雪乃

なるほど、ドラキュラ伯爵のモデルになったヴラド・ツェペシュは、トルコの侵略に抗った英雄なのか。

雪乃

そういう、格好良さ、強さみたいなものも強調したいな。吸血鬼を題材にするからには。

むにゅ

図書館で調べ物に夢中になっていると、急に後ろから胸をわしづかみにされた。

むにゅむにゅ

雪乃

ちょっ……やっ、やめてください。
禅子部長!

部長

小説執筆のための資料あさりかぁ。
いやー関心関心

どれだけ身をよじっても絡みつく執拗な手の正体は、黄檗禅子(おうばく ぜんこ)部長だった。
今日は部活のない日だが、ここ最近は図書室で第二文芸部の部員とはちあわせになることが多くなっていた。機関誌に掲載する小説の締め切りまで、それほど余裕があるわけでもないので、各々図書室で執筆する機会が増えているのだろう。

部長

主題とするものについて良く調べて書くのはいいことだよ。
多田くんもアイナもあんまり調べないんだよねー。
専門知識が不要なテーマで書くことが多いからもあるけど、じゃあ図書室じゃなくて家で書けばいいじゃんと思っちゃう。

雪乃

調べ物に関しては、あたしよりあいつの方が何倍もやってますから。

あたしは顎をしゃくって、閲覧コーナーの隅っこ、「990 その他の諸文学」と書かれた書架のすぐそばにある窓際の席に座っている少年を示した。

杜子春

……

A5ノートに黙々と何かを書きつけている堀川杜子春(としはる)の横には、本がうずたかく積み上げられていた。
『材料工学』『合金の物性』『板金の機械加工』……
いずれも、大学なんかで教科書に使われそうな専門書だ。

部長

あの情熱はどこから来るのかしら……
あんなくだらないプロットのためにどうしてあれだけ熱心なの?

雪乃

さあ?
あいつにとってはくだらなくないからじゃないですかね

突き放すように言ったあたしの呟きが聞こえているのかいないのか、禅子部長は「謎だわー謎だわー」と言いながらその場を立ち去った。

あたしはため息を一つつくと、調べ物に戻った。

今日は部活の日。休み時間中に杜子春を探し回って、廊下でようやく捕まえることが出来た。

雪乃

よっす。
今日部活来るの?

杜子春

行かないよ。
俺、ゲーム制作部入ったからそっち行く

雪乃

ゲ作部?

杜子春

シナリオライター募集してんだって。
とりあえず日本語のシナリオが書ける人なら大歓迎だって言われた

雪乃

ゲ作部の部員は日本語書けないの?

杜子春

あいつらC++で会話してるからね……
ま、ストーリーに口は出さないって言ってくれたから、俺としちゃ第二文芸部よりそっちを選ぶわな

雪乃

そう……なんだ

「ややっ。トシハル殿」
声がして振り返ると、廊下の角からゲ作部の飯野が手を振っていた。

「トシハル殿。本日放課後に企画会議をやるでござる。ご出席いただきたいでござるよ」

杜子春

おう。
もちろん行くよ

にこやかに返事して、杜子春は去っていった。

雪乃

C++でなんか会話してねーじゃん……

杜子春が第二文芸部に来なくなって二週間。今日は部活の日だ。

部員みんなで集まっても、基本的にあまり会話を交わさず。黙々と自分の原稿を進める。あたしも図書室で借りてきた資料をめくりながら、あたしの作品、『純血最後の真祖姫』を少しずつ書き進めていた。

部長

杜子春くんはゲーム制作部に入ったんだって?

雪乃

そーみたいっすねー

部長

浅慮にもほどがあるわ。
ゲ作部が自由に書かせてくれると思ってるのかしら

雪乃

好きに書かせてくれるって言ってたみたいっすよー

禅子部長へのあたしの受け答えがこころもち適当なのは、執筆の方に集中力を割いているからだ。別に部長を軽視しているわけではない。

部長

甘いわね。昔からゲ作部のシナリオ軽視はひどいものよ。それでライターが辞めちゃうから、ゲ作部はいつもライター募集してんの

ぴた。

あたしの執筆の手が止まる。

「日本語でシナリオが書ければいい」「ストーリーに口をださない」というのが、シナリオなんかどうでもよいと思っているからこその発言だとしたら、あれだけ真剣に取り組んでいる作品を軽視されながらの執筆は、果たしてあいつにとって幸せだろうか。

部長

ゲ作部の部室を覗いてみるといいわ。ちょうど今頃、面白いことになってるかもね

部長の台詞が終わるのを待たずに、あたしは席を立っていた。

 ゲ作部の部室を覗き込むと、昼間に見たゲ作部員飯野の声が聞こえてきた。
「……というわけで、トシハル殿には夏休み前までにシナリオを完成させてほしいでござるよ。今の進捗では到底間に合わないのでとにかく急いで欲しいでござる」

杜子春

無理だ。ちゃんと金属加工について調べながら書いてるから、どうしたって学祭直前までかかる

杜子春

プロットがあればゲーム制作に支障はないだろ。テキストはあとから差し込みゃいい

ゲ作部部長

あのなぁ

ゲ作部部長

シナリオなんか、俺らが書いてもいいんだよ。だが俺らにはみんな他の人にできない仕事があるんだ

ゲ作部部長

プログラミングはプログラマにしかできないし、3Dモデルの作成はグラフィッカにしかできない

ゲ作部部長

一方でシナリオはどうだ?
義務教育を受けた人間なら、シナリオ書ける程度の国語力は誰でもあるだろ

ゲ作部部長

他人にできないスキルがあるわけでもないシナリオライターは、せめて要求された納期ぐらい守れ

杜子春

そ、そういう言い方ないだろ。
板金職人の職人魂もこの物語のテーマなんだ。仕事内容を細かく調べずに書けるか

ゲ作部員

だけど、そのへんの話、ゲーム上ではカットされると思うよ

口を挟んだツインテの女の子は、各部員が作成したプログラムやCGなどの素材を一つのゲームに組み上げる、ディレクター的な立場の三年生だ。

ゲ作部員

このプロットをゲームにしようと思ったら、敵に対抗できる板金を開発する「開発パート」と、実際に敵と戦う「バトルパート」、そしてそれぞれの合間の「ストーリーパート」に分けることになる

ゲ作部員

そうすると、開発パートって他のゲームにおける「素材の合成」みたいな、素材の金属と加工方法を選ぶようなものにせざるをえないのよね

ゲ作部員

開発にあたっての主人公達の苦悩とか、敵に勝てる板金にたどり着くまでの過程なんてゲームシステム的に組み込めないし、組み込んだらストーリーパートばかり長いクリックゲーになっちゃう

杜子春

えっ、カットって……
内容は俺の好きにしていいって言ってたのに

ゲ作部員

好きに書いていいとは言ったけど、上がってきたものを編集しないとは言ってないよ

ゲ作部員

つーわけで、あんたがアホみたいにこだわって進捗遅延の元になってる部分は、どうせ全カットだから

ゲ作部員

どうでもいいことに時間かけてないでさっさと原稿あげろ

杜子春

……

杜子春

やってられるか……

杜子春の体が、悔しさで震えているのがわかった。

杜子春

やってられるかチクショー!

杜子春は部室の扉まで走っていくと、バタン! と思い切りドアを開き、そのまま駆け去っていった。
すぐドアの近くで覗いていたあたしにすら、気づいた様子はなかった。

雪乃

部室から走って逃げ出す趣味でもあるの?

逃げ出した杜子春に追いつき、あたしは声をかけた。

杜子春は何も言わず、幽霊みたいな目でこっちを見た。

雪乃

ひとつ訊いていい?

雪乃

そんな思いまでして、どうしてその物語を書きたいの?

第二文芸部で却下され、ゲ作部で軽視されても、それでもこの物語にこだわる理由はなんなのか。

杜子春

変身ヒーローと働く職人。
俺がかっこいいと思うもの二つを合体させたかった

杜子春

俺、子供の頃町工場ばっかり立ち並ぶところに住んでてさ、友達いなかったから近所を一人で歩き回ってたんだ。

杜子春

そうするとよく休憩中の職人さんとかが構ってくれてさ。みんないい人だったんだ。
俺のためにわざわざ子供用のヘルメットやら安全靴やらそろえてくれて、見学させてくれた工場もあったっけ。

杜子春

すげえ機械使って寸分の狂いもなく大量の製品を作り出していく職人さん達は、魔法使いみたいだった。
その職人さん達と、昔から好きだった変身ヒーロー、それぞれのかっこよさを表現したいというのが、俺が創作する理由なんだ。

杜子春

だから、『二人はブリキ屋』を書かないと、僕は創作家として一歩も前に進めないんだ。

そういって彼は、あろうことか、笑った。

あれだけ悔しい思いをしてなお、笑って、「この物語を書かないと前に進めない」と言い切った。

創作をするものとして、あたしはこいつには敵わない。そう思った。

部長

話は聞かせてもらったわ

雪乃

禅子部長!
いつの間に?

部長

杜子春くん。『ふたりはブリキ屋』にかけるあなたの思いがそれ程強いものだったとは

部長

そうとも知らずに却下してごめんなさい。もう否定しないわ。書きなさい、第二文芸部の機関誌に

部長

ただし、根本部分を否定したりはしないけど、直したほうがいい部分は徹底的にダメ出しする。あなたがこの作品を大事に思っていることを知っているからこそ、良いものにするために妥協はしないわ

部長

どう?
また第二文芸部で書いてみない?

杜子春

……

杜子春

書きたいです!
書かせてください!

堀川杜子春はこうして、第二文芸部に帰ってきたのだった。

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