穂苅水希は、俺こと唐田龍之介の古い知り合いである。
家が隣同士。幼馴染の部類に入る。水希の家の隣は神社になっていたから、よく境内で会っては遊んでいた。
その時の水希は今のようなクールビューティーではなく、もっとドジで人の後ろを付いて回るような女の子だった筈なのだが。
ちらりと、水希を見る。
穂苅水希は、俺こと唐田龍之介の古い知り合いである。
家が隣同士。幼馴染の部類に入る。水希の家の隣は神社になっていたから、よく境内で会っては遊んでいた。
その時の水希は今のようなクールビューティーではなく、もっとドジで人の後ろを付いて回るような女の子だった筈なのだが。
ちらりと、水希を見る。
穂苅さん、新入生代表すごかったよ! 中学校でも成績良かったの?
ううん、別に普通だよ
今となっては、赤の他人よりも遠い位置に居るのではないかと思える。
女子に対する反応は、至って自然なんだよな。あの笑顔が男にも見せられるなら、それはモテるだろうと思うんだが。
ねえ、なんかあの人、こっち見てない? ほら、入学式遅れてきた人……
思わず、水希から目を逸らす。机に頬杖をついて、苦笑した。
ハハン。入学早々、すっかり俺はクラスの鼻つまみ者だ。
入学式が終わってから、体育教師の工藤とか言う男に怒られた後、杏月さんから『ごめんちゃい。帰りにパフェ奢るから許して』という、何とも軽いメールが届いた。
酷いもんだ。出鼻から散々な目に遭っている。いや、別に鼻に掛けた訳じゃないが。
パフェ如きで俺の体育教師への印象が払拭されると言うことであれば、そりゃ喜んで食べに行くが。
……あのババア、体育教師に説教された分だけ俺が説教してやるからな。覚悟しておけよ。
脳内で杏月さんに果たし状を叩き付け、俺はスマートフォンの画面を切った。
まあ、予め中ホールの場所を確認しておかなかった俺にも非はあるので、全部が全部杏月さんが悪い訳じゃない。
杏月さんの愚行のせいで印象が余計に悪くなったのは確実だが。
見てた?
見てた見てた。なんかコワいね
……いいさ。今に俺がまともで善良な生徒だって事を分からせてやる。
でも、悪いことばかりじゃない。どうやら神様は、まだ俺を見捨てていないらしい。
幸いにも教室での席は良い場所で、窓際の後ろから二番目に配置された。この場所が一番、目立たなくて良いのだ。
あたし、美麗(みれい)檸檬(れもん)。仲良くしよっ
うん、よろしくね、美麗さん
檸檬でいいよー
早速、水希には友達が出来たらしい。
成績優秀、運動神経も……ちょっとズレているが、そこまで悪い訳じゃない。最低最悪の悪い癖が無ければ、周囲の評価はもっと良くなるだろう。
相変わらず、入学早々人気者だな。……女子からは。
水希は、男子とは殆ど話さない。いつも女子の花園の中にいて、共学だというのにそこから出て来る気配もない。
一度として彼氏が居たことはおろか、男友達と遊んだ所さえ見たことがない。それでも、ふとすると告白されているのを見るのだから大したものである。
あれはあれで、実は困っていたりするんだろうか。
…………おや?
水希の奴。鞄のポケットから何か、紙のようなモノがはみ出ている。その様子に気付いて、頬杖をついていた俺は顔を上げた。
おいコラ、椅子が近えんだよ
いや、待てよ。あれはまさか……いや、まだ入学したばっかりだぜ? 先輩にしたって、もう少し節操ってもんが……うーむ。
引き過ぎなんだよ、椅子!! お腹と背中がくっついてんだろうがコラ!!
……何れにしても、今日は少し様子を見る必要があるか。
聞いてんのかコラ、消防レッド!!
消防はレッドしか居ねえよ!!
どうやら、呼ばれていたのは俺だったようだ。
決して、幼稚園の時に将来の夢について書いた時、消防士の事を間違えて『消防車』と書いてしまった事を咎められている訳ではない。
俺を呼んでいたのは、後ろの席の男だった。金髪に髪を染めて……おそらく染めているのだろう、俺を眺めてニヤニヤとしながら机の上に足を乗せ、腕を組んでいる。
不良の代名詞のような格好をして、俺を得意気な顔で見詰めているが……不意に、その表情は驚きの色に染まった。
――――赤髪!?
それは後ろからでも確認できるだろ!?
消防レッドって自分で言ってただろ。
いかにも悪そうな態度だが、机に乗せた足は思ったよりも短い。顔も怖いと言うよりは可愛い……下手をすると女子と間違えてしまいそうな顔で、小奇麗な風貌だった。
そんな、一見内気な雰囲気の少女少年がしたり顔で俺を見ているのだから、対応に困る。
こういうの、何て言うんだっけ。そう、ドヤ顔だ。
…………どうしよう。
マジでそれ染めてんの!? 海賊に憧れたの!?
いや、地毛だ。それと海賊に憧れるなら、目の下をナイフで刺さないといけないぞ
刺したの!?
見りゃ分かるだろ!? 刺してねえよ!!
後ろの席の男(?)は、思ったよりも遥かに変な発言をする男(?)だった。男子の制服を着ているから男なんだろうけど。
しかし、百面相がせっかくの美貌を台無しにしている。かなり。
お前もチュー坊の時、喧嘩番長だったクチ? イイね、面白いわ
地毛だっつってんだろ
それ以前に、チュー坊って。喧嘩番長って。昭和何年代の人間だよ。
お前『も』ということは……本当に、喧嘩が強いのだろうか。……その細い腕は、とても喧嘩番長には見えないが。
男は姿勢を正し、俺に向かって手を伸ばした。
俺、葉加瀬(はかせ)翔悟(しょうご)。お前は?
……唐田龍之介
そっか。よろしくな、ドラゴン
まさか出会った初日にドラゴン呼ばわりされるとは思っていなかった。……いや、ドラゴン呼ばわりされた事なんて無いんだけど。
何だかよく分からないうちに、後ろの席の男と仲良くなったらしい。……かと思えば、急に青褪めた顔で俺から飛び退く葉加瀬。
ドラゴン!?
あまりに飛び退き過ぎて、椅子から落ちて後頭部を打っていた。
その瞬間に、俺は葉加瀬翔悟という人物の全てを悟った。
カンフーなのか!? 実は燃えるのか!?
いちいちネタが古いわ!!
今日び、ブルース先生を知っている高校生が居るとは驚きだ。
いやあ、久し振りに感動しちまったよ。流石だぜ相棒、よく分かってる
仮に葉加瀬の言っている事が正しかったとして、よく分かっているのは俺ではなくて俺の両親という事になるんだが、それは。
とんでもねえ奴に会っちまったな……
俺というとんでもねえ奴と、お前というとんでもねえ奴。今、これが映画だったら絶対にカットできない感動のシーンが再生されているぜ
俺は高校に入って初めての時間を、それなりに楽しく過ごした。
○
ホームルームになると、俺は黙って席を立った。本格的な授業は明日からとの事で、今日は特に何もない。早く帰りたい訳ではなく、行くべき場所があるのだ。
席を立った瞬間、葉加瀬が身を乗り出して来る。どこかに遊びに行きたいと顔が言っている……が、近い。一瞬だけその容姿の淡麗さに見惚れてしまったが――――すぐに、その顔は可哀想な程に醜く歪んだ。
おいおいドラゴン、もし帰り暇だったらゲーセンとかどうよ?
なんと残念な男だろう。その顔に謝罪しろ。一回自分の顔を鏡でよく見た方が良い。良い意味で。
いや。今日は用事があるから遠慮しとくよ
…………
そう言うと、葉加瀬の顔が途端に寂しそうなそれに変わった。何故か急に少女の誘いを断ってしまったようで、何とも言えない罪悪感に駆られる。
何なんだこいつは。いい加減にしろ。
そっか。もう、俺とは何でも無いって言うんだな……
それじゃ、またな
ノリ悪いなオイ!! ……またな!!
ちゃんと挨拶を返してくれる所には、少しだけ良心を感じた。
葉加瀬とはそれだけ話して、教室を見回す――……早いな。水希は、もう出て行ったらしい。
どうしても気になってしまった。俺は立ち上がり、周囲の様子を窺いながら――下校を始めた生徒達とはまるで正反対の方向、上階へと階段を上がって行く。
屋上へと続く階段は、屋上そのものが使われる事が無いためか、閑散としていて人気が無い。一直線に上がって行くと、すぐに開放的な気分になる為の扉は見えてくる。
学校で男が女に用事とあらば、屋上か体育館裏と相場が決まっているが……どうだろう。予想は当たっているだろうか。
屋上に出る訳にはいかない。隠れているのがばれないように、扉の横に積まれていた机を適当に退かし、机の陰に隠れられるスペースを作る。学校における、監視の常套手段だ。
屋上の扉を薄っすらと開くと、向こう側に水希が見えた。
良かった、当たっていた。
丁度、始まった所だ。俺は床に胡座をかいて腕を組み、息を殺した。相手は誰だ……? 茶髪で高身長の男、顔は結構良さ気だが……。
穂苅さん……だよね。入学おめでとう。俺、二年の落合。入学試験の時に顔合わせたよね
入学試験。……そんな所で会っていたのか。
ええ。落合先輩のことは、よく噂になっています。サッカー部、順調みたいですね
どうやら、サッカー部らしい。落合と呼ばれた先輩は大袈裟に肩をすくめて、やれやれ、と首を振った。
え? サッカー? ……まいったな、全然大した事じゃ無いんだけどね
わざとらしい…………!!
しっかし、幾ら気に入ったからと言って、入学式で手を出そうとは恐れ入る。落合と呼ばれた先輩はこれ見よがしにイケメンを見せ付ける爽やかな動きで、自身の前髪をかき上げた。
某チビで丸っこい小学生の漫画が大ヒットした時から、あの動きはナルシストの代名詞なのである。
実は、ちょっと話したい事があって呼んだんだけど……
今までに何回俺は、水希に向かって吐かれるこの台詞を聞いたんだろうか。
わざわざ隠れて聞いている事を考えると、思わず苦笑が漏れる。これじゃあまるで、俺はストーカーも同然じゃないか。もういい加減、こんな事は止めるべきなんじゃないか。
しかし、そうも行かない理由があるのだ。俺が、俺だからこそ、聞かなければならない理由があった。
穂苅さん、可愛いなと思ってさ。俺と付き合ってくれないか
でも。相手はおそらくサッカー部のエースなのだろう、そうだとしたらこの学校にとっては水希以上にアイドル的な存在だ。若しかしたら、立場を認めて穏便にやってくれるかもしれない。
水希だって、もう高校生なのだから。引き所は分かっているのではないだろうか。分かっていてくれ。そうすれば、俺も晴れて解放されるのだから。
……私と、ですか?
お互いの事を良く知らないのは分かってる。
……でも、試してみても良いんじゃないかと思って。俺なんかで良ければ、だけど
イケメンスマイルに背筋が凍った。……が、ここは『少し時間をください』とか、『考えさせてください』と言うシーンだ。水希もそれは、良く分かっている筈……いや、分かっていないかもしれないが……
とにかく、滅多な事を言わなければ俺の高校デビューは安泰なんだ。
そうですか……
知らず、緊張が走る。
これはそう、バラエティ番組で豪華賞品のルーレットに向かってダーツを投げる瞬間のような。
私の意見として、ひとつ、良いですか
うん、何でも言ってよ
人生十五年。幾ら何でも、こんな時くらいハワイ旅行が当たってもいいんじゃないのだろうか……!!
気持ち悪いです
……え?
やはり俺には、たわしが相応しいらしい。
そもそも『俺なんかで』と言いながら、とりあえず付き合う事は出来るだろう、という自信がありありと見えて来ていて吐き気を催します。
顔が良ければ女の子が寄って来ると思っていませんか?
言われている方は、安っぽいと感じると思います
安っぽ……!?
これが、穂苅水希である。
何故か男に対してはいつも、異様なまでの豪速球を繰り出し、ハートに挑んで来るのだ。それも、敵対視する訳でも嫌悪する訳でもなく、ただただ素直な無表情で、淡々とそれを口にする。
この良く言えば素直、悪く言えば暴言を吐きまくる性格のせいで、水希の男からの評判はいつも上がったりだ。それどころか、敵を作りまくる悲惨な性格をしている。
やっぱり、変わらないものは変わらないらしい。
こうなってしまったら、もう水希は止まらない。俺は全てを諦め、予め作っておいた退避ポイントに身を隠した。
第一、交際をするに当たって『試してみる』というのもよく分かりません。そもそも上手く行くとも思っていない相手を試す事に何の価値があるのでしょうか
いや、途中から良くなる可能性だって……
どこにそのような可能性を見出していますか?
趣味も分からない、部活にもまだ入っていない、会話すら殆どした事の無い相手と何をして友人以上の関係になるのか、何か策があるのですか?
少なくとも私には、低俗な色目を使って関係を飛躍させようという浅はかな思考だとしか判断できません
うぐっ…………
まー、水希の意見も分からなくはない。一応。多分、落合先輩自身にそれなりの人気が集まっているのだろうが。
……イケメンサッカー部のエース、ねえ。
兎にも角にも、そんなものは穂苅水希には通用しない。
怒る訳でもなく、冷静に水希は話している。既に顔は見ていないが、恐らく落合先輩は開いた口が塞がらない状態になっている事だろう。
無表情から語調も変わらず、これだけの否定文句が飛び出て来るのだ。俺だったら呆気に取られて挙動不審になりそうだ。
悪気がある訳では無いのですが……
いや悪気しか無いだろ、どう考えても。
今の言葉に悪気が無いのだとしたら、一体どんな気持ちがこもっていたのだろう。……まあ水希の事だから、きっと感情など動いては居ないのだろうけど。
中学時代、一部の人間は水希の事を『彼女はツンデレなんだ』と言って妄信的に恋していた事があったが。……あれがツンデレなら、デレが訪れるのは十年後だろうか。
落合先輩も可哀想に。
扉が開いた。驚いて一瞬身が竦んでしまったが、扉から僅かに見えたのは水希の方だ。落合先輩はまだ、屋上に居るのだろう。
俺には気付いていない。すぐに水希は先輩の方を一瞥して、言った。
あと私、スポーツはエクストリーム・アイロニング派なので
そこ別に主張しなくていいだろ。
最後に強烈な一言を放つと、水希は足早に階段を下りて行った。冷静な発言の中に微妙な天然成分が含まれているのも、水希の特徴と言えばそうか。
敢えて可愛気を見付けるとするなら、最後のエクストリーム・アイロン掛けに集約されるのかもしれない。
しかし、今回も痛烈な言葉の雨だった。……これで落合先輩をフッた穂苅水希という存在が、程無くして校内全体に広まる事だろう。
遅れて、落合先輩が屋上から出て来た。落胆している……と思いきや、そうでもない。険しい顔をしているが、特に何か愚痴をこぼす事も無かった。
そのまま、階段を降りて行く――……。
……今回は落合先輩が他人な事もあって、特にフォロー出来そうにないな。部活を選ぶ時にでも、サッカー部に顔を出しに行くか。
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