ。
呪いを試されたら敵わないですから
あのさあ、それでも怪談研究同好会の一員?
なに怖がってるのよ。
……もっとも、私は危険が伴う怪談に誰かを巻き込んだりしないけどね。
巻き込む時は、調べ尽くして安全を確保してからよ
そう言って何度も怪談調査に付き合わされてますよ? 俺
いいでしょ?
宣言通り、被害は出してないんだから。
なにか不満なの?
……九助くん?
佑美奈?!
どうした、しっかりしろ!
え……あ、あれ?
気が付くと……
しかし、状況は変わっていなかった。
わたしはピヨ助くんの後ろで肩を掴んだまま。
正面には、びしょ濡れの女性の幽霊が立っている。
今のも……怪談の一部?
ううん、たぶん……違う。
今のはきっと……。
おい! 急にぼうっとして、どうした?
なにかあったか?
う……ううん。なんでもないよ。
それよりピヨ助くん、ほら、幽霊出たよ?
早く話しなよ。
あれって、待ってくれてるんじゃない?
…………
お? お、おう……。
なんだよ、急に落ち着きやがって
そうかな?
そう答えつつ、
確かに自分が落ち着いていることを自覚する。
今の一瞬の間に起きた、
不思議な体験のおかげで。
わたしはわたしを取り戻すことが出来た。
そうだよ、どうしてこんなに怖がっていたんだろう
もともと幽霊だとか怪談は興味がなくて、
あるというから信じたけれど、
ここまで怖がりはしなかった。
たぶんきっと、とい子さんのことで……
あの一件以来、
自分でもわからないうちに
ナーバスになっていたらしい。
そうだよね。
もっとわたしらしくいこう
わたしはそっと、
ポケットからチョコレートを取り出して、
口に含む。
甘い……チョコレートが口の中で溶けて、甘みがいっぱい広がっていく。
ああ、落ち着くなぁ……
ああ、わたしって本当に、
甘い物があればなんでも大丈夫だ。
……お前本当に大丈夫か?
うん。わたしは大丈夫。
ほらほら、早く話しかけなよ
変なヤツだな……まぁいい
ピヨ助くんはそう言って、幽霊に向き直る。
女性の幽霊は、少し首を傾げてこっちを見ていた。
…………
待たせたな。
わかっていると思うが、俺は幽霊だ。
さて……お前はいったい、なんだ?
会議室がますます薄暗くなり、
雨が少しだけ強くなった気がした。
……続く